主な単著

 『「公共性」論』honto電子書籍
 『ナウシカ解読 増補版』honto電子書籍



『不平等との闘い』正誤(初版):

21頁「『 人間 不平等 起源 論』 では ルソー は、…… ホッブズ 自身 の 議論 も また 興味深い もの です。」まるまる削除。(2016年6月17日)
178頁3行目の後に以下を挿入。
「またマル1とマル2´の場合と同様に、マル3´とくらべたとき、マル4´では定常状態への収束が遅く、生産水準が永続的に低くなってしまいます。出発点での分配が不平等であればあるほど、より一層収束が遅く、生産水準の低下がひどくなるのも同様です。」(2016年7月19日)

『AI時代の労働の哲学』正誤(初版):

165頁 ×「対外の問題は」 → ○「大概の問題は」(第二版以降修正)

『社会倫理学講義』正誤(初版)

22頁 ×「原題の経済学」 → ○「現代の経済学」

哲学の位置について私見

「人の生きづらさについて社会学はそれを生み出す社会体制・環境のメカニズムを明らかにし、その変革を通じて何とかしようとするし、心理学は個人の心身にはたらきかけて何とかしようとするけど哲学はどうなのか?」と問われて「臨床哲学とか応用倫理学だとあまり変わらないけど、本来の意味での哲学ならどうかというと、実は社会学も心理学も暗黙の裡に、社会体制・環境にせよ個人の心身にせよ変わりうるもの、変えることができるものと考えていて、そこに介入して変えることもできるしまた変えないこともできると考えている。というよりその前提を外すと成り立たない。しかし哲学の場合「変えようがない・どうしようもない・どうにもならない」という可能性にまで広げて考えることができる。実証科学とそれを前提とした技術論・政策論にはそれは禁じられている。」と答えてみた。
哲学だと決定論や運命論も考えてよいけど、科学では実はだめだ(実験もできなくなる)、という風に理解していただいてもよいかと。
ではそういう哲学が世の中的に実証科学と違う受け止められ方をするかというと、実のところ応用倫理学では実証科学と変わらずに実践的指針を出しちゃうし、仮に決定論や運命論の立場から何か言っても、それもまたある種「セラピー」として受容されてしまって、普通の臨床哲学とか自己啓発と結果的には変わらないのだと思う。
ではそこに違いがないかと言えば決してそんなことはないのだが、世俗的にはないも同然なのではないか。

お買いもの

まとめて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

紀要論文二点

「巨大事故、グローバル災害と人類の未来」『明治学院大学社会学社会福祉学研究』160号

meigaku.repo.nii.ac.jp

 高校での模擬授業です。

 

「「コンタクト・パラドックス」とその同類たち」『明治学院大学社会学社会福祉学研究』161号

meigaku.repo.nii.ac.jp

 

 査読のない紀要論文ですが、これをもとにした国際学会(SPT 2023 : Technology and Mobility)での報告(査読付き)を行い、更にSETIをテーマとした論文集(英語)に寄稿します。

いただきもの

 いろいろとたまった

 

 

 よい教科書。

 

 何故か(もとの連載にはあった)ニーア論がない。