社会政策学会・労働史部会研究会(2025年9月13日)
稲葉振一郎『市民社会論の再生 ポスト戦後日本の労働・教育研究』について
報告資料
稲葉振一郎(明治学院大学)
「つけ加えておきますと、若い人はまた労働問題研究になっています。ただし、かつてのような労働問題研究ではなく、非正規労働であったり、過労死であったり、女性労働問題などです。労働は問題なのです。しかしその問題は、兵藤さんたちが氏原さんから引き継いだ「労働問題」とは違うんです。」
――野村正實(兵藤釗(聞き手:野村正實・上井喜彦)『戦後史を生きる――労働問題研究私史』同時代社、2019年、495~496頁)
◇『不平等との闘い』の主題
依頼があったのでせっかくだからピケティに便乗してお金を儲けたい――と思ったがレーベルの都合で原稿を仕上げてから一年余りも塩漬けを食らってすっかり時機を逸して再版もかからなかった(編集部には詫びを入れさせて初版部数を増やしたが焼け石に水)。
――のはさておき。
労働問題に焦点を当てるのではなく格差の経済理論史全般を通貫するつもりだったが蓋を開けると結局労働に焦点を当てるものとなった(労働と資本の格差、労働者間格差)。
その中で提示した歴史観は「社会問題(格差、疎外)としての労働問題の消滅、単なる生産問題への労働問題の縮退から、社会問題としての労働問題の再浮上へ」というものだった。
ただしそこでは、全体としての経済学がこの労働問題の再社会問題化に取り組む新しい努力をはじめていることを強調して、伝統的な「労働問題研究」のパラダイムが、労働問題の脱社会問題化にいったんは適応しながらも、その再社会問題化に対しての再適応には失敗していることに触れなかった。
それに対して『市民社会論の再生』は、基本的には日本労働問題研究に射程を絞って(なおかつ研究史全般の通覧を避けてあえて個人的関心に強引にひきつけて)、同じ課題を語りなおしたものである。
◇事の始まり――東京(帝国)大学経済学部
ドイツ社会政策学の輸入によって労働問題研究は始まる――? ややミスリーディング
*大河内一男による転換
社会問題の総合科学としての社会政策→社会問題の根本としての労働問題→社会政策本質論争
◇東京大学社会科学研究所
*氏原正治郎
根本にある労働問題の解明へ→社会政策学から労働経済学へ
実態把握のための大量の行政調査の請負
◇「氏原教室」解体以後
個人研究主体化→歴史への傾斜
理論の代替としての歴史・外国研究
経済学化と経営学化→政治経済学の縮退
◇東京大学社会学教室では何が起きていたか?
尾高邦雄→松島静雄→稲上毅→川喜多喬→佐藤博樹→?
(ただし佐藤博樹は一橋卒、津田真徴門下)
◇雇用職業総合研究所→JIL研究所→JILPT研究所
◇東條由紀彦理論へいたる道
*大河内一男の社会政策理論→氏原正治郎の労働経済学
氏原労働経済学からの政治経済学の脱色→小池和男へ
政治経済学からの脱色に抗し大河内への復帰を目指すものとしての中西洋国家論
他方分析単位の企業への照準によって経営学化にも先鞭をつける中西
*ネオマルクス主義を経由して中西国家論を継承する東條由紀彦
一次史料に沈潜して中西経営史を継承する東條
製糸業を対象とすることによって日本経済史(高村直助、石井寛治)を継承する東條
*近代から現代へ 複層的市民社会から単一市民社会へ
家から企業へ
稲葉『市民社会論の再生』第1部の肝
東條由紀彦の日本社会論
「自由主義から帝国主義へ」から「近代から現代へ」
複層的市民社会から単一市民社会へ
ただし後者が個人主義社会になったという意味では必ずしもない
個人が析出されるも実際には企業共同体に支えられる、ただし丸抱えではなく国家と市場という外側がある
「現代=企業中心社会」の図式に収まっており、21世紀の展開をどうとらえたらよいのか不明 依然として「企業中心社会」は続いている、と強弁するのか、それともそのゾンビ化以降の秩序が不明と捉えるのか?
『市民社会論の再生』第2部の肝
個人主体の市場化の理想が破れ、企業中心の市場化路線に舵を切ったタイミングで、企業の共同体性の維持ができなくなる、というのが20世紀末から21世紀の展開
なぜこの主題を労働経済学ではなく教育社会学を入り口として語るか?
◇大河内社会政策論→氏原労働経済学の中で起こったこと
社会政策・社会問題の中心が労働問題に→労働問題の解明が労働経済学に→労働経済学の主題はどこに?
二つの可能性:労働市場と労使関係
東大社研氏原教室においては労使関係が中心主題に→とりわけ大企業労使関係に
労働市場研究も階層構造(二重構造)に関心が向くと大企業中心の序列構造の研究に
主役・分析単位が企業になる
労働サイドにおける労働市場統制の主役は労働組合だが、日本において企業別組合が主流であるので、やはりこちらでも企業が研究の主題としてせり上がる→労使関係というパラダイムの解体、人事労務管理・人的資源管理パラダイムへの移行
以上の展開の中から零れ落ちるもの――ホワイトカラー、第三次産業、非正規労働者、女性、等々
「ホワイトカラー化」を標榜しつつ小池和男も当初はブルーカラーしか対象としていなかった(「ブルーカラーのホワイトカラー化」における理念としての「ホワイトカラー」?)
人事労務管理パラダイムへの移行によってホワイトカラー・第三次産業はある程度掬いとられる?
もうひとつの可能性:福祉国家の政治経済学
労働組合の存在感の縮退により労使関係パラダイムは説得力を失い、人事労務管理パラダイムへ?
ネオコーポラティズム論を踏まえて福祉国家というアリーナでの労使対決を描くという方向はありえたか? 福祉国家論における階級闘争パラダイムの縮退?
企業社会の外部を捉える枠組みの不在→その空隙を埋めた教育社会学のキャリア研究
完全な外側からの来訪者としての京大教育社会学・竹内洋『日本のメリトクラシー』
東大教育社会学グループにおける計量研究『学校・職安・労働市場』
キーパーソンとしての菅山真次(『「就社」社会の誕生)):教育社会学者ではなく日本経済史研究者
ホワイトカラーの労務管理研究からそのキャリアにおける学歴に関心
正規労働者の外部労働市場(新規学卒採用)の本格的研究は経済学者ではなく教育社会学者によって手を付けられた。
(この間主として一橋・慶應を拠点とした計量的労働経済学者たちはなにをしていたのか? 多くは東大系の労働経済学者と同じ主題を、長期統計によって追跡していたということか?)
このあたりの事情をどの程度教育社会学者たちが自覚していたかは定かではないが、客観的にはそういう役割を果たした。
完全に無知だったはずはない。苅谷ら東大グループは菅山から情報を得ていたはずだし、またのちに高卒就職の研究に乗り出した乾彰夫は同僚だった労働経済学者上井喜彦(中西・兵藤門下、兵藤の後を襲って埼玉大学学長)の薫陶を受けて労働問題研究を咀嚼、高卒の実証研究前に習作『日本の教育と企業社会』を書き上げる。
更に「氏原教室」時代の東大社研の労働調査のロウデータは教育社会学者の手によって現代的な手法で二次分析にかけられている。
以上の事情を咀嚼して労働経済学と教育社会学の成果をもとに『日本社会のしくみ』を小熊英二がまとめるが不思議に反響がない(売り上げは悪くないようだが学術的な評価が不明。いくら新書の一般向け著作とは言え註も完備した著作に学会誌に書評が出ないのはそれまでの小熊の高い世評からするとやや異様)。
同様の問題意識をもとに、明示的に東條も意識した20世紀日本社会論として禹宗杬・沼尻晃伸『〈一人前〉と戦後社会』が刊行されたが評価は?
学統を見るならば沼尻は東大の日本経済史の立場から出発した都市計画・地域計画研究者、禹は大河内・氏原以来の東大労働経済学の系譜に連なる最後の一人であり、かつ明示的に東條に論及している。
松沢の教科書『日本近代社会史』は「よくわかる東條由紀彦」と自認する通り、東條の「近代」論の今日的バージョンアップとして過不足ないが、禹・沼尻に隔靴掻痒の感が否めないのは、禹・沼尻のせいかなのか、そもそも東條の「現代」論自体の不鮮明のせいなのか?
◇社会政策学が、社会政策の総合科学から、「社会政策の経済理論」化によって労働経済学に縮退した。それを補うために労資関係の政治経済学が導入され、国家レベルでの労資対抗の政治学と、市民社会レベルでの労資関係の経済学の二層構造が展望された。
◇しかし他方で、20世紀における労資関係の二層構造とは何か、が改めて問われた。
労働者政党と労働組合の二層構造
労働組合を単位とする団体交渉と、企業・職場を単位とする労使協議の二層構造
◇我々は何を必要としているのか
A.雲散霧消した大河内一男→氏原正治郎による東大労働経済学の学統の遺産の鑑定と継承
B.東條由紀彦「近代から現代へ」スキームを継承した上での日本社会論の確立
前半、「近代」については松沢裕作『日本近代社会史』が「抜け駆け可能な社会集団」の競争秩序として近代を描いたことによって一応確立した。
後半、第一次世界大戦以降の「現代」についてはどうか? 小熊、沼尻・禹、大沢、野村等々あるが十分か? 『日本現代社会史』は既に書かれたといってよいのか、それともこれから書かれねばならないのか?
「現代」の焦点:個人の「人格承認」と基本的社会集団としての企業という構想は共通。問題は
1そこから漏れるものをどうするか?
2「抜け駆け可能な社会集団」と同程度に明快な企業社会の特徴づけは可能か?
1大河内・氏原パラダイムは結局大企業基幹工を中軸に見ることで、そことの関係で全体が見えるとした(氏原の労働市場模型の階層構造や、企業を主体ではなくとも参照軸としての老後生活保障システム)。野村、大沢はそのバリエーションである。小熊は更に教育社会学の知見で補完しようとしたが、結局のところ菅山が手を付け野村も注意を払っている領域である。
2「現代」における日本企業社会はたしかに大河内・氏原の次の世代における「労資関係パラダイム」を無効化するようなものであり、それにふさわしいパラダイムをという苦闘がその後の世代を主導する。
◇端的に言えばこの図(「明治二〇~三○年代の「労働力」の性格に関する試論」第1図)の「現代」版(更に「現在」版)が書かれねばならないということ。

東條由紀彦「明治二〇~三○年代の「労働力」の性格に関する試論」(『史学雑誌』89巻9号[1980])第1図
候補:神林龍の「正規雇用・不正規雇用・自営業」
小熊英二の「大企業型」「地元型」「残余型」
小熊図式は社会学的で捉えどころがない。
神林図式は経済学的に明快だが「自営業」の姿が明快ではない。
――もう少し突っ込むと
神林図式では「雇用か自営か」の区別が論理的には先行して、その上で正規雇用か非正規雇用か、という区別が来る。
小熊図式では「大企業型」と「地元型」の区別が先に来てそこにはまらない「残余型」が残される。
外延的には神林の「非正規」と小熊の「残余型」は重なる。しかし神林の場合そこには「非正規の(常用ではない)雇用」という明快な定義が与えられるのに対して、小熊の「残余型」はそうではない。
そもそも「大企業型」「地元型」という区別自体がある明確な基準に則ってされている区別ではない!
神林はやや苦し紛れに「自営業」が実質的に開発経済学でいうところの「インフォーマル・セクター」なのだ、と言ってしまっている。この「インフォーマル・セクター」を単なる残余概念とするか、いま一歩踏み込んだ積極的な規定を与えるか、にかかっていると思われる。
我々は神林を継承しつつ「自営業」を「インフォーマル・セクター」と読み替えた上で「現代」として図式化し、東條的「近代」からそこへの転形図式をどう描くか、という課題を立てたい。
「自営業」は安定している場合には「生業」でありチャーノフ的小農経済モデルで捉えられる、とする。都市部自営業者も農山漁村の自作小作もそこに含まれる。しかし開発経済学的な「インフォーマル・セクター」には資本家的企業ではなくそうした自営業者に補助的に雇用される労働者も含まれるあたりが話をややこしくする。
ピーター・ラスレットの単一階級社会モデル、ライフサイクル・サーヴァントモデルでは、理想的な雇用労働者は、自営業者に雇われて修業期間を過ごし、やがて暖簾分けや相続によって自立し、自家を構えて自営業者になる、というものだったが、実際にはそれができないプロレタリアートもいた。ただそれが少数派にとどまって「階級」として世代的に再生産されなかった。
だとすると――
東條の「同職集団型」「窮民型」「生計補充型」をどうとらえればよいかというと、
「近代」において、正規雇用を提供して生活共同体的機能をも発揮する大企業はまだ十分発達せず、生活を維持する基本単位は「家」だとして、「家」に埋没せずその外に出る「労働力」の主要形態をこの三つとするということは、
「生計補充型」は初期の製糸女工のように、企業に雇用されるものの自ら雇用契約の主体ではなく、主体としての「家」の分肢としてはたらくのに対して、「同職集団型」はむしろ「家」の中軸をなす。ただし農家などとは異なり、「家」の自立は「同職集団」の連帯に立脚する。連帯の内実は人的資本と呼びうるほどの強固な内実を持った熟練の場合もあるがつねにそうとは限らない。「窮民型」はそこから零れ落ちる残余である。
それに対して「現代」においては、正規雇用を大量に行う大企業の発展により、「同職集団型」は解消に向かい、かつてそこに属していたような層は正規雇用の「常雇」「本工」に移行していく。大企業はすべてを正規雇用で賄うわけではなく、かつての「生計補充型」の多くは大企業の不正規雇用に吸収されていく。とはいえ農業セクターを中心に「生業」もまた残存している。
あるいはこのようにもいえる。「近代」においてまだ企業は周辺的であり、「家」が生業の担い手であったのに対して、「現代」には「家」の支配的な様態が企業に正規不正規の労働を供給する単位となり、「生業」を営む「家」もむしろそちらを基準とするようになる、という。「窮民型」は主として企業ではなく「家」に雇われる。
◇まとめると――
古いマルクス経済学の段階論:自由主義→独占資本主義→国家独占資本主義
留保:国家独占資本主義は独立した段階か?
その労働問題研究への応用:自由主義段階における職業別組合主義(と社会主義への距離)→独占資本主義段階における一般組合主義と産業別組合主義(と社会主義の興隆)
――このような議論が1960年代には確立した(典型的には小池和男、徳永重良)のに対して、1970年代には
国家独占資本主義段階における二つの契機:戦時動員を契機としての労資同権化の進行と、企業・職場レベルでの制度化(団体交渉と労使協議の二重体制)
という図式が模索され(栗田健、加藤榮一を先触れとしつつ兵藤釗「現代資本主義と労資関係」戸塚・徳永編『現代労働問題』有斐閣、1977所収)、同時に産業とか組合とかではなく国家と個別企業という分析対象の焦点化が提唱された(中西洋『日本における「社会政策」・「労働問題」研究』による研究史整理と、論文『第一次大戦前後の労資関係』隅谷編『日本労使関係史論』東京大学出版会、1977所収)
――以上のような脈絡を前提としつつ「もういい加減「国家独占資本主義は固有の意味での段階かどうかとか不毛だからやめね?」と開き直った果てに東條の「近代から現代へ」論がある。
そこでは過去の段階論的枠組みの生産的清算がなされたうえで、新たな近代観が明示されたが、必ずしも新たな現代観が提示されたとまでは言えない。
なんだかわからない家・団体が複層的に重合していた近代から、国家と企業へと個人が集約された現代へ、くらいのイメージしかわかない。
しかし当の理論枠組みの形成期において既に、この「現代」が過去のものとなったことは意識されていた――では、我々の現在、21世紀はどうとらえられるべきか?
とりあえず近過去としての「現代」、20世紀を雑駁にでも理論化しておくべきである。となるとやはり正規雇用中心の企業社会の下部構造としての単婚小家族、両者ひっくるめての家父長制的身分秩序としての「日本的雇用慣行」というまとめに落ち着かざるを得ない。
それがなぜ、どのようにして崩れて今に至るのか、いま現在の社会編成原理などというものがあるとしたらそれをどう表現するのか?
報告資料補遺
主題Ⅰ:「近代から現代へ」図式からの転換
a「公共性の構造転換」の反復
b資本主義(と自由民主主義)の先はない
→
「法の支配と市民社会の確立→資本主義の発展と格差の拡大→市民社会と資本主義の崩壊」の反復
主題Ⅱ:「ラディカリズムと保守主義の二枚腰」
自由主義では足りないところを躾け調教とケアが補う
躾け調教とケアには原理原則がない
両者を統合する上位原理はあり得ない
「あらゆる被差別者はマテリアルな闘争とニヒルな闘争を同時に闘わなければならないのですが、これは原理的に両立しがたいのではないか。」(永井均『ルサンチマンの哲学』河出書房、1997年、41頁)
ニヒルな闘争→リバタリアン
マテリアルな闘争→物取り主義
主題Ⅲ:日本社会論へ
産業社会論のバリアントとしての「イエ社会論」「日本型企業社会論」
潰えたオルタナティヴとしての與那覇潤「中国化論」
東條を受けての暫定的図式の試み
a「近代」:抜け駆け可能な社会集団の競争
b旧「現代」(短い二十世紀):日本型企業社会
c現代:?
aについて「同職集団型」「窮民型」「生計補充型」
bについて神林「正規雇用・不正規雇用・自営業」
b,cについて小熊「大企業型」「地元型」「残余型」
aにおける「同職集団型」「生計補充型」は、bにおける生業の単位としての家の衰退のなか、正規雇用と非正規雇用に転換し、消費生活の単位としての現代家族によって統合される。しかし農家を含めた自営業セクターも強固に残存する。「窮民型」の影は豊かな社会の中で薄くなるが、その雇用先は企業の非正規と自営業となる。
決して多数派ではなかった大企業正規雇用が「企業社会」イメージの基軸となるほどに規範性を帯びるためには、現代家族と自営業セクターというセーフティーネットが必要だった?(非正規雇用の主流は「生計補充型」であって「窮民型」ではなく、中小企業正規雇用のキャリア展望として独立開業が想定されていた?)
神林らが指摘する自営業セクターの衰退を真に受けるなら、cにおいては非正規雇用の主要部分の吸収先が自営業よりは営利企業の非正規雇用となり、更にそこでは「生計補充型」より「窮民型」の色彩が強くなる。
森直人による事前コメント
morinaoto.hatenadiary.jp
森直人による事後コメント
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