法律でできること、できないこと

http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060821#c1156233737

hamachan 『企業にとって不可能なことを法律で義務づければやれるようになるんですか?法律で書けば、何でもできるとでも?

法律でやれるのは、法律で書かなくてもやれるはずなのにやらないことをやらせることだけです。

温情に期待するか強制するかってのは、やれるという前提があって始めて言えることですよ。

グローバル大規模製造業のある方が「これがむき出しの現実だ、直視しろ」といっているということと、それが本当にむき出しの現実であることとは別のことです。もし後者であるならば、キャリア教育も職業レリバンスも糞もない、諦めておこぼれに期待するしかないでしょう。企業以外の主体とやらがある種強い姿勢で向かっていくと、むき出しの現実が変わるんですか?

もしそれで変わるんなら、そんなものはむき出しの現実でも何でもなかったんですよ。』

http://d.hatena.ne.jp/yukihonda/20060821#c1156236323

hamachan 『もう一度お聞きしますが、本気ですか?
私のお聞きしているのは、法律にせよ、社会運動にせよ、企業が客観的にはやれるのに主体的にはやりたがらないことをやらせることはできても、そもそも客観的に不可能なことはやらせられないでしょうということなんですけど。
太陽が地球の周りを回るべしと法律で書けば回りますか?天動説運動を起こせば地球が止まりますか?それが「それはすべての運動や法、制度を否定し人々を無力化する言葉」ですか?
もし法律や運動で「企業の押してくる力を押し返すことが可能」だったのであれば(私もそう思いますが)、そもそも最初にその「むき出しの現実」とやらを不可避の運命と語った言葉が嘘だったんですよ。だって、押されたら引っ込んだんでしょう。引っ込むことが可能だったんです、最初から。むき出しの現実でも何でもなかったんですよ。
私が最初からお聞きしているのはそういうことです。押せば引っ込むと思っているのに、どうして押しても引いても無駄な現実だという言葉を信じちゃうんですか?』