東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」

「今日もフーコーの話があんまりなかった」との感想が……。先は長いよ君。


*段階論についての復習とフーコー権力分析の暫定的位置づけ


 マルクス経済学の段階論は、産業革命を基準に、それ以前が重商主義段階、以降が自由主義段階とされ、典型国はイギリスとされる。帝国主義については19世紀末の大不況以降とされ、典型国はイギリスよりもむしろドイツ、アメリカとされる。
 段階区分の基準は「支配的資本の蓄積様式」とされるが、その具体的内容はそれほど明快ではない。ひとつには企業組織の形態、それと関連しての資本調達の手法が挙げられる。自由主義段階においては少人数のパートナーシップによる、土地抵当金融が支配的であるのに対して、帝国主義段階では公開市場から直接金融で資本を調達する株式会社形態が支配的となるほか、銀行も業務の主眼を商業信用から資本信用へと移行させる、とされる。
 いまひとつには生産力の発展レベル、より具体的には生産力・生産技術が段階区分の基準とされることが多い。単純にいえば重化学工業化の進展が事業単位あたりの資本規模を増大させたため、パートナーシップや土地抵当による資本調達では不十分となり、株式会社や銀行信用が発達した、という論理である。この論理では重商主義から自由主義への以降についても、機械制工業の発展が、従来の商人資本による、中間財流通や信用を媒介とした、生産者の間接管理を不十分なものとし、事業所を直接保有・経営する産業資本家による工場制が発展し、生産者を労働者として直接雇用・管理するようになった、という風に論じられる。
 いまひとつは国家による社会経済政策(の先導理念)を段階区分の基準とする考え方である。日本マルクス経済学において段階論を発展させた宇野弘蔵は、とりわけ対外経済政策、貿易政策に注目する。段階名を「重商主義」「自由主義」「帝国主義」となすゆえんである。重商主義段階は特許会社による独占的貿易と植民地経営によって、自由主義段階は自由貿易と「小さな政府」によって、帝国主義段階は保護貿易主義と植民地経営の再活発化によって特徴づけられる。


 こうした段階論は以後洗練されて近代史研究全般にとっての共有財産となっていく。以下ではいわゆる「国民国家論」の下敷きとなった柴田三千雄(『近代世界と民衆運動』)による整理を念頭において整理していこう。
 重商主義はいわゆる「近世」、初期近代に対応する時代として、西欧先進諸国における絶対王政の時代として位置づけられる。この時代の最先進国はオランダであり、海上覇権を握るオランダへの対抗戦略として、英仏など各国はいわゆる重商主義を採用した、とされる。政治的には「絶対王政」の名の示すごとく有力国は王室を中心とする集権的な官僚制と、一時的な傭兵ではない常備軍を整備していく。また軍備を維持するための財政基盤も整理されていく。殖産興業や貿易独占、高関税などの重商主義的政策も、当時の徴税技術水準の元で税源を確保しようというのであればいたしかたないところもあった。そしてこの時代の国家・社会の形態を柴田は「社団国家」と称する。この時代は王権の拡大、中央集権の進展を見るとは言え、いまなお社会の基本的構造は封建制以来の伝統的な身分・職能・地縁などによる社団的に編成された身分制社会であり、国家の一極集中に対応した、包括的で均質な国民のなす市民社会はいまだ成立しているとはいえない、というのである。
 自由主義段階は狭い意味での「近代」に対応するわけだが、国家の中央集権化に歯止めがかかったり逆行したりということはない。イギリスでは低関税政策その他財政の合理化があって、財政規模的には「小さい政府」化傾向が多少見られたとしても、法制度や官僚機構の整備を中心に、政府の統治権力は一層強力なものになっていく。この時代の社会は身分的な断絶は弱まり、より均質な市民社会へ向かう傾向が見られないというわけではないが、それでもなお政治参加の権利は一部の有産者に限定されていた。この時代の国家を柴田は「名望家国家」と呼ぶ。国家の政治的ヘゲモニーは依然として一部の閉鎖的エリートに握られているが、ただそのエリートの権力基盤は絶対王政の社団国家の身分的特権から、より市場経済に根ざした経済力、それに基づく階級構造へと移行していったのである。
 帝国主義段階は後期近代に対応する。この時代には普通選挙制の開始、社会保険制度や、貧困の原因を個人の資質よりも社会に求める新しい社会観を基盤とし、社会主義への対抗戦略となりうることを期待した福祉国家理念の原型が確立し、それにふさわしい政策も徐々に始まる。この時代の国家を柴田は「国民国家」と呼ぶ。政治主体としての権利はすべての国民の間で平等になるのみならず、義務教育制度やその他の社会政策によって、国家によるサービスの対処つとしても均質な国民のなす一個の市民社会として、そのもとでの社会は観念される。


 フーコーの議論自体は、社会経済史や政治史・法制史とは距離を置いた思想史・科学史のそれであるが、以上に提示したような段階論との相性はそれほど悪くない。まず気付かれることは『言葉と物』『監獄の誕生』などは顕著な例だが、彼が西洋の知の歴史に見出す不連続的な断層は、まさに18世紀末から19世紀初め、市民革命と産業革命の時代に主として求められ、近世の知と近代の知の対比が主題的に取り上げられている、ということである。しかし問題はそれだけではない。
 そもそも発展段階論には固有の危うさがある。マルクス主義者による近代主義――具体的には正統派の経済学の、私的所有制度と市場経済の普遍性を信じている(かのような)経済史観、複数政党制・議会制民主主義中心のリベラル・デモクラティズム――批判の要諦は「ブルジョワ近代主義者は歴史を均質な直線と考えがちである」というもので、かわりにマルクス主義者は、歴史に不連続な飛躍や構造変動の可能性を見て、いくつかの「段階」に歴史を区分しようとする。ただしこうした歴史観は、近代主義とは表裏一体の陥穽にはまりがちであることにも気をつけねばならない。
 段階論が科学的に有意味であるためには、段階区分の基準が明確であることが必要である。しかし既にみたように、そのような基準の候補は複数あるため、基準選択の問題が生じる。実際に我々が歴史を複数の段階に区分する際には、これら複数の基準を組み合わせて直感的に行っているにすぎない。
 むしろ社会経済史や生活史、技術史などに着目した場合、そこに見えてくるのは人々の日常生活やそれを支える社会経済的・自然的環境の連続性であり、日々の変化がごく微小であること、劇的な変動は意外に少ないこと、である。資本主義発展段階論における二大構造転換期としての「産業革命」にせよ「大不況」にせよ、社会経済的な実態に即して、計量的に時代の画期を見出そうとすると、存外困難であることはしばしば指摘されている。すなわち、人々が自覚していない客観的な実態レベルに段階区分の根拠を見つけ出そうとすることは困難――というより危険なことなのである。むしろ我々は、大きく言えば人間の認知的限界に段階論の根拠を求めた方がよい。我々は共時的に、世界の中のさまざまな存在をいろいろな種に分類せざるをえないように、通時的にも、歴史をいくつかの段階に区分せざるを得ない、つまり複雑な現実を複雑なままにとらえることはできず、ディテールを省略した大胆な略図を描かずにいることはできない、ということだ。
 となれば段階区分の基準は、思想や世界観のレベル、そしてそれを経由しての社会的実態への介入としての政策――それも個々の政策よりもマクロ的な先導理念――に求めた方が無難であろう。そしてどうやらフーコーは、こうした問題に気付いていた形跡がある。『知の考古学』において彼は当時のアナール派の人口史・社会経済史研究を念頭に置きつつ、実態的な社会史における連続性と、観念・概念史における不連続・飛躍とを対比していた。『監獄の誕生』『知への意志』そして『社会は防衛されねばならない』『安全・領土・人口』『生政治の誕生』において展開された彼の権力分析もまた、そのように読まれるべきだろう。


 その上で生前公刊された『監獄の誕生』『知への意志』(そして『言葉と物』)をみるならば、焦点はまさにマルクス主義的にいえば「重商主義」段階から「自由主義」段階への移行期に当てられている。そして『監獄の誕生』においては刑事司法制度を焦点に学校、軍隊、工場等を素材として、重商主義段階、絶対王政期における規律訓練権力が発達していくこと、フランス革命前後にその編成原理に重要な転換――家長、主人、王権等々の上位の他者による規律から、自己規律、自己統治への転換が生じていくことを分析している。更に『知への意志』では、19世紀における「性の抑圧」は、実は抑圧という形で人を性的主体へと成形し自己規律させる権力であったのではないか、との仮説を提示している。
 それに続く形の講義『安全・領土・人口』では官房学、ポリツァイ学、重商主義政治経済学に注目し、絶対王政期の規律訓練権力を、刊行された著作における病院や学校、監獄といったミクロ的施設においてではなく、マクロ的な、常識的な意味での「政治」「経済」のレベルで分析している。そして翌年の『生政治の誕生』では、重農主義そして自由主義政治経済学の成立を、統治の後退としてではなく編制替えとして解釈していく。
 『生政治の誕生』ではまた異例なことに、フーコーは「現代」――20世紀について本格的に論じている。そこで彼はフランクフルト学派フライブルク学派、つまり新左翼新自由主義を同時代現象として、後期資本主義に対する別様の反応として解釈することを試みている。
 一見してわかることは、ある意味で段階論的な議論をとりつつ、19世紀「自由主義段階」についての先述の遠近法的倒錯からフーコーが距離を置いていることである。
 伝統的な権力観は、権力を否定的・制限的な作用として、人間の自由・積極性に対して外から制約を加えてくる力として理解する。それゆえ「重商主義段階」、絶対王政はそうした権力の国家への集中として、「自由主義段階」はそうした集中の抑制から逆転、そして「帝国主義段階」――後期資本主義は権力の国家や巨大組織への再集中、ある意味で「重商主義段階」への回帰のようなものとして捉えられてしまう。
 かつてのマルクス主義においては、「帝国主義段階」は資本主義の爛熟・堕落期であると同時に社会主義の準備段階として捉えられていたため、「帝国主義段階」を反動・逆行現象として捉える必要はなかった。しかしながら20世紀末ともなると、「現存した社会主義」の行き詰まりと、「福祉国家の危機」以降の新自由主義の台頭で、「帝国主義段階」の後に来るもの(ポストフォーディズム)がむしろ「自由主義段階」への単なる回帰のようにみえてしまうことになった。
 それに対してフーコーの議論では、人間の自由を含めた社会的なるものを積極的に構築する作用として捉えることによって、別様の問題の立て方がなされている。そこで権力は単純に強化―弱化、集中―分散の循環を繰り返すのではなく、編成の仕方を変えていくものとして理解されている。「自由主義段階」は単なる権力の縮小・後退ではなく、その作動原理の変化、焦点の移動として捉えられているのであり、「帝国主義段階」への移行に際してはまた別様の移動・変換があるだけのことだ。


 それでは、問題のフーコー講義を見ていこう。


言葉と物―人文科学の考古学

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監獄の誕生―監視と処罰

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経済政策論

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