主な単著

 『「公共性」論』honto電子書籍
 『ナウシカ解読 増補版』honto電子書籍



『不平等との闘い』正誤(初版):

21頁「『 人間 不平等 起源 論』 では ルソー は、…… ホッブズ 自身 の 議論 も また 興味深い もの です。」まるまる削除。(2016年6月17日)
178頁3行目の後に以下を挿入。
「またマル1とマル2´の場合と同様に、マル3´とくらべたとき、マル4´では定常状態への収束が遅く、生産水準が永続的に低くなってしまいます。出発点での分配が不平等であればあるほど、より一層収束が遅く、生産水準の低下がひどくなるのも同様です。」(2016年7月19日)

『AI時代の労働の哲学』正誤(初版):

165頁 ×「対外の問題は」 → ○「大概の問題は」(第二版以降修正)

『社会倫理学講義』正誤(初版)

22頁 ×「原題の経済学」 → ○「現代の経済学」

『滅亡するかもしれない人類のための倫理学』正誤(初版)

159頁 ×「不合理ではあるが」→○「不合理ではないが」
170頁 ×「規模の拡張」→○「能力の拡張」

現代規範理論研究会例会報告(2025年11月8日 於:日本大学法学部)

現代規範理論研究会2025年度11月例会報告:長期主義をめぐって

稲葉振一郎明治学院大学社会学部)

 

稲葉『滅亡するかもしれない人類のための倫理学』(講談社、2025)のあとに

 

☆拙著『滅亡するかもしれない人類のための倫理学』の眼目

 

・AI翻訳を用いて英語版を仕上げたが、タイトルは"ETHICS FOR HUMANITY THAT MAY NOT PERISH"とした。

元のタイトルは編集部(互盛央)のもの

「滅びるかもしれないということは滅びないかもしれないということである」

「普通に考えれば「いつかは滅びるだろ当たり前じゃん」だろ。異常なこと言ってるって気づけよ!」

 

・長期主義と存亡リスク論が裏腹であること

長期主義の主張が積極的に意味を持つには存亡リスクが克服されねばならない。

存亡リスクについてまじめに考えるなら長期主義と同等のスケールでものを考えねばならない。

                                                                                           

・「そんなに長生きして何するの?」問題の示唆

倫理学というより美学、あるいは集団的な「人生の意味」問題かもしれないが。

 

・宇宙進出の意義について

 おおまかに言って、人類のコミュニティ自体を複数化することは存亡リスク回避法としてもっともわかりやすい。

 長期主義においては人類存続のために多かれ少なかれ外宇宙進出と拡大は当然と想定されているが、その正当化は本当に可能なのか? を考えた。

 併せて、現状の長期主義においては到達可能な宇宙におけるETIの不在が想定されており、かつその想定には理由があることも理解できるが、無条件に支持はできないことを指摘した。

 「絶滅を避ける」という消極的理由だけではなく、「外宇宙に出るとこんないいことがある」という議論が可能だとしたら何があるか? を考えた。

 

☆本書以降の課題

 

イデオロギーとしての長期主義の有害性とその批判の仕方

もちろん長期主義は思想としては反社会的で有害な思想である。

しかしそうすると普通の意味ではやはり反社会的で有害な思想である反出生主義は長期主義へのカウンターとして機能する限りにおいて役に立つではないか!

そもそもマルクス主義リバタリアニズムも思想としての純粋形においては反社会的で有害である。

というわけで長期主義は人種主義的でエリート主義的で反民主主義的で反自由主義的であるには違いない。しかしその側面を強調しても仕方がない。

理論的にはわかりきった話でつまらない。

実践的に見てもそういう批判ばかりではうまくいかない。だから立岩真也は「正しい優生学と付き合う」とか「能力主義を否定する能力主義」とかいった言い回しをした。

長期主義の射程の中で他の仕方で考えること(存亡倫理)――しかし具体的には?

 

・土井翼『名宛人なき行政行為の法的構造』から

世代間倫理における功利主義帰結主義的アプローチのカント的・契約主義的アプローチの優位性(と見えるもの)の理由――非同一性問題

世代間倫理は関係者間の相互性・互恵性の枠組みでは語れない。

廣光俊昭は先行世代からの贈与の後続世代への贈与への接続をも「互恵性」と語ろうとするが無理がないか?

後続世代への一方的義務を強調するヨナスの議論をより具体的に展開するにはどうしたらよいか?

現実世界における一方的行為の道徳的原理付けの手がかりはないのか?

法律の世界においては、親族関係での贈与、財団への寄付などにおいては、必ずしも特定の相手方は必要とされない。そこでは不特定の相手への行為、相手が(未だ)不在の行為に対する法的規律が問題とされている。

土井は公法(行政法)の範囲において、具体的で個別的であるために通常は名宛人があるとされる行政行為において、実は名宛人がないものがあることを指摘し、そのような行政行為において基本的な対象は人ではなくもの(公物)であると主張する。(背景にはハンナ・アレントや木庭顕の公共性論が存在する。)

ヨナスの場合、一方的義務におけるコミットメントの対象は「人類という理念」という抽象物である。これをより具体化することはできないか? 「人類共同体」とは現状では不在の国家のことである。さてここで「人は国家の存続にコミットする一方的義務がある」というのはまずくないか? たとえ国家が自分を生み育ててくれた恩があったとしても?ヨナスは人類に対する個人の一方的義務のみを指摘し、人類の個人に対する恩恵については特に言わなかった。

人類を理念としてではなく具体的な共同体として実体化すれば、(廣光的?)通時的相互性とでも言うべきものをそこに設定することは容易になるかもしれない。個人は国家ないし人類という共同体に恩があるので、その恩を返す、という風に。しかしそこに全体主義のにおいをかぎ取ってそれを拒絶しようとするならば?(反出生主義ははっきりそれを拒絶するだろう。)

 「人類の理念」を超えた具体的人類共同体へのコミットを避けつつ、かつ「理念への献身」といった空語に終わらない形で、具体的に人類の理念にコミットする行為とは? 世代を超えて存続する公物の将来世代への遺贈?

 

・一方的遺贈は何を解決するのかあるいはしないのか?

改めて確認すると「我々が先行世代からの遺贈の上に存在しているのだから、その恩を返さなければならない」という相互性の論理は意味をなさない。

1.返礼すべき先行世代は存在していないので、恩の返しようはない。

2.反出生主義的に言えば、恩恵を受けているのではなく害を受けている。

先行世代による遺贈は単なる事実、我々の存在の事実的前提条件でしかなく、規範的拘束力はない。

我々は後続世代に一方的遺贈をすることもできるし、しないこともできる。これは単なる事実である。

更にサミュエル・シェフラーによれば、なぜかはよくわからないが我々は自分の死後の未来についても配慮するように事実としてできている。

なぜそうなっているのかはよくわからない。それがわかったところで、あるいはわからなかったところで、何が変わるのか? 

「わかった」ところで、それはどのようなわかりかたか? おそらくは「進化論的暴露論証」になるのかもしれないが、それは言ってみれば「我々は本当は死後のことなど気にしなくてもよいはずなのに、進化のメカニズムによって気にするようにされてしまったのだ」という程度のものだろう。

しかし進化論的暴露論証が大概そうであるように、そこには大した意味はない。有神論の構図に置き換えると、神の作りし「本当は」の水準から「進化のメカニズム」という悪魔による欺瞞によって疎外された、という筋書きになるのだが、唯一神論ないし無神論の構図では神と悪魔の区別がなくなる(一致する)のであり、本来態と疎外態の区別もない。

そう考えればわかったところで、あるいはわからなかったところで、我々は事実として死後について配慮するようにできているというその本性に従うことは別に不合理ではない。

すなわち、一方的遺贈は不合理的であって、しないほうがよい、するべきではない、との論証がなされる見込みは少ない。

だからといってより積極的に、一方的遺贈をするべきだ、しないことは不合理だ、とまで言えるか、は、反出生主義が決定的に論駁されていない以上、言わない方がよいだろう。

 

・長期主義・存亡倫理とはつまるところ、「分析的実存主義」「人生の意味の哲学」に対する「分析的終末論」「歴史の意味の哲学」とでも言うべきものであろう。

 

*文献

立岩真也『私的所有論(第二版)』生活書院

 

 

廣光俊昭『哲学と経済学から解く世代間問題 経済実験に基づく考察』日本評論社

 

 

土井翼『名宛人なき行政行為の法的構造』有斐閣

 

 

サミュエル・シェフラー『死と後世』筑摩書房

 

 

社会政策学会・労働史部会研究会報告(2025年9月13日 於:法政大学市ヶ谷キャンパス)

社会政策学会・労働史部会研究会(2025年9月13日)

稲葉振一郎市民社会論の再生 ポスト戦後日本の労働・教育研究』について

 

報告資料

稲葉振一郎明治学院大学

 

 

「つけ加えておきますと、若い人はまた労働問題研究になっています。ただし、かつてのような労働問題研究ではなく、非正規労働であったり、過労死であったり、女性労働問題などです。労働は問題なのです。しかしその問題は、兵藤さんたちが氏原さんから引き継いだ「労働問題」とは違うんです。」

――野村正實(兵藤釗(聞き手:野村正實・上井喜彦)『戦後史を生きる――労働問題研究私史』同時代社、2019年、495~496頁)

 

◇『不平等との闘い』の主題

依頼があったのでせっかくだからピケティに便乗してお金を儲けたい――と思ったがレーベルの都合で原稿を仕上げてから一年余りも塩漬けを食らってすっかり時機を逸して再版もかからなかった(編集部には詫びを入れさせて初版部数を増やしたが焼け石に水)。

――のはさておき。

労働問題に焦点を当てるのではなく格差の経済理論史全般を通貫するつもりだったが蓋を開けると結局労働に焦点を当てるものとなった(労働と資本の格差、労働者間格差)。

その中で提示した歴史観は「社会問題(格差、疎外)としての労働問題の消滅、単なる生産問題への労働問題の縮退から、社会問題としての労働問題の再浮上へ」というものだった。

ただしそこでは、全体としての経済学がこの労働問題の再社会問題化に取り組む新しい努力をはじめていることを強調して、伝統的な「労働問題研究」のパラダイムが、労働問題の脱社会問題化にいったんは適応しながらも、その再社会問題化に対しての再適応には失敗していることに触れなかった。

それに対して『市民社会論の再生』は、基本的には日本労働問題研究に射程を絞って(なおかつ研究史全般の通覧を避けてあえて個人的関心に強引にひきつけて)、同じ課題を語りなおしたものである。

 

◇事の始まり――東京(帝国)大学経済学部

ドイツ社会政策学の輸入によって労働問題研究は始まる――? ややミスリーディング

大河内一男による転換

社会問題の総合科学としての社会政策→社会問題の根本としての労働問題→社会政策本質論争

東京大学社会科学研究所

*氏原正治

根本にある労働問題の解明へ→社会政策学から労働経済学へ

実態把握のための大量の行政調査の請負

◇「氏原教室」解体以後

個人研究主体化→歴史への傾斜

理論の代替としての歴史・外国研究

経済学化と経営学化→政治経済学の縮退

 

東京大学社会学教室では何が起きていたか?

尾高邦雄→松島静雄→稲上毅→川喜多喬佐藤博樹→?

(ただし佐藤博樹は一橋卒、津田真徴門下)

 

◇雇用職業総合研究所→JIL研究所→JILPT研究所

 

◇東條由紀彦理論へいたる道

大河内一男の社会政策理論→氏原正治郎の労働経済

氏原労働経済学からの政治経済学の脱色→小池和男

政治経済学からの脱色に抗し大河内への復帰を目指すものとしての中西洋国家論

他方分析単位の企業への照準によって経営学化にも先鞭をつける中西

 

*ネオマルクス主義を経由して中西国家論を継承する東條由紀彦

一次史料に沈潜して中西経営史を継承する東條

製糸業を対象とすることによって日本経済史(高村直助、石井寛治)を継承する東條

 

*近代から現代へ 複層的市民社会から単一市民社会

家から企業へ

 

稲葉『市民社会論の再生』第1部の肝

東條由紀彦の日本社会論

自由主義から帝国主義へ」から「近代から現代へ」

複層的市民社会から単一市民社会

ただし後者が個人主義社会になったという意味では必ずしもない

個人が析出されるも実際には企業共同体に支えられる、ただし丸抱えではなく国家と市場という外側がある

「現代=企業中心社会」の図式に収まっており、21世紀の展開をどうとらえたらよいのか不明 依然として「企業中心社会」は続いている、と強弁するのか、それともそのゾンビ化以降の秩序が不明と捉えるのか?

 

市民社会論の再生』第2部の肝

個人主体の市場化の理想が破れ、企業中心の市場化路線に舵を切ったタイミングで、企業の共同体性の維持ができなくなる、というのが20世紀末から21世紀の展開

なぜこの主題を労働経済学ではなく教育社会学を入り口として語るか?

 

◇大河内社会政策論→氏原労働経済学の中で起こったこと

社会政策・社会問題の中心が労働問題に→労働問題の解明が労働経済学に→労働経済学の主題はどこに?

二つの可能性:労働市場と労使関係

東大社研氏原教室においては労使関係が中心主題に→とりわけ大企業労使関係に

労働市場研究も階層構造(二重構造)に関心が向くと大企業中心の序列構造の研究に

主役・分析単位が企業になる

労働サイドにおける労働市場統制の主役は労働組合だが、日本において企業別組合が主流であるので、やはりこちらでも企業が研究の主題としてせり上がる→労使関係というパラダイムの解体、人事労務管理・人的資源管理パラダイムへの移行

以上の展開の中から零れ落ちるもの――ホワイトカラー、第三次産業非正規労働者、女性、等々

「ホワイトカラー化」を標榜しつつ小池和男も当初はブルーカラーしか対象としていなかった(「ブルーカラーのホワイトカラー化」における理念としての「ホワイトカラー」?)

人事労務管理パラダイムへの移行によってホワイトカラー・第三次産業はある程度掬いとられる?

 

もうひとつの可能性:福祉国家の政治経済学

労働組合の存在感の縮退により労使関係パラダイムは説得力を失い、人事労務管理パラダイムへ?

ネオコーポラティズム論を踏まえて福祉国家というアリーナでの労使対決を描くという方向はありえたか? 福祉国家論における階級闘争パラダイムの縮退?

 

企業社会の外部を捉える枠組みの不在→その空隙を埋めた教育社会学のキャリア研究

完全な外側からの来訪者としての京大教育社会学竹内洋『日本のメリトクラシー

東大教育社会学グループにおける計量研究『学校・職安・労働市場

キーパーソンとしての菅山真次(『「就社」社会の誕生)):教育社会学者ではなく日本経済史研究者

ホワイトカラーの労務管理研究からそのキャリアにおける学歴に関心

正規労働者の外部労働市場(新規学卒採用)の本格的研究は経済学者ではなく教育社会学者によって手を付けられた。

(この間主として一橋・慶應を拠点とした計量的労働経済学者たちはなにをしていたのか? 多くは東大系の労働経済学者と同じ主題を、長期統計によって追跡していたということか?)

 

このあたりの事情をどの程度教育社会学者たちが自覚していたかは定かではないが、客観的にはそういう役割を果たした。

完全に無知だったはずはない。苅谷ら東大グループは菅山から情報を得ていたはずだし、またのちに高卒就職の研究に乗り出した乾彰夫は同僚だった労働経済学者上井喜彦(中西・兵藤門下、兵藤の後を襲って埼玉大学学長)の薫陶を受けて労働問題研究を咀嚼、高卒の実証研究前に習作『日本の教育と企業社会』を書き上げる。

更に「氏原教室」時代の東大社研の労働調査のロウデータは教育社会学者の手によって現代的な手法で二次分析にかけられている。

 

以上の事情を咀嚼して労働経済学と教育社会学の成果をもとに『日本社会のしくみ』を小熊英二がまとめるが不思議に反響がない(売り上げは悪くないようだが学術的な評価が不明。いくら新書の一般向け著作とは言え註も完備した著作に学会誌に書評が出ないのはそれまでの小熊の高い世評からするとやや異様)。

 

同様の問題意識をもとに、明示的に東條も意識した20世紀日本社会論として禹宗杬・沼尻晃伸『〈一人前〉と戦後社会』が刊行されたが評価は?

学統を見るならば沼尻は東大の日本経済史の立場から出発した都市計画・地域計画研究者、禹は大河内・氏原以来の東大労働経済学の系譜に連なる最後の一人であり、かつ明示的に東條に論及している。

松沢の教科書『日本近代社会史』は「よくわかる東條由紀彦」と自認する通り、東條の「近代」論の今日的バージョンアップとして過不足ないが、禹・沼尻に隔靴掻痒の感が否めないのは、禹・沼尻のせいかなのか、そもそも東條の「現代」論自体の不鮮明のせいなのか?

 

◇社会政策学が、社会政策の総合科学から、「社会政策の経済理論」化によって労働経済学に縮退した。それを補うために労資関係の政治経済学が導入され、国家レベルでの労資対抗の政治学と、市民社会レベルでの労資関係の経済学の二層構造が展望された。

 

◇しかし他方で、20世紀における労資関係の二層構造とは何か、が改めて問われた。

労働者政党と労働組合の二層構造

労働組合を単位とする団体交渉と、企業・職場を単位とする労使協議の二層構造

 

◇我々は何を必要としているのか

A.雲散霧消した大河内一男→氏原正治郎による東大労働経済学の学統の遺産の鑑定と継承

 

B.東條由紀彦「近代から現代へ」スキームを継承した上での日本社会論の確立

前半、「近代」については松沢裕作『日本近代社会史』が「抜け駆け可能な社会集団」の競争秩序として近代を描いたことによって一応確立した。

後半、第一次世界大戦以降の「現代」についてはどうか? 小熊、沼尻・禹、大沢、野村等々あるが十分か? 『日本現代社会史』は既に書かれたといってよいのか、それともこれから書かれねばならないのか?

「現代」の焦点:個人の「人格承認」と基本的社会集団としての企業という構想は共通。問題は

1そこから漏れるものをどうするか? 

2「抜け駆け可能な社会集団」と同程度に明快な企業社会の特徴づけは可能か?

1大河内・氏原パラダイムは結局大企業基幹工を中軸に見ることで、そことの関係で全体が見えるとした(氏原の労働市場模型の階層構造や、企業を主体ではなくとも参照軸としての老後生活保障システム)。野村、大沢はそのバリエーションである。小熊は更に教育社会学の知見で補完しようとしたが、結局のところ菅山が手を付け野村も注意を払っている領域である。

2「現代」における日本企業社会はたしかに大河内・氏原の次の世代における「労資関係パラダイム」を無効化するようなものであり、それにふさわしいパラダイムをという苦闘がその後の世代を主導する。

 

◇端的に言えばこの図(「明治二〇~三○年代の「労働力」の性格に関する試論」第1図)の「現代」版(更に「現在」版)が書かれねばならないということ。

東條由紀彦「明治二〇~三○年代の「労働力」の性格に関する試論」(『史学雑誌』89巻9号[1980])第1図


候補:神林龍の「正規雇用・不正規雇用・自営業」

   小熊英二の「大企業型」「地元型」「残余型」

小熊図式は社会学的で捉えどころがない。

神林図式は経済学的に明快だが「自営業」の姿が明快ではない。

――もう少し突っ込むと

神林図式では「雇用か自営か」の区別が論理的には先行して、その上で正規雇用か非正規雇用か、という区別が来る。

小熊図式では「大企業型」と「地元型」の区別が先に来てそこにはまらない「残余型」が残される。

外延的には神林の「非正規」と小熊の「残余型」は重なる。しかし神林の場合そこには「非正規の(常用ではない)雇用」という明快な定義が与えられるのに対して、小熊の「残余型」はそうではない。

そもそも「大企業型」「地元型」という区別自体がある明確な基準に則ってされている区別ではない!

神林はやや苦し紛れに「自営業」が実質的に開発経済学でいうところの「インフォーマル・セクター」なのだ、と言ってしまっている。この「インフォーマル・セクター」を単なる残余概念とするか、いま一歩踏み込んだ積極的な規定を与えるか、にかかっていると思われる。

我々は神林を継承しつつ「自営業」を「インフォーマル・セクター」と読み替えた上で「現代」として図式化し、東條的「近代」からそこへの転形図式をどう描くか、という課題を立てたい。

「自営業」は安定している場合には「生業」でありチャーノフ的小農経済モデルで捉えられる、とする。都市部自営業者も農山漁村の自作小作もそこに含まれる。しかし開発経済学的な「インフォーマル・セクター」には資本家的企業ではなくそうした自営業者に補助的に雇用される労働者も含まれるあたりが話をややこしくする。

ピーター・ラスレットの単一階級社会モデル、ライフサイクル・サーヴァントモデルでは、理想的な雇用労働者は、自営業者に雇われて修業期間を過ごし、やがて暖簾分けや相続によって自立し、自家を構えて自営業者になる、というものだったが、実際にはそれができないプロレタリアートもいた。ただそれが少数派にとどまって「階級」として世代的に再生産されなかった。

 

だとすると――

東條の「同職集団型」「窮民型」「生計補充型」をどうとらえればよいかというと、

「近代」において、正規雇用を提供して生活共同体的機能をも発揮する大企業はまだ十分発達せず、生活を維持する基本単位は「家」だとして、「家」に埋没せずその外に出る「労働力」の主要形態をこの三つとするということは、

「生計補充型」は初期の製糸女工のように、企業に雇用されるものの自ら雇用契約の主体ではなく、主体としての「家」の分肢としてはたらくのに対して、「同職集団型」はむしろ「家」の中軸をなす。ただし農家などとは異なり、「家」の自立は「同職集団」の連帯に立脚する。連帯の内実は人的資本と呼びうるほどの強固な内実を持った熟練の場合もあるがつねにそうとは限らない。「窮民型」はそこから零れ落ちる残余である。

それに対して「現代」においては、正規雇用を大量に行う大企業の発展により、「同職集団型」は解消に向かい、かつてそこに属していたような層は正規雇用の「常雇」「本工」に移行していく。大企業はすべてを正規雇用で賄うわけではなく、かつての「生計補充型」の多くは大企業の不正規雇用に吸収されていく。とはいえ農業セクターを中心に「生業」もまた残存している。

あるいはこのようにもいえる。「近代」においてまだ企業は周辺的であり、「家」が生業の担い手であったのに対して、「現代」には「家」の支配的な様態が企業に正規不正規の労働を供給する単位となり、「生業」を営む「家」もむしろそちらを基準とするようになる、という。「窮民型」は主として企業ではなく「家」に雇われる。

 

◇まとめると――

古いマルクス経済学の段階論:自由主義→独占資本主義→国家独占資本主義

留保:国家独占資本主義は独立した段階か? 

その労働問題研究への応用:自由主義段階における職業別組合主義(と社会主義への距離)→独占資本主義段階における一般組合主義と産業別組合主義(と社会主義の興隆)

――このような議論が1960年代には確立した(典型的には小池和男、徳永重良)のに対して、1970年代には

国家独占資本主義段階における二つの契機:戦時動員を契機としての労資同権化の進行と、企業・職場レベルでの制度化(団体交渉と労使協議の二重体制)

という図式が模索され(栗田健、加藤榮一を先触れとしつつ兵藤釗「現代資本主義と労資関係」戸塚・徳永編『現代労働問題』有斐閣、1977所収)、同時に産業とか組合とかではなく国家と個別企業という分析対象の焦点化が提唱された(中西洋『日本における「社会政策」・「労働問題」研究』による研究史整理と、論文『第一次大戦前後の労資関係』隅谷編『日本労使関係史論』東京大学出版会、1977所収)

――以上のような脈絡を前提としつつ「もういい加減「国家独占資本主義は固有の意味での段階かどうかとか不毛だからやめね?」と開き直った果てに東條の「近代から現代へ」論がある。

そこでは過去の段階論的枠組みの生産的清算がなされたうえで、新たな近代観が明示されたが、必ずしも新たな現代観が提示されたとまでは言えない。

なんだかわからない家・団体が複層的に重合していた近代から、国家と企業へと個人が集約された現代へ、くらいのイメージしかわかない。

しかし当の理論枠組みの形成期において既に、この「現代」が過去のものとなったことは意識されていた――では、我々の現在、21世紀はどうとらえられるべきか?

とりあえず近過去としての「現代」、20世紀を雑駁にでも理論化しておくべきである。となるとやはり正規雇用中心の企業社会の下部構造としての単婚小家族、両者ひっくるめての家父長制的身分秩序としての「日本的雇用慣行」というまとめに落ち着かざるを得ない。

それがなぜ、どのようにして崩れて今に至るのか、いま現在の社会編成原理などというものがあるとしたらそれをどう表現するのか?

 

報告資料補遺

 

主題Ⅰ:「近代から現代へ」図式からの転換

a「公共性の構造転換」の反復

b資本主義(と自由民主主義)の先はない

「法の支配と市民社会の確立→資本主義の発展と格差の拡大→市民社会と資本主義の崩壊」の反復

 

主題Ⅱ:「ラディカリズムと保守主義の二枚腰」

自由主義では足りないところを躾け調教とケアが補う

躾け調教とケアには原理原則がない

両者を統合する上位原理はあり得ない

「あらゆる被差別者はマテリアルな闘争とニヒルな闘争を同時に闘わなければならないのですが、これは原理的に両立しがたいのではないか。」(永井均ルサンチマンの哲学』河出書房、1997年、41頁)

ヒルな闘争→リバタリアン

マテリアルな闘争→物取り主義

 

主題Ⅲ:日本社会論へ

産業社会論のバリアントとしての「イエ社会論」「日本型企業社会論」

潰えたオルタナティヴとしての與那覇潤「中国化論」

東條を受けての暫定的図式の試み

a「近代」:抜け駆け可能な社会集団の競争

b旧「現代」(短い二十世紀):日本型企業社会

c現代:?

aについて「同職集団型」「窮民型」「生計補充型」

bについて神林「正規雇用・不正規雇用・自営業」

b,cについて小熊「大企業型」「地元型」「残余型」

aにおける「同職集団型」「生計補充型」は、bにおける生業の単位としての家の衰退のなか、正規雇用と非正規雇用に転換し、消費生活の単位としての現代家族によって統合される。しかし農家を含めた自営業セクターも強固に残存する。「窮民型」の影は豊かな社会の中で薄くなるが、その雇用先は企業の非正規と自営業となる。

決して多数派ではなかった大企業正規雇用が「企業社会」イメージの基軸となるほどに規範性を帯びるためには、現代家族と自営業セクターというセーフティーネットが必要だった?(非正規雇用の主流は「生計補充型」であって「窮民型」ではなく、中小企業正規雇用のキャリア展望として独立開業が想定されていた?)

神林らが指摘する自営業セクターの衰退を真に受けるなら、cにおいては非正規雇用の主要部分の吸収先が自営業よりは営利企業の非正規雇用となり、更にそこでは「生計補充型」より「窮民型」の色彩が強くなる。

 

 

 

森直人による事前コメント

morinaoto.hatenadiary.jp

 

森直人による事後コメント

morinaoto.hatenadiary.jp

久保田さゆり『動物のもつ倫理的な重み』コメント(京都生命倫理研究会2025年3月例会 2025年3月22日 於:キャンパスプラザ京都)

 本書で久保田は動物倫理における「最小主義」的立場を提示しようと試みるが、久保田の議論はどのような意味で「最小主義」と言えるのか? 理論的な負荷、前提が少ないという意味では最小ではない。この意味では功利主義やカント主義の方が理論的前提が少ない。むしろ「自然な常識からの距離が小さい」という意味で、常識道徳からの最小の改編で済む、という意味で最小主義である。つまりある種の保守主義である。しかし出発点としての誰もが認める常識道徳などというものがあるかどうかは自明ではない。ここが理論としての弱点である。
 実際には久保田の議論は、特定の規範倫理学理論にコミットしないといいつつ、徳倫理学の一種として理解できる。ここで動物は道徳的配慮の対象として道徳的地位を持つが、道徳的行為能力を十分には(あるいはまったく)持たない存在として位置づけられる。単純な功利主義は前者を、単純なカント主義は後者を重視するが、その両者の適切なバランスを考える立場であると言える。
 この立場に問題があるとすれば、差別を許容する理論であるということであり、実際久保田の議論は動物を差別する。差別するから大切にしない、蔑視しないがしろにするというわけではない。動物を動物なりに大事にする。しかし人間より劣位に置く。
 そう考えると久保田的徳倫理は功利主義やカント主義に対して道徳理論として劣るようにも見える。なぜなら差別を許容するからだ。これは場合によっては人間の間の差別の正当化にもつながりかねない理論である。しかし先に見たように、それが道徳的patiencyと道徳的agencyの両者を応分に重視するという意味では、理論的にはより包括的でありその意味でより優れているともいえる。
 しかもより包括的かつ保守的であるがゆえの強みもある。たとえば功利主義やカント主義におけるような徹底的な反動物差別主義の立場に立つと、ペット、家畜、野生動物、そのいずれについても長期主義的な観点からすればその扱いに対して大変な困難が生じる。つまりこれらの理論を徹底化すると、場合によっては選択的絶滅主義・反出生主義を帰結したり、あるいは逆にあらゆる動物をペットとして愛玩する、あるいは人間並みに知性化して文明社会の成員として取り込むことを目指す(なぜなら野生動物の生においては苦痛が上回るだろうから)、といった極端な方向性がもっともらしくなるからだ。これに対して久保田の議論からは、より無理のない未来が展望できるだろう。
 またこのような立場は、ペットや家畜など、実際に具体的に動物個体とかかわりあう人間の立場、経験を重視するという点において、純粋に理論的に功利主義やカント主義の立場から展開される議論よりもある意味で豊かなものでありうるかもしれない。

 

 

ハインライン雑感

 ある種の作家には歳をとって経験を積み重ねての円熟ということが言いうるのだろうが、少なからぬ作家には未熟だが破天荒な青春期こそが最良の時代であるのではないか、と時々言いたくなる。
 SFについていえば結局のところかつてのビッグ3、アイザック・アシモフロバート・A・ハインラインアーサー・C・クラークについてもそれは顕著なのではなかろうか。晩年のアシモフによるロボットものと銀河帝国ものとの統合にしても、やり残した宿題を片付けようというその律義さは立派であり、実際そこから我々は思想的課題を引き継ぐことができるのではあるが、文芸作品としてまたエンターテインメントとしてアシモフの晩年の作品が面白いかどうかはまた別の問題である。
 ハインラインにしてもそれは同様で、70年代ともなれば「巨匠」扱いで分厚いハードカバーの大長編をどんどん出すようになるわけだが、正直言って客観性を欠いたおやじの説教が緊張感を欠いたまま垂れ流されるばかりで読むに堪えるものではない。歳をとって右傾化したとかいう簡単な問題ではなく、ハインラインタカ派性は50年代の『宇宙の戦士』どころか40年代の「走れ、走路」あたりで既に明確である。そうではなく、その臆面もなく独善的な主張が、世界とぶつかり合って試される緊張感のあるなしが、作品としての価値を決める。
 そのような意味でおそらくハインライン最良の作品の一つが、戦後間もなくの中篇「深淵」ではあるまいか。日本でも子供向けの縮約版(『超人部隊』『ノバ爆発の恐怖』等)が複数出回っているので、意外と知られている作品だろう。
 単純に言うとこれは冷戦期にはさらに流行した、スパイアクションと超能力を組み合わせた作品であり、その点あからさまな冷戦ヒステリーのカリカチュアである『人形つかい』と似たところが多少なくはないが、展開のサスペンスにしても構造的な深みにしても比較にならない面白さであると個人的には思う。またその後のSFで繰り返されるいくつかのモチーフを大胆に結晶化させた作品でもある。
 第一に興味深いのは、当時すでに隆盛しておりハインライン自身も取り上げたこともある「突然変異によって超能力を備えた超人類」というモチーフに、ある意味引導を渡しているというところだ。作中でキャラクターたちは「超人類とは何か?」と問答した挙句、「超能力なんてのはテクノロジーで代替できる程度のもので、もし本当に超人類と呼びうるものがいるとすれば、人類を凌駕した知性の持ち主であるということになるはずだ」という結論に到達している。
 第二に、ではそのような超人類と人類との、あるいはエリートと一般大衆との関係は、という問題が次に問われる。腕利きのスパイである主人公は、権力者の指先一本で世界を灰燼に帰す超兵器の秘密を巡る暗闘の中、自分の組織もまた権力者に絡めとられてどうにもならなくなっている中を、権力者を監視する一方で自分に目をつけてもいた超人類の組織に救われ、スカウトされ、訓練されて自らも超人類に成長していくが、その中で抜き差しならない葛藤に直面する。つまりエリートたる超人類と一般大衆たる旧人類とを分けることは「差別」ではないか、ということだ。世界を破滅させかねない技術を手に入れながらそれをうまく制御できない旧人類を、超人類は裏から手をまわして管理する、それは本当に正しいやり方なのか、と自由で民主的な社会に忠誠心を持つ主人公は苦悩する。
 結局のところ後年のハインラインはこの苦悩をあっさりと振り捨てて独善に居直る。エリートが大衆を導いてやるのは当然だし、導くに値しないとなれば見捨てて勝手に自分たちでやってよろしい。そういうメッセージを垂れ流して恥じるところがないのが後期のハインラインである。
 ある意味で似通った、しかし微妙に異なる展開は「レンズマン」のエドワード・E・スミスにも見て取ることができよう。出世作「スカイラーク」シリーズでリベラルな主人公のシートンの敵役を一貫してつとめる悪の天才科学者デュケーヌは優生主義者のファシストだが、結局血が通って生き生きした魅力を放つのはデュケーヌの方であり、シリーズ完結編で世界を救うのも結局はデュケーヌなのだ。

 

 

 

稲葉振一郎×竹下昌志×吉川浩満「人間と人間以外の倫理の未来」『宇宙・動物・資本主義──稲葉振一郎対話集』(晶文社)刊行記念(2024・8/15 本屋B&B )稲葉振一郎資料

https://bbarchive240815a.peatix.com/

 当日語り切れなかった部分を含めて資料を公開する。

 

*自己紹介
稲葉振一郎
明治学院大学社会学部教授
専攻はとりあえず社会哲学
英語の学術論文は宇宙倫理学に集中している。
日本語ではAI倫理学関連の論文もある。
社会学史、経済学史、政治哲学、およそ思いついたことは何でも書いてみる人生。

 

0.コメントへの回答と反問

*本書は総じて深層学習以前のAI像にとどまっており、それゆえの限界があるので、歴史的コンテキストを振り返ると、
機械学習以前のAI・ロボット像=人工生命・人造人間
理想的極限においては自律的エージェントとなる。
哲学の主題としてのAI・ロボット:「どのような機械であればそれを自立した知性と呼びうるか?」という思考実験の課題(その系論としてのAI・ロボット倫理――AI・ロボットの正しい遇し方とは?)
機械学習直後のAI・ロボット像=直近においては半自律的道具、将来においては人工神
自律的エージェントでありかつ人間には理解不能・制御不能(ボストロムの超知能)
現代の言葉でいうAIアラインメント問題の出現
機械学習普及後のAI像=古典的な意味での自律的エージェントへの期待の衰退と、にもかかわらず理解不能・制御不能な道具としてのAI像
自律した身体を備えたAIエージェントとしてのロボット像の衰退
理解不能制御不能な道具としてのAIについてのアラインメント問題
飛浩隆『自生の夢』の「野生の詩藻」のイメージはそれを予感している?

*長期主義の中での動物倫理の可能性について質問
田上孝一『はじめての動物倫理学』では家畜・ペット全廃論と、現存の家畜・ペットに対する選択的反出生主義とでもいうべき展望が提示されている。この主張は現行の動物倫理学の中では必ずしも異端でも奇矯でもない。
・更に田上は功利主義者ではないがマルクス主義者として近代的進歩主義者であり、その延長線上にその動物解放論はある。つまり過去の人間は動物を搾取せずに生きていくことが難しかったが、技術の発展により動物を搾取しない生き方が可能となったのであり、かつそれが道徳的にも優る以上、動物を解放すべきである、と。
・ただ、こうした進歩主義に立ち、かつ長期主義的な展望をとって動物解放を追求すると、やがて野生動物の解放戦略についての深刻な対立が生じうるのではないか。つまり現状では野生動物の解放とはただ単に手を出さないようにすること、が最大公約数的考え方だが、野生動物の生において快楽と苦痛のどちらが優越するか、という問いを立て、苦痛が優越する、との答えが出たならば、功利主義的観点からは野生動物に対する反出生主義が帰結しうるし、それを取らずにかつ徹底的な進歩主義を取って、あらゆる動物をペット化する、という発想も生じうるし、現に論じられている(功利主義の枠内で「仁愛的畜産論」が成り立つ以上、それより明らかにましな「仁愛的ペット論」が成り立たないわけがない)。(cf.デイヴィッド・ブリンの「知性化(uplift)」)
・長期主義的展望をとると、動物解放思想の中でも功利主義・カント主義・マルクス主義等の近代派はいずれこの種のパズルにたどり着くのではないか、と予想される。これに対して反近代派(アニマル・スタディーズ?)はこのパズルを免れる可能性が高い。しかしそもそも反近代派は長期主義の枠組み自体を拒絶する?

 

1.長期主義の文脈:功利主義から効果的利他主義

 

功利主義復権
シンガーによる応用倫理学基礎理論としての汎用性の例示
パーフィットによる総量主義の復権ベンサム的原点への回帰
その実践的展開としての効果的利他主義(EA)

 

*効果的利他主義の当初の焦点:グローバル倫理、援助の義務
グローバルな援助をいかに効果的に行うか?
・限られた援助資源をより効率的に使う。
・援助に充てられる資源そのものを増やす→人によっては(直接的には資源の消費となる)援助に従事するよりも、資源そのものの生産に注力し、その成果を寄付した方が、結果的に援助に充てられる資源を最大化できる。
←これへの典型的な左翼的批判:資本主義の全面的肯定である。
援助を必要とする貧困は、実は資本主義の帰結ではないのか?
←ありうべき反批判は当然、ルソーに対するスミスの批判の再演になる。資本主義による格差が拡大しても、最底辺の生活水準が絶対的に向上すればよいのでは? と。

 

*効果的利他主義の派生態としての長期主義
効果的利他主義は総量功利主義を踏まえており、そこでの目標は歴史を通じての幸福の最大化である。
他の条件を一定とすれば人口は多ければ多いほどよく、それゆえ未来における人口の更なる増加と生活水準の向上、それを可能とする経済成長、宇宙の植民地化を求める。
理論的には、未来における人類の更なる繁栄のために、現在を含めたそれ以前の人類が一定の犠牲を払うことも、歴史的な幸福の総量が増大するなら、正当化されうる。(理論的には古典的な総量主義への批判においてしばしば持ち出された、「最大多数の最大幸福」が少数の犠牲の上に実現されることの許容と同じ理屈である。)
パーフィットの「いとわしい結論」による懐疑は長期主義にも適用されるが、現時点での長期主義者は「いとわしい結論は(見かけほどは)いとわしくない」という方向に傾きつつある。

 

2.現代という時代の特権性の主張

 

産業革命前後から今日まで、人類社会は人口や生産力で測ってパーセントのオーダーでの成長を遂げてきたわけであるが、これは過去の人類史で言えばほんのつい最近のことであるのみならず、未来においてもこれほどの高成長は持続しえない。
彼の指摘を真に受けるなら、パーセントのオーダーでの成長が可能な未来はせいぜい数百年のオーダーということになる。仮にこの見立てが厳しすぎたとしても、一桁上げても数千年であり、宇宙論どころか地球物理学的にも大した時間ではない。
既に宇宙論の研究者によって、宇宙膨張ゆえに観測可能な宇宙の範囲自体がやがて相対的に狭まり、あらゆる天体はやがて光速を超えて我々から遠ざかって観測不可能になり、観測可能――つまりは到達可能な範囲は局所銀河群、よくておとめ座銀河団に限られしまう、と我々は指摘されていたはずである。ということは仮に人類が滅びずに何億年というオーダーで生き延び、宇宙に広がっていったとしても、いずれは利用可能な物理的資源の限界にぶつかるということである。もちろんその利用効率を上げていくことは可能だろうが、それにも上限が存在する可能性は高い。

 

3.長期主義への批判

 

*長期主義のライバルとしての加速主義
長期主義は功利主義の系譜に連なるため、個別主体の自由それ自体には目的的価値を認めず、それが真に幸福の実現につながるなら、個人的自由の制限、人類社会全体の計画的管理を容認するが、それに対して加速主義はリバタリアニズムの系譜に連なり、自由の制限を悪とする。また効率の観点からも、技術発展、生産力の増大のためには規制を最小化し、個人的な自由を最大化した方がよい、と考える。
細かく言うと加速主義の源流は一部のポストモダン左派のアナーキズムテクノクラシーの悪を技術の規制によってではなく、技術を万人に平等に開放することによって克服しようとする立場だったが、現代において強い影響力を持つのはむしろ右派的なリバタリアンの系譜に連なり、平等を重視しない立場である。これを効果的加速主義(e/acc)と呼ぶ。
長期主義も効果的加速主義も最終目標においては大差なく、対立は主に手続的レベルに存する。

 

*優生主義という批判
少なくとも千年単位、より本格的には百万年単位、一億年単位をも射程に入れる以上、自然な進化のプロセスによる人類の末裔の現生人類からの変化、地球環境そのものの変化の可能性までをも考慮に入れる以上、人間の性質の変化の可能性を考慮に入れないわけにはいかない。もちろん理論的には一切の人為的変化を拒絶するという選択もありうるが、現実的ではない。超長期的な時間的射程の下での人類の存続をめざすならば、その中での人間性の変容は、たとえ人為的な介入によるそれが禁じられても自然に起こらざるを得ないし、また全面的に禁じることが正当かどうかもわからない。それゆえに長期主義においては人間の「品種改良」の可能性について考えることはタブーではない。しかしこれは結局のところ優生主義への滑りやすい坂の上にあり、そのつもりはなくとも人間の間での差別と選別の正当化につながる危険がある、との批判もなおありうる。
ただひとつ指摘しておくと、長期主義における「優生主義」は伝統的な優生主義、特にいわゆる社会ダーウィニズムとは明確に異なるものである。社会ダーウィニズムにおいては近代社会の秩序、とりわけ福祉国家体制が、本来であれば自然選択によって淘汰される弱者を生存させる、という発想が支配的だった。しかしより洗練された進化生物学理解を踏まえた長期主義においてはむしろ反対に、人間が価値を置くものが進化的な適応にとってプラスだったのは人類が文明を獲得する以前の環境においてのことに過ぎず、未来永劫そうだとは限らない――それこそ現代の技術文明の下で、文化や娯楽を愛するという性質は進化的な意味で適応度が低く、その証拠に少子高齢化はとどまるところを知らない。現在の人間性はESSではなく、現在の技術文明の環境に対してより適応度が高いミュータントの侵入に対して脆弱である、とボストロムは論じる。

 

*反出生主義からの批判
功利主義の土俵に乗りつつも、快楽と苦痛のバランスシートは一般的にはマイナスになる、基本的には生において苦痛は快楽を上回る、と反出生主義は主張する。この立場からすれば、人口を増やせば快楽の総量は増えたとしても苦痛の総量もそれ以上に増える。ここで言う「人口」は功利主義と同じく狭義の人間や知的生命のみならず可感的存在全てを含むので、この主張には相応の説得力がある。文明化された人間(知的生命)世界においては、快楽が苦痛を上回ることは可能だが、自然界においてはそれはありえない。
←動物倫理学者からは野生動物の生にも介入して快苦バランスをプラスにすることは理論的には可能でありやるべきだ、との反批判がある。(ここで動物倫理と環境倫理の蜜月が破れる?)
同様のことは可感的人工知能システムにも当てはまる。

 

*「機会損失」という発想
長期主義において、現在を犠牲にしての未来の繁栄という方略の正当性を支えるのは、ひとつには時間的中立性であり、それ以上に、現在において存在し生存している者と、現存せず単なる可能性でしかない者との間にも中立性を想定する、という発想である。
要するに、実現可能な価値を実際に実現しないことは「機会損失」として、現にある価値の毀損と同等の損失」として悪であり、避けられるべきことである、となる。
功利主義においても平均説、人格影響説をとる立場、更にカント主義的な立場からは、このような「機会損失」は現に存在する価値の損失に比べれば圧倒的に重要性を欠く。
ヨナスの場合、人は人類の存続に対する義務を負うが、特定の個人の誕生に対する義務は負わないし、個人は生まれてくる権利を持たない。
総量功利主義はこのような発想における実在と非実在(未実在)の非対称性を不整合性と批判するが、批判者はこの非対称性は決定的なものであるとする。

 

*宇宙植民の可能性を考慮に入れた場合における疑義
フェルミパラドックスに対する一つの回答としてのグレート・フィルター仮説は、ある意味でボストロムの存亡リスク論のバリアントであり、およそ知的生命とその文明は宇宙に本格的に進出する前に滅びるか、あるいは滅びないとしても何らかの理由で宇宙に本格的に進出することはない、と考える。そうだとすれば現在の我々人類が他の知的生命・文明を観測できない理由が説明できると同時に、我々人類とその文明も宇宙に進出できるほど長くは存続できないだろう(あるいはひきこもることを選ぶだろう)、という予測が成り立つ。この理論に反駁するためには、知的生命と文明は宇宙にありふれている、というその背後仮説の否定、つまり少なくとも観察可能な範囲の宇宙には我々人類のほかに知的生命・文明は存在しない可能性が極めて高い、と考えねばならない。もちろん仮にそうだとしても我々人類が絶滅を回避できるという保証にはならないが、少なくとも絶滅は不可避ではないという保証にはなる。
そのように考えるならば、人類絶滅は無視できない可能性だが不可避ではない、とする長期主義は、フェルミパラドックスに対する否定的・懐疑的解答、「観察可能(到達可能)な範囲の宇宙には他に誰もいない」仮説にある程度コミットせざるを得ない。それゆえにまた長期主義者は宇宙植民に対する楽観的立場に立つ。
おそらくは以上のような論理に基づき、長期主義者はETとの接触可能性、並びにETの道徳的取扱いについて真剣に考慮していないが、それはどこまで正当化できるか? 銀河系外植民の可能性を考慮に入れるならばそうはいっていられないのではないか?
この宇宙内に他にも複数の知性が存在するならば、その総体の幸福が目指されるべきであり、だとすれば可能な限りの植民地化が目標として掲げられるべきとは限らないのではないか?
そもそも光速度の壁を前提としたとき、恒星間文明はシングルトンの下に統合可能か?
シングルトンが不可能だとしたら、恒星間文明にどのような利点があるのか? 小規模でも高速で運動できる惑星、恒星系レベルの文明にはできないが、大規模だがのろのろとしか動けない恒星間文明にならできる(にしかできない)こととは、いったい何か?

 

*参考文献
ウィリアム・マッカスキル『見えない未来を変える「いま」』(みすず書房、2024)
Émile P. Torres. Human Extinction: A History of the Science and Ethics of Annihilation.( Routledge, 2023)
稲葉振一郎「「コンタクト・パラドックス」とその同類たち」『明治学院大学社会学社会福祉学研究』(161),1-31. https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3876&file_id=18&file_no=1

稲葉振一郎「巨大事故、グローバル災害と人類の未来」『明治学院大学社会学社会福祉学研究』(160), 107-126. 

https://meigaku.repo.nii.ac.jp/?action=repository_uri&item_id=3870&file_id=18&file_no=1

「会社主義」試論(メモ)

新刊の続きとして

 

 

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 1990年代の劈頭を飾った東京大学社会科学研究所の全体研究は『現代日本社会』(報告書は東京大学出版会刊)であり、第一巻の序論に明示されるように、その主導アイディアは当時の現代日本を「会社主義」というキーワードで形容するものであった。このキーコンセプトとしての「会社主義」は基本的に宇野派のマルクス経済学者馬場宏二と、民主科学者協会法律部会の憲法学者渡辺治の合作である。

 馬場宏二の「会社主義」概念は、彼と盟友であった財政学者加藤榮一が、師たる大内力の国家独占資本主義論を踏まえてともどもに形成しつつあった現代資本主義論を、主として労働経済学者小池和男の日本的労使関係論と、弟子の橋本寿朗の日本重化学工業論を念頭に置きつつ適用したものである。それは20世紀、ことに高度成長以降の日本資本主義を、20世紀前半から中葉にかけての資本主義の先導国であったアメリカ合衆国に代わって、世界の資本主義の新段階を主導する新たな典型国として理解しようとするものだった。

 日本資本主義の一見したところの特殊性を「後進性」「封建遺制」としてではなく、「国家独占資本主義」とかつて呼ばれた20世紀の組織資本主義のヴァリエーションとして捉えよう、つまり日本を異常でも後進的でもない普通の先進資本主義国として捉えようという志向は、日本マルクス経済学全体の中では反主流ではあったが、馬場たちの世代以降の宇野派の研究者たちには広く共有されていた。大内の財政金融政策、ことにインフレーション政策による労資対立の緩和を軸に据えた独自の国家独占資本主義理解に、より広く、労使関係制度の整備による労資協調、社会保障の整備といった福祉国家体制、それを支える国際環境としての管理通貨制度、更にそれらの実現を後押しした経済外的なコンテクストとしての世界大戦と戦時動員の経験、といった論点を加えて加藤榮一の現代資本主義論は形成され、馬場もそれを受容した。更に馬場はそれを戦後日本資本主義に適用するにあたって、小池和男の日本的労使関係論を全面的に受容し、20世紀の組織資本主義において普遍的に進行する労働市場の内部化、中核的従業員の長期雇用(日本的に言えば「終身雇用」)と内部昇進制(の結果としての見かけ上の「年功賃金」、その背後に貫徹する能力主義的合理性)、それを支える企業・事業所単位の交渉を軸とする労使関係、と言った諸特徴において、日本はそれに当てはまるどころか、20世紀中葉までの資本主義の主導国とされたアメリカ合衆国以上に、それらを徹底的に推し進めた典型国、先進資本主義として捉えられる、とした。そして馬場はこのような日本資本主義は、市場経済を軸としたれっきとした資本主義でありながら、同時に、その主役である企業が共同体的な生活保障機能をその従業員に対して発揮していて、福祉国家による社会保障を補完している、というより企業による雇用保障を軸とした生活保障こそが日本的福祉国家の主軸をなしているという意味で、社会主義的な色彩をも帯びている、とする。それどころか、東側社会主義の経済停滞が明らかになった80年代においては、西側資本主義の中でもトップクラスの成長率や雇用の安定を誇る日本は、公式的な社会主義以上の成果を上げる実質的な社会主義だ、とも。これを表すための言葉として馬場は「会社主義」を選ぶ。

 このようなほとんど日本礼賛論ともいえる馬場の「会社主義」論に対して、渡辺治の取るスタンスはもっとストレートに批判的、左翼的である。しかしながら渡辺は、職場の労働運動の熱心なリーダーであり、共産党系の社会運動にも熱心にコミットする活動家学者であるが、おそらくは職場である東大社研での馬場など他の研究者たちとの交流もあってか、それまでの共産党系の論者たちとは異なり、日本資本主義のある意味での先進性、とりわけその生産力の高さと、その成果を労働者にも配分することなどを通じて、労働者大衆の支持を得ているところを率直に認め、そうした強い統合力のある支配体制といかに戦うか、という問題の立て方をしていた。左翼の側でのこうした問題設定の源流は、60年安保前後の新左翼日本帝国主義自立論にあると言え、新左翼諸党派の知的生産性はその後急落したものの、グラムシヘゲモニー論なども踏まえて、豊かな社会における満足した労働者に支持される資本主義をどう批判するか、という課題は党派を超え、またアカデミーの内と外の両方で受け継がれた。しかし80年代までは共産党系や社会主義協会派などの旧左翼においては、戦後においても日本資本主義は後進的で、労働者は弾圧されており資本主義への忠誠心など持たない、という理解が公式的なものであった。80年代においてこの壁を破った共産党系論客として渡辺の存在は突出していたのである(ノンセクトのイデオローグとして著名だった菅孝行が高い評価をしている。菅編『モグラ叩き時代のマルキシズム』現代企画室、1985年)。渡辺は日本社会の現状に関する事実認識においては馬場とほぼ一致していたが、距離を置いた肯定、とも言うべきシニカルでアイロニカルなスタンスをとる馬場とは異なり、日本社会の「会社主義」を打倒すべき敵とみなしており、その点では小池と事実認識を共有しつつ日本的労使関係への批判的スタンスを貫いた熊沢誠からも影響を受けている。

 日本資本主義論としての「会社主義」論の要は、ことに加藤の現代資本主義論との違いに注目するならば小池理論の受容である。加藤の場合は労資協調の基盤としての労働市場の内部化は、政治・社会統合の面ではプラスではあれ、経済・生産力面ではむしろ重荷、制約として理解される傾向があった。しかし小池理論を受容するならば、労働市場の内部化は独占資本主義段階においては経済合理的であり、雇用の長期化や賃金の硬直化といったマイナス面は、労働者の就業意欲と、小池の言う「知的熟練」、長期雇用の元での能力の向上(特に不測の事態への対応能力や「改善」への参加)を高めることによって相殺されてあまりあることになる。馬場はここまで見込んで日本を20世紀終盤という時点での資本主義的先進国と捉えたのである。その上日本は、労働者を含めた民衆の生活水準の向上と安定を達成するにあたって、既に行き詰まりを見せいていた東側の計画経済以上の成果を挙げているのだから社会主義としても悪くはない――馬場はこのように日本を位置づける。とはいえ馬場によればそのような日本でさえも資本主義の究極的な限界としての、自然環境の制約を克服することはできないと予想するので、彼の議論は手放しの日本礼賛論とはならないが、資本主義へのオルタナティヴとしての社会主義への展望は(日本「会社主義」を含めても)そこにはない。

 さてこうした「会社主義」論はバブル崩壊以降の日本経済の展開によって見放されてしまったわけであるが、それに対して論者たちがどう対応したかについてはさておいて、それを社会思想史的脈絡の中に置きなおしてみると、それは日本文化・社会論のマルクス主義ヴァージョンということができるが、それ以上に、産業社会論の一ヴァリエーションにも結果的になってしまっている、と言えるのではないか。もちろんそれはあくまでもマルクス主義の図式にのっとっており、産業社会論のそれとはその基礎からして異なる。にもかかわらず結論的には産業社会論の収斂理論と奇妙に似通ったところに到達しているのだ。

 当時の日本における産業社会論を代表するのは村上泰亮であり、彼の「イエ社会」論、「新中間大衆」論はまさに「会社主義」論のカウンターパートである。とはいえ村上の場合にはその要は日本的労使関係・雇用慣行からは微妙にずらされている。村上は小池同様、そうした長期雇用、労働市場の内部化を先進資本主義における普遍的な傾向と見なす。しかし小池とは異なり、日本をそうした傾向における最先端とも明言しない。村上が日本の特徴と見なすのは政府による産業政策、産官関係とそれに基づく業界秩序である。その中には「護送船団行政」と揶揄されることもあった、強い規制と引き換えに保護された銀行業界があり、更に「メインバンクシステム」と呼ばれた、銀行依存度の高い企業の資金調達慣行があった。歴史的経緯としては多分に偶然が作用しているが、戦後の財閥解体によって持株会社による旧財閥系企業のガバナンスが解け、更に高度成長期の証券不況以降、一般の投資家が委縮して、大企業間での株式の相互持合が進み、その下支えを銀行が行うようになった。つまり乱暴に言えば最終的なセーフティーネットを、政府による強い規制の下にある銀行が引き受ける形で、多くの企業が資本市場による統制、資本家によるガバナンスから独立した擬似的な自律性を獲得してしまった、というストーリーである。類似の議論は多く見られたが、村上のこの経済論は、上記の業界と規制官庁との共生関係に加えて、議会については包括政党としての自民党主導のコンセンサス・ポリティックスという理解を提示した政治論と、そうした包括政党の支持基盤としての、明確な断絶を欠いた「一億総中流」のなだらかな階層構造として日本社会を捉える「新中間大衆」社会論と合わさって、包括的な日本社会論として広く受け入れられた。そしてこの村上の議論を踏まえるなら、「会社主義」論を含めた、戦後日本を企業中心社会論として捉える議論は、総じて産業社会論のヴァリエーションであったことが見えてくる。そこで描かれる企業は、従業員の生活保障に責任を持つ疑似共同体であるのみならず、資本家の統制からも自律した、つまり資本家の利益の実現のための道具ではなく、それ自体の存続を自己目的化した組織として理解されているのである。

 総体としてみれば産業社会論は冷戦終焉と体制転換によって失効宣告されたわけではあるが、会社主義論は社会主義の崩壊によってではなく、バブル経済の崩壊によって忘れ去られることになった。つまりそこには若干の時差があり、東側の体制転換と日本における不況の深刻化の過渡期には、しばしば戯画的に「日本こそ最も成功した社会主義である」と言われることもあり、また日本企業を大真面目に「従業者主権企業」としてモデル化する試みもあった。だが産業社会論も会社主義論も、単に事実によって陳腐化され、失効させられただけであって、果たしてそのどこに誤りがあったのか、の総括はいまだ十分になされていない。

 まずイエ社会論の主導者村上泰亮についていえば、社会主義の終焉には間に合ったが、バブル崩壊後の不況の本格化を見る前に没しているために、十分な自己総括を行う余裕がなかったうらみはあるが、しかし晩年の、おそらくは自己総括を目指したはずの大著『反古典の政治経済学』におけるいくつかの将来予測的記述を見る限り、その予測は無残なまでに外れていることに嘆息せざるを得ない。そもそも村上の基本的なスタンスとしては、社会主義の崩壊にもかかわらず、自己の理論枠組みの大枠の変更の必要はそもそも感じていなかったように思われる。産業社会論の枠組みからすれば市場主導か計画主導かは産業化における二つのオルタナティヴな方向性にほかならず、現実はその混交に他ならない。『反古典』においてはそのスタンスは「開発主義」なるキーワードによってあらわされ、この「開発主義」の濃淡によって市場主導か計画主導かの相違が理解される。ソ連型の指令経済は歴史的使命を終えたものの、市場を適切に生かす形での適切な政策的介入の必要性、有効性は当時の中進国の成果が示している、と村上は理解していた。その上で未来におけるイデオロギーの更なる後退、ナショナリズムの衰退を村上は予想した。国際関係についてもアメリカのリーダーシップの後退を予想しつつも、その穴を日欧主導の協調体制が埋めることを村上は期待していた。村上のこうした予想を後知恵的に嗤うことはたやすいが、何を彼が見落としていたのか、は問題とされねばならない。

 馬場宏二はと言えば、問題そのものから逃避したと言える。彼の会社主義をも含めた資本主義への評価はアンビバレントなものであり、伝統的な窮乏化論に換えて彼は資本主義の富裕化論をかねてから唱えていた。日本会社主義はいわばその先端を走るものと位置付けられていた。しかしながらこの富裕化はいずれ地球環境の限界に突き当たって行き詰る。それが彼の最終的な予想であった。それに比べれば日本会社主義の失速など些末なことにすぎない。そのようにして晩年の彼は日本資本主義について語ることを回避し、地球全体の過剰富裕化の不吉な予言に逃げ込んだ。

 渡辺治の場合は、最も傷が少なかったかもしれない。不況下において労働者を取り込む余裕をなくし、あからさまに抑圧的となった日本資本主義を批判していれば、イデオローグとしての彼の面目は潰れない。しかしそこには何の知的価値も残されていない。

 

 その上で改めてまとめてみよう。村上泰亮の「新中間大衆」論において注意すべきは、「新中間大衆」が実体概念ではないということである。マルクス主義的な階級理論の枠組みにおける新中間階級ではないのはもちろん、産業社会論的な階層概念における新中間層ともずれる。敢えて言えばそれは準拠集団であり、人々が自己を「中流」と見なすセルフイメージである。そのことと村上における小池理論の扱いとはおそらく関係している。小池と同様村上は労働市場の内部化、労使関係のホワイトカラー化を日本特有のものとは見ていない。しかし小池や「会社主義」論の場合は日本を先進的とするところでやはり日本を特別視している。その意味でそれらは「日本型企業社会論」「企業中心社会論」である。しかし村上は日本社会の特異性をそこに見てはいない。日本経済の特殊性は、労働市場の内部化よりも、金融界の「護送船団」において顕著な、産業政策によって保たれたゆるい業界秩序である。村上は「安定雇用の下でホワイトカラー化した労働者たちが「新中間大衆」の中核にある」といった言い方を避けている。実態的に見ればこうした安定雇用のサラリーマンたちも、旧中間層たる自営業者や農民も、消費行動や価値意識において大きな差を持たず、その多くが、先述したような産業政策と業界秩序を官僚機構とともに支えている、包括政党化した自民党を、緩やかに消極的に支持しているありさまがまさに「新中間大衆政治」なのである。

 それに比べると「会社主義」論を含めた、この時代における日本社会の批判理論は、はるかに労働市場の内部化を重視している。村上の場合には日本の豊かさや先進性の原因として日本的労使関係はそれほど特権化されておらず、産業政策や金融秩序が、少なくとも高度成長期までの追いつき型近代化には有効だったことの強調の方が目立つ。それに対して「会社主義」論においては、トヨタなどが特権化され、日本型生産システムの先進性が強調される。批判理論ヴァージョンにおいてもそれは同様であり、では豊かさの成果を労働者にも与えるそれがなぜ批判の対象となるかと言えば、それが過労死にまで行きつくような労働強化、人間疎外をもたらすからである。

 このように、村上ヴァージョンと「会社主義」ヴァージョンとの微妙な差はあれ、バブル期までの、ジャパンアズナンバーワンの時代における日本社会論は、ある意味で産業社会論のヴァリアントであり、産業社会論が社会主義の崩壊によって外在的に失効させられたのと同様に、バブルの崩壊によって外在的に失効させられた。事実それ自体によって暴力的に失効宣告をされたため、産業社会論と同様、「そのどこが間違っていたのか」の十分な総括はされないままである。ただ経済学プロパーでは意外と昔から、村上的な産業政策有効論に対する批判は根強くあったし、また「産業政策の有効性は「追いつき型近代化」の局面に限られているのではないか」という但し書きは他ならぬ村上自身によっても与えられていた。後から振り返れば、村上にはマクロ経済学的観点が欠如していたことも重要な問題である。そこで我々はどちらかというと社会学的な、かつ批判的な立場からの日本型企業社会論の失敗の意味について考えてみよう。

 バブル期までのニューレフト的な日本型企業社会論における批判の焦点は、先述の通りあからさまな搾取というよりは疎外であった。擬似共同体的な労務管理のもと、温情と裏腹の抑圧的な管理社会が、企業を中心に形成されている――そのようなイメージがそこでは展開されていた。それに加えて、そのような「豊かさの中での抑圧」は日本に限らず先進資本主義諸国に共通する問題である一方、あからさまな貧しさ、搾取が現代資本主義には不在である、とされていわけではない。グローバルに見れば途上国はなお貧困にあえいでいるのであり、先進諸国の繁栄は途上国の搾取の上に成り立っている、日本を含め先進諸国の労働者大衆はどちらかというと搾取者の側にいる、という発想がともすればそこには見え隠れした。そうなると、これはもちろん理論内在的な失敗ではなく、まさに外的な事実の力による失効であるが、日本にとってはバブル期あたりから明らかになってきた新興工業地域の台頭、それらの中進国かと、なかんずく改革開放以降の中国の躍進という展開が、こうした日本型企業社会論のリアリティの破壊にひと役買っていることは否定できない。「日本ら先進諸国が貧しい第三世界を搾取している」などというのは「疚しい良心」どころかとんだ思い上がりだったのかもしれない。

 貧困、搾取よりも疎外を、あるいは貧困としても「(多数派の)豊かさの中の(少数派の)貧困」を主眼とするような先進国の批判理論のリアリティは、馬場風に言えば「大衆的富裕」は既定の事実として変わりようがない、という認識に支えられていた。20世紀末以降の先進諸国における格差の拡大は、そうした認識を掘り崩し、先進諸国においてさえ再び貧困を問題化するに至ったといえよう。どういうことか?

 日本固有の事情と、先進諸国に共通の普遍的事情とを分けて考えた方がよいかもしれない。21世紀にはいってある程度経つとマクロ経済学者の間で「長期停滞論」が囁かれるようになり、バブル崩壊以降の日本の長期不況はその前例、先駆である可能性が議論されるようになったが、少なくともかつてはバブル期以降の日本の長期不況の直接的原因は構造的なものというより政策的なもの、バブルに対処すべくなされた急激な金融引き締めのオーバーシュートであり、それ以降も緊縮的な金融政策が長期にわたって維持されたことにある、とされた。この長期不況の中、かつては日本ではあの先進諸国に比べて圧倒的に少なかったとされた失業、不安定就労が悪化し、安定雇用の下で家庭を持つ、というライフサイクルが標準の位置から転げ落ちてしまい、格差を広げている、と。しかしながらこうした不況を免れていた多くの先進諸国においても、20世紀末以降は格差が拡大し、「中間層の没落」が囁かれている。そしてその理由のひとつは実は急激に進展した経済のグローバル化の下での一部の旧途上国の躍進、中進国を通り越して先進国の仲間入りするほどの成長がある。これはもちろんグローバルに言えば世界的な格差の縮小を帰結しているのであるが、これが逆説的にも、旧先進諸国における格差を広げている、というのである。単純に旧先進国の相対的地位が下がったというにとどまらず、旧先進国の中の一部の人々の生活水準を相対的のみならず絶対的に低下させ、不安定化させているのではないか、と。それは単純に言えば貿易障壁の低下、のみならず企業活動自体のボーダーレス化(グローバル・サプライ・チェーンの展開)によって、旧途上国と旧先進国の労働者がより直接的に競争関係に入った(最終製品が世界貿易市場で競争することによって間接的に競争するだけでは済まず、企業がより低賃金でより良質の労働力を求めて生産拠点を世界中に求めるようになることによって、「世界労働市場」のようなものができつつある)からである。旧途上国の工場労働者によって、先進国の工場労働者の地位は脅かされているのだ。後知恵になって恐縮だが、80年代の「日本型企業社会論」にはほとんどこうした可能性は射程に入っていなかった。もちろん日本を含めた企業活動のグローバル化はよく知られていたものの、そこで予想されていたのはせいぜい「日本モデル」の普及、先進国の豊かさ(と疎外)のトリクルダウン、スピルオーバーくらいでしかなかった。まさに日本が貿易摩擦において欧米を脅かしているのと同様に、将来においてインドや中国が日本を含めた先進諸国を脅かす可能性など、ほとんど真面目に議論されていなかった。

 上の議論は渡辺に代表されるような広義ニューレフトの批判理論を意識しているが、実際のところは馬場や小池ら、非ラディカルや保守にも当てはまるものだろう。

 

 

 

 

 

 

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