東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」

フーコーの「リベラリズム」(承前)

 ただしフーコーは、アダム・スミスの系譜のみをリベラリズムと見なしているわけではないようだ。

公法に関する根本的で本質的な問題、それはもはや、十七世紀および十八世紀とは異なり、主権をどのようにして基礎づければよいのか、どのような条件のもとで主権者は正当でありうるのか、主権者はどのような条件のもとで自らの法権利を正当なやり方で行使することができるのだろうか、といったものではありません。そうではなくて、問題は、公権力の行使に対し、どのようにして法的な限度を設ければよいのかということです。図式的に言うなら、そのような練り上げに対して十八世紀末そして主に十九世紀初頭に二つの道が提案されました。まず、公理の道、法的かつ演繹的な道、と呼べるようなものがあります。これはある程度までフランス革命の道であり、これをルソーの道と呼ぶこともできるかもしれません。(中略)つまりこのやり方は、簡明な言い方をするなら、人権から出発し、主権の構成を経由して、統治性の境界画定に至ろうとするものです。(中略)それは、法権利の正当性およびその譲渡不可能性という問題を、そもそもの最初から、社会、国家、主権者、統治の理念的ないし現実的な再開のようなものを通じて提起する一つのやり方です。(中略)そうしたやり方は、政治的にそして歴史的に革命家たちのやり方であったにせよ、それが法学者たちによって十七世紀および十八世紀の国家理性に絶えず対置させられていた公法の問題をとり上げ直すものである限りにおいて、遡及的ないし遡行的なやり方であると言えます。そしてまさしくここに、十七世紀の自然権の理論家たちと、フランス革命における法学者たちおよび立法者たちとのあいだに、連続性が見出されるのです。
 もう一つの道は、法権利から出発するのではなく、統治実践そのものから出発しようとする道です。(中略)この道に従うならば、統治の権限の及ぶ範囲はいまや、統治にとって何を行い何を行わないことが有用であり無用であるかということから出発して規定されるようになるということです。(中略)それは、ラディカルな問いであり、イギリス的ラディカリズムの問いです。イギリス的ラディカリズムとは、有用性utilityの問題なのです。
(『生政治』48-50頁)

人権から出発して構想された自由と、被統治者の独立から出発して知覚された自由という、自由に関する絶対的に異質な二つの考え方があるということです。人権のシステムと被統治者の独立のシステム。
(『生政治』52頁)


 もちろんフーコーが主題的に、つまりは「統治」の一種として取り上げているのは後者であるが、前者もまた我々が「リベラリズム」の名で呼ぶところの何かであることは否定できない。すなわち、「政治的リベラリズム」と。それに対してスミス的なそれを「経済的リベラリズム」あるいは「古典的自由主義」と呼んでみよう。後者は(フーコー的な意味での)統治の論理、統治性、つまりは政策論であるのに対して、前者は狭い意味での「政治」の論理、政治哲学であり、西洋政治思想の「正統」に連なるものであることは言うまでもない。
 自明なことではあるが、以下にその構造を確認しておこう。
 とりあえず統治の主体は主権者だとしよう。しかしこの主権者とは誰のことか? もちろんケースバイケースであるが、さしあたり絶対王政においては君主である、としよう。中世立憲主義から近世社会契約説においては、法権利の論理によってこの主権者の統治行為に外側から制約がかけられる、というわけだ。そして統治行為、政策介入に対して臣民の権利をいかに守るか、という風に問題は立てられる。ここでの主題は主権者=君主の法権利、意思と臣民のそれとの葛藤、対決、妥協、線引き等々である。主権者と臣民はそれぞれに別々の権利を有し、目標を持っており、それらは互いに相容れないかも知れず、それゆえに線引きやすりあわせが必要となる。そうした線引きが、旧き法にもとづく臣民の権利、それを侵してはならないという君主の義務の体系に帰結する。
 ただしここで社会契約説は、臣民から君主=主権者への信託、委任があり、後者は前者の代理人である、という結構を持ち込む。更にその近代的バージョン、自然状態論においては、臣民の権利は「旧き法」ではなく超歴史的な自然法に基づく自然権とされる。かくして、とりわけロックの場合のようなそのラディカルなバージョンであれば、臣民の意思の代理人たる君主は、その信託によく応ええなかった場合には、臣民から弾劾され、解任される可能性までもが想定されている。これによって、君主の意思と臣民の意思とがある程度同調し、同じ方向を向く蓋然性が導入されることになる。ここまでくると臣民の法権利は、単に主権を外側から制限するといったものに留まってはいない。そこから人民の意思それ自体が主権を構築するという人民主権=民主政へはほんの一歩である。
 ただし人民主権においては、もはや人民の法権利、意思はそれ自体が主権の内在的契機、本源的構成要素となっている。となれば、人民の法権利がそのようなものであると同時に、従来どおり統治権力に対する防御壁でもあり続けることには一見したところ矛盾があるかのようにも見えてしまう。どうして人民が自らの権利の行使から自らを守らねばならないのか? と。そこで「人民主権においても実際の統治権力の行使の主体、執政者は人民そのものではなく高々その代表者であるに過ぎず、人民ならざる君主の場合と同様、人民から統治権力の行使を委託された存在であるにかわりはない」という論理が必要となる。かくして近代的なリベラル・デモクラシーの論理の基本形ができあがる。そこには統治権力の意志と人民の意志との間にズレが見出されており、そのズレこそがいわゆる「自由」なのである。
 これに対して統治性、政策の論理としての経済的リベラリズムにおけるズレとは、先に述べたとおり別のオーダーに属する。たとえば統治の目標としての国力の増進のために、むしろ統治権力の行使を抑制し、統治の対象たる人民の利益を図る、という構図について考えればよい。この構図を人民の側から見てみれば、おなじみの「みえざる手」の論理、私益の追求が意図せずして公益の実現に帰結する、ということになる。政治的リベラリズムにおけるズレが(半)主権者=人民の意志、権利とその代表=執政者の意志、権利との間に存するとするならば、経済的リベラリズムにおけるズレは意図とその結果、あるいは主観的意志・意図と客観的利益・効用との間に存する。
 更に伝統的立憲主義と政治的リベラリズム、経済的リベラリズムとの距離について見ておこう。政治的リベラリズムは法権利という枠組みで語る点において伝統的立憲主義嫡流に属するといえるが、自らの起源を遡及的に捏造するがゆえの或る困難を抱えている。「旧き法」に基づく伝統的権利が超歴史的な自然法自然権に読み替えられている一方で、実際にはその国家論はどちらかというと法実証主義的な色彩が強い。すなわち、人民主権の国家において法は基本的に立法の所産、実定法とみなされるがゆえに、その分自然法自然権は宙に浮いた理念、フィクションとしての性格を強めてしまう。それゆえ人民、個人の側からの統治に対する外在的制限の力は薄弱となる恐れがある。
 これに対して経済的リベラリズムの方は、法権利の言語圏からは逸脱してしまうものの、主観的・理念的権利の主体としてではなく、客観的利益・効用の主体として個人、人民を捉えなおすことによって、統治権力に対する制限の力を確保しようとしているのである。
 なおこの両リベラリズム――統治の外在的制限の論理――の手前に、統治の内在的制限の論理の、やはり二つのパターンを見出すことができそうである。すなわち、政治的リベラリズムの手前に狭い意味での共和主義の論理、すなわち統治への制限をもっぱら主権システムの内在的整合性に求める論理――憲法学の文脈では、プロセス憲法論やプリコミットメント論がそれに対応するか?――を見出すことができる一方で、経済的リベラリズムの手前にはおそらく、重農主義におけるような、実質的にリベラリズムとほぼ同様の政策プログラムに到達しながら、人民の自由をあくまで国家によって留保されたものとしてしか捉えられない立場を考えることができるだろう。
 もちろんこれはあくまでも論理的な「段階」であって歴史的な発展段階というようなものとして考えられるべきではないが、そのように見えてしまう現実的な歴史の展開はたしかにある。
 しばしば我々はフランス革命以降、「人権宣言」以降の憲法の展開を「近代立憲主義」と呼んでしまうが、まず19世紀においては司法審査制の普及は未だしである。それは19世紀初頭にアメリカ合衆国判例から浮上してきた原則であり、欧州大陸にとってはいまだ疎遠なものである。司法審査制それ自体の制度的な普及は20世紀後半にまでずれ込む。「立法権力をも拘束する憲法)とか、あるいは「民主的決定に抗してでも守られねばならない人権」といった発想に「近代立憲主義」の核心を見てしまうならば、「19世紀においては「近代立憲主義」は未だ確立していなかった」ということになりかねない。おそらく我々は「近代立憲主義」とは別に「現代立憲主義」なる段階を立てるか、あるいは「近代立憲主義」に二つのフェーズを見出す必要があるだろう。すなわち、「普遍的人権」を先導理念としつつも、制度的な重心は議会政治、代議制の確立にこそある19世紀的局面と、司法審査制の確立により防御権としての「人権」が制度化される20世紀的な局面と。
 後者――「近代立憲主義」第二局面ないし「現代立憲主義」において、そして伝統的立憲主義においては、主権者、統治権力に対して、法権利(「普遍的人権」かあるいは「旧き法権利」か)が外在的な制約となっているのに対して、前者――19世紀の、あるいは狭義の「近代立憲主義」においては、そのような主権に対する外在的制約が目立たない。統治権力に対する制約は、それがあくまでも法的な存在であること――それは法の改廃を行い、法を超えることもできるが、あくまでもそれは法的な手続きにのっとった上でのことであること――、という内在的なものとなっているように見える。
 この「前期近代立憲主義」はフーコー的な、つまり統治の論理、政策論という意味ではもちろん、政治哲学という意味でも「リベラリズム」とは呼ばない方がよいだろう。しかしこれは時代的に言えば、統治性としての経済的リベラリズムといくぶんか並行、共存しているはずであり、ドイツ語圏における法治国家Rechtstaatなる言葉遣いはまさにそうした共存を指すものである。
 これに対して「後期近代立憲主義」ないし「現代立憲主義」はまさしく政治的リベラリズムそのものである。ではそれに並行していた統治の理性とはなんなのだろうか? そこで議論は「ネオリベラリズム」へと移行するのである。