「職場」というマジックワード/バズワード
これまでの日本の労働問題研究で用いられてきた主要な分析の枠組は,重工業大経営での労務管理や労使関係に注目する際に,職場のあり方に焦点を当てて分析を行うという特徴を持っていた.職場はいくつかのレベルで捉えられ得るが,これまでの研究は職長(作業長)といった第一線の監督者に率いられた職場単位に目を向けて,そこで新技術導入によって旧来の熟練が解体される姿や,OJTによって新しい熟練が形成される姿を描きだし,そうした熟練のあり方をベースにして職場秩序を明らかにし,さらには職場のあり方から事業所レベルの労使関係を説明してきたのである.甚だしい場合は,特定の職場秩序を取り上げることで,当該企業のみならず,その企業が属する産業の「労働問題」が説明されさえした.いささか誇張すれば,研究は代表的な単一職場の中にその時代の労働問題を明らかにする鍵が隠されているとの分析視角から進められたのである.
こうした観点の形成に大きな影響を与えた氏原正治郎の論文「わが国における大工業労働者の性格」は, 1950年代の京浜工業地帯の鉄鋼,電機など4つの企業を取り上げたものであったが,各企業については構成員12人から14人の職長や組長が管理する職場を取り上げているに過ぎない.この論文は合計でも50人の労働者が所属する4つの職場をもって,当該産業や同時代の重化学工業の職場を代表させて,そこから日本の労働問題を照射しようとした.氏原論文で提示された単一職場還元論とでもいうべき観点は,その後の労働問題研究にも受け継がれていった.日本企業における労働をめぐる問題は10人から30人程度の職場といった小さな組織のあり方から説明されたのである.
このような分析の枠組の問題点は,第一に.職場が比較的狭く捉えられたために,職長単位の職場の上位にある技師や技術員の管理する組織や,さらにその上位の管理者が責任を持つ組織といったより広い範囲の組織が説明の枠組の中に入ってこないことである.その結果,「職場」の問題が職長単位では完結せずに,工場.事業所といった組織単位にまで広からざるを得ないといった側面が軽視されてしまった.戦後の組合が工場レベルに支部をおいたように,特に工場レベルで職場を捉える必要があるが,これまでの研究は工場の一部にしか目を向けてこなかったのである.我々は,職場は職長単位では完結せず,工場レベル,事業所レベルにまで拡大される重層的構造を持った存在だとの観点から分析を進めなければならない.第二の問題点は,事業所が行う労務管理が事業所内の各職長単位職場を横断する形で行われ,労働組合との交渉,協議の主たる場も職長単位の職場ではなく,主に事業所レベルで行われており,工場レベルの協議がそれを補完する,といった労務管理,労使関係のあり方を十分に説明できない点にある.それは,第二次大戦後から今日にいたるまでの事業所レベルの労使関係を解明する上での重大な欠陥ともいうべきものである.
日本の企業別組合の代表的な類型は,事業所別組合である.この組合は,職長単位で起きている問題であっても,事業所レベルで会社側と団体交渉し.労使協議する.こうした労使関係の構造を明らかにするには.職長単位の職場をより広い組織単位との関係の中で分析しなければならないのである.
森建資「官営八幡製鉄所の労務管理(1)」『経済学論集』(東京大学)71巻1号、2005年、4-5頁。
同様の指摘は野村正實も『日本の労働研究』(2003年)において小池和男批判の文脈で行っている。また個人的には、20年近く前に私的会話の中で佐口和郎氏が「そもそも「職場」という言葉で何を言っているのかが実ははっきりしない」と同趣旨の批判を口にしていたことを記憶している。
ここしばらくずっと気になっている問題なのだが、使いどころが難しい。
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