「労使関係論」とは何だったのか(19)

 圷君たちの本を受け取ってちょっとまたまたむずむずしてきたので社会政策論と福祉国家論につきまとめてみる。精密な学説史的考証は後からやればいい。
 まあ「社会政策学の復興」は武川正吾先生のやり方ではだめで、かといって圷さんたちのやり方でもダメで、結局は中西洋先生の仕事を中心に旧社会政策学の伝統をサルベージして徹底的に解体再編しないとどうにもならんよね、ということである。

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 社会政策は社会問題への政策的対応である。「政策」というくらいであるから「運動」でもなくまた狭義の「政治」とも区別されるであろうが、ある意味それは二の次の課題である。「社会運動」にせよあるいは「社会主義」にせよ社会問題の対応であるには違いない。だから科学としての社会政策論は社会問題の科学をその基盤に持っていなければならない。
 19世紀末から20世紀初めのドイツ社会政策学、その継受としての昭和期日本の社会政策学においては、社会政策論にとっての社会問題の科学は経済学――主としてドイツ歴史学派、そしてマルクス経済学――であり、そして社会問題の核心は労働問題であった。当然に社会政策もまた労働政策を中心に理解されることとなった。たとえば貧困問題は失業を中心とする労働市場問題として、社会保険は失業保険をパラダイムとして解釈されるという傾向が生じた。
 また社会政策学の前提、基礎に社会問題の科学(経済学)があるとすれば、社会政策学が科学たらんとするときには、その焦点を社会問題の解決のための実践的考察や、社会問題を批判する規範的判断よりも、社会問題の事実的様相とその発生メカニズムの客観的分析の方に置こうという考え方がどうしても出てくる。そのような発想が戦後日本において、「社会政策から労働問題へ」というベクトルを生み、社会政策学を母体として労働経済学を自立させることとなる。社会的実態の実証分析としての労働経済学と、それに対する規範的提言ならびにそれを実施するノウハウとしての社会政策学、という関連付けが浮上してくる。こうなると参照枠としてドイツ社会政策学、マルクス経済学の他にアメリ労働経済学――旧制度学派、のちには新古典派――、産業社会学なども援用されるようになってくる。
 しかしこのような二分法に飽きたらず、この分割の構造それ自体を対象とする実証分析を志す考え方も当然に出てくる。すなわち、社会問題に対応する政策体系それ自体、更にはそうした政策を生む政治過程を客観的、実証的に分析しようという志向が。この志向が政治社会学マルクス主義国家論と合流し、のちの福祉国家の政治経済学へとつながっていく。ここでも「労働問題」中心主義的発想は威力を発揮する。すなわち、「労働問題」中心主義は「社会政策」の中軸に労働政策を置くのみならず、「社会運動」の中軸を「労働運動」とみなす。すなわち、政治過程における主体としての労働組合を召喚することによって、政策のみならず政治過程・体制をも、「労働政治」――労働政策決定にかかわる政治ならびに労働運動をその一方の主体とする政治――として把握する。そうして社会的下部構造ー政策ー制度ー政治過程を労働(労働市場、労使関係、労働者階級)を中軸として一貫したパースペクティブの下に収めることができる。英国を対象とした栗田健の一連の仕事や戸塚秀夫・徳永重良編『現代労働問題』、あるいは中西洋の国家論、更には財政学畑の加藤榮一の福祉国家論はその具体化であるが、実のところ90年代以降の社会学政治学系の研究者を引き付けたクラウス・オッフェやイェスタ・エスピン=アンデルセンらのネオマルクス主義福祉国家論もまた基本的には構造を同じくしているのである。


 ここで非常に単純化して、「社会政策論から社会問題の科学へ」というベクトルと「社会問題から労働問題へ」というベクトルがオーバーラップすることで「社会政策(学)から労働問題(研究)へ」というトレンドが生じたのだとするならば、「労働問題」という枠組みではよく掬い取れない様々な社会問題が軽視されてしまう可能性がある。というよりもその可能性は現実化し、戦後日本の社会政策学会のメインストリームはむしろ労働問題研究であった。そのような潮流に対して非経済学系、社会学並びに社会福祉学系の研究者は、多様な社会問題への対応としての様々な政策群を対象とする総合的な社会政策研究の必要を訴えた。しかしながらそうした潮流はそれほどの存在感を獲得することはできなかった。それはそれ自体として成長は遂げたが、「労働問題」中心主義を解体するところまではいかなかったのである。なぜか? ひとつにはそのような立場からはそもそも「社会問題の統一科学」などというものができないし、目指されたかどうかも定かではない。だがそのような統一感なしに、既にある程度の統一性を帯びたディシプリンに対抗することは難しい。
 ある時期以降、英米系政治哲学や、あるいはフランクフルト学派フーコー派の批判理論の概念枠を援用した、「批判的社会政策」が存在感を増しつつあるようだが、これは実証分析のレベルでの統一性の確保を断念し、規範的分析(いわゆる「批判理論」の大半は実証分析としては迫力を欠き、実際には「言説分析」の名のもとに消極的な規範理論となっている)のレベルで統一性を確保しようという志向であると思われる。


 しかしながら「労働問題研究」、「労働問題」中心主義の社会政策学が必ずしも安泰であったわけではなく、「社会問題」としての「労働問題」の研究はとりわけ1980年代以降急速に後退し、バブル崩壊後の急速な雇用・労働条件悪化の中、それへの社会的ニーズはむしろ増しつつあるにもかかわらず、21世紀初頭現在、いまだに日本の「労働問題研究」は十分に復興してはいない。
 これはもちろん、非「労働問題」系の社会政策研究の成長のせいではない。「労働問題研究」はもう少し内在的な理由で衰退した。ある意味では衰退などしておらず、ただ変質しただけかもしれない。(おそらくは単なる変質を超えた衰退に襲われていることについては後述。)経済学的視点からの、いや経営学社会学、あるいは法律学などそれ以外の視点からも、労働研究は「労働問題研究」ではなくなった。すなわち「社会問題」としての、特段の政策的配慮の対象となるべき、あるいは社会運動のイッシューとなるべきものとしての「労働問題」が消滅していったということである。労働をめぐるあれこれは、公共政策の課題としてもルーティン化し、枢要の政治課題ではなくなっていった。それらはたとえ「問題」としても主として民間の私的な主体としての企業や労働者個人、そしてまた政治性を薄めてビジネス団体となった労働組合の営為の中で、公的というよりは私的に解決されるものとなっていった。その限りでの労働研究、より具体的には経営学的な人事労務管理、人的資源管理や人材育成といった課題はそれなりの隆盛を迎えはしたが、公的なイッシューとしての「労働問題」の研究の必要感は薄れていった。こうして労働問題研究は単なる労働研究となっていき、そのことをもって社会政策とのつながりはますます薄くなっていったのである。


 もちろん周知のとおりバブル崩壊以降の長期にわたる景気低迷、その中での雇用と労働条件の悪化の中で、社会問題としての「労働問題」は復活し、繰り返すが、客観的には「労働問題研究」への社会的ニーズは復興した。しかしながらかつての「労働問題研究」の伝統を汲む研究者たちの存在感は薄い。それどころか、1980年代の労働研究の脱「労働問題」化にコミットし、公的な支えなくとも十分に民間の市場競争と私的自治によって支持可能なシステムとして現代日本企業の雇用労働システムを描き出した潮流さえも、その存在感を後退させてしまった。
 80年代における脱「労働問題」的労働研究の存在感は、日本独特の雇用労働システム、「日本的雇用慣行」を日本企業、ひいては日本企業全体のパフォーマンスの良さを支える最重要要因としてクローズアップしたところにあった。しかしながらバブル崩壊後の日本経済の低迷の中で、この潮流の知的資産は、現下の「労働問題」に対して何ら有効な処方箋を提示することができなかったのである。
 そしてそうした無力は「労働問題研究」の看板を下ろさなかった研究者たちも共有するものであった。何となればその大部分は現状認識を脱「労働問題」的労働研究者と共有したうえで、その規範的評価においてのみ対立するものであったからである。更には彼らの視野は結局、経済のサプライサイドに限定されていた。しかしながらバブル崩壊以降の危機は基本的にはディマンドサイドのそれだったのである。


イギリス労働組合史論

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現代労働問題―労資関係の歴史的動態と構造 (有斐閣大学双書)

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後期資本制社会システム―資本制的民主制の諸制度 (叢書・ウニベルシタス)

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福祉資本主義の三つの世界 (MINERVA福祉ライブラリー)

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日本的雇用慣行―全体像構築の試み (MINERVA人文・社会科学叢書)

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