東京大学教育学部教育学特殊講義「統治と生の技法」

 今日はICレコーダーを忘れた。まあ録音したのをそのまま起こしても使い物にならないし、いいか。


フーコーの「統治性」

 まずは近世絶対主義の内政国家における統治の論理――フーコーの言葉でいう「統治性governmentality」「統治理性governmental reason」についてのフーコーの議論を確認しておこう。


 フーコーにおける「統治」なる語の用い方には気をつけておかねばならない。すなわちフーコーによれば、国家は統治の唯一の主体などではないし、国家が統治の典型的な主体とみなされる時代は一時的な、過渡的なものに過ぎないということである。フーコーの考えるところでは統治は教会の「司牧」と同一の系譜に連なる営みであるわけで、更に我々はすぐさま「家政」の概念に行き当たる。フーコーが注目する古典主義時代の内政国家とは、いわば「国家の家政」の主体であったわけである。


 話は少しそれるが、フーコー没後20年余の間に世の中ではいろいろなことが起こったが、そのなかにはgovernanceなる言葉づかいの普及も挙げられる。corporate governanceとかglobal governanceといった言葉づかいはごく新しいもの、せいぜい1990年代から一般的になったものであるが、こうした言葉づかいで何を人々は言い表そうとしているのか? それは20世紀にはgovernmentなる言葉がほぼ主権国家ないしその下位機構としての地方自治体の「政府」、憲法的な意味での統治機構や、その業務としての統治行為を指す言葉として定着してしまったあとで、しかしそれ以外にも重要なgoverningの問題領域があったことへの気付きがうんだ言葉づかいなのだろう。
 おそらくこれらの表現が広く使われ始めたのは、社会主義の崩壊、冷戦の終焉と無関係ではない。冷戦の終焉後、いまだ世界政府は出現してはいないにせよ、国際共同体をひとつの社会とし、それを秩序付けるという課題が浮上してきた。それゆえにglobal govenanceという言葉が用いられる。あるいはまた、80年代からの企業買収ブーム、そして社会主義改革の失敗と体制移行は、マルクス主義のみならず収斂理論、その背後にあった産業社会論(インダストリアリズム)の権威をも失墜させた。産業社会論は資本主義―社会主義という経済体制(所有権秩序と取引秩序)はそれほど重要ではなく、より根底的な水準にあるのは産業技術である、と考えていた。しかしながら社会主義の崩壊と企業買収ブームの一般化は、産業という水準は市場よりも根底的であったわけでは必ずしもなく、所有という契機は法人資本主義の下でも依然として重要だったことを明らかとした。経営管理とは組織のアドミニストレーションに尽きるものではなく、経営者を選任し企業を資産として所有する株主の存在は、法人資本主義体制下でも意義を失ってはいなかったのである。そこで狭い意味での「経営」の上位にある企業支配の問題を論じるために、corporate governanceなる表現が一般化した。
 フーコーがこれらの講義で「統治」なる言葉で語っている問題系を、今日風にgovernanceと言い換えてよいものかどうかはわからない。しかしながらフーコーは、governmentと主権国家とを等値してしまいがちな20世紀的偏見から、まずは我々を解き放とうとしている。


 絶対王政以前の伝統的な考え方によれば、王権とは必ずしも統治の主体とはいえず、臣民もまた統治の客体というわけではない。むしろ各臣民はそれぞれに自己の領地、領民、家を統治する主体である。その権利は単なる所有権ではなく、実力を伴った支配権であり、抽象的な人権ではなく、具体的な既得権である。フーコーが近世、いわゆる絶対主義の時代に見て取ったのはこうした秩序が解体し、主権国家が統治の典型的かつ特権的な主体になっていくプロセスである。
 しかしその近世においてもフーコーは「統治のパラダイムとなっているのは国家ではなく、まさに家政の本来の座であるところの家である」と捉えている。この捉え方はもちろん独創的なものではない。あるいは、奇をてらったものではなく、しごく正統的な把握である。

つまるところ、統治には三つのタイプがある。その三つはそれぞれ、異なる形式の学、それぞれに特有の考察に属している。自己統治は道徳に属する。家族をしかるべく統治する術は経済に属する。そして最後に、国家を「きちんと統治する学」は政治に属する。道徳と経済に対して政治が特異性をもつのは当然である。ラ・モット・ル・ヴァィェは、政治は正確には経済でもないし、完全に道徳と等しくもない、ときちんと示しています。ここで重要なのは、ここで展開されている類型論にもかかわらず、道徳・経済・政治が(とくに経済と政治が)本質的には連続しているということがこれらの統治術によって参照され、つねに公準として立てられているということです。君主に関する教説や主権者に関する法理論はたえず、君主の権力とそれ以外のあらゆる権力形式とのあいだが不連続だということをはっきりさせている。そこでは、この不連続性を説明し、価値づけ、基礎づけることが問題となっている。それに対してこれらの統治術にあっては、連続性(下から上への連続性、上から下への連続性)を標定しようとしなければならないのです。
下から上への連続性というのは、国家を統治できるようになりたいと思う者はまず自己統治できなければならないということです。そしてまた別の水準では、自分の家族・財産・領地を統治できなければならない。そして最後に国家を統治するに至る。このようなたぐいの下から上へという線が、当時かくも重要だったあれらすべての君主の教育法を特徴づけることになります。ラ・モット・ル・ヴァイエもその一例を提示している、あの教育法です。王太子のために、彼はまず道徳の本を書いた。それから経済の本を書き[……]、最後に政治論を書いた。さまざまな統治形式のあいだに下から上へというこの連続性を確保してくれるのが君主の教育法なのです。その逆に、上から下へという連続性もあります。つまり、国家がきちんと統治されているなら、一家の父は自分の家族・富・財産・所有物をきちんと統治できるし、諸個人もしかるべく自分を導くということです。この上から下へという線は、国家の良い統治を個人の操行や家族の管理に至るまで響きわたらせる。これこそまさしく、この時期に「内政」と呼ばれはじめる当のものです・君主の教育法はさまざまな統治形式の、下から上へという連続性を確保し、内政は上から下へという連続性を確保する。
 ともかくこの連続性にあって、君主の教育法においても内政においても本質的な部分、中心的な要素はこの家族の統治なのです。そして家族の統治はまさしく「経済」と呼ばれるのです。これらすべての文献に現れている統治術は、本質的に言って次の問いに応えるべきものです。どのようにして国家の管理の内部に経済を導入するか? ここで経済というのは、一家の良き父――妻・子ども・使用人をうまく指導でき、家族の財産を殖やすことができ、家族のために適切な姻戚関係をしつらえることができる父――が家族の内部でおこなうようなやりかたで個人・富・財産を管理するやりかたのことです。そのような注意や綿密さ、一家の父が家族に対してもつこのタイプの関係を、どのようにして国家の管理の内部に導入するか? 政治的実践の内部に経済を導入すること、これこそが統治の本質的目標になると私は思います。十六世紀にはそうだったし、十八世紀にも依然としてそうでした。
(『安全・領土・人口』116‐118頁)


 論点を先取りすれば、『生政治の誕生』におけるフーコーの問題設定、あるいは政治経済学の文脈で言えば、統治を抑制するのは市民社会の自律的な運動法則であって、抽象的な原理としての人権ではない。またこの場合、統治は市民社会に介入できないのではない。介入してもよいことはないから、介入を自制するのである。これはどういうことか? ここでは統治の目標、統治を導く原理が想定されている。そしてそのような構造は『安全・領土・人口』のフーコーによれば、古典的自由主義に先立つ規律的な絶対王政の内政国家の統治理性、「国家理性」から引き継がれたものなのである。

ラ・ペリエールの定義によれば、統治とは物事を処置する正しいやりかたであるが、その物事は、法学者たちのテクストが言っていたような「共通善」という形式へではなく、「ふさわしい目的」へと操導されるというのです。まさしく統治すべき対象であるあれらの事物すべてにとってそれぞれふさわしい目的へと操導される。このことがまず含意するのは、それぞれに特有の目的が複数あるということです。たとえば、統治は人々ができるだけ多くの富を生産するようにはからう必要がある.統治はまた、人々が充分な――さらにはできるだけ多くの――食糧を提供されるようにはからう必要がある.そして最後に統治は、人口が増殖しうるようにはからう必要がある。つまりここにあるのはさまざまな、それぞれに特有の目的であり、それらが統治の目標自体になる。そして、このさまざまに異なる目的に到達するためにおこなわれるのが物事の処置です。この「処置」という単語は重要です。というのも、かって主権において主権の目的(つまり法への服従)に到達することを可能にしていたのは法自体だったからです。つまり、法と主権は絶対的なしかたで一体をなしていた。それに対してここでは、人間たちに法を課すことがではなく、物事を処置することが問題となる。つまり、法よりむしろ戦術を用いること、というか法を戦術として最大限に用いることが問題となる。いくつかの手段を用いてこれこれの目的が達成されるようにはからうことが問題となる。
ここには重要な断絶があると思います。主権の目的が主権自体にあり、主権は道具を法という形で自分自身から引き出すのに対して、統治の目的は、統治が導く当の対象である物事のなかにあるのです。統治の目的は、統治によって導かれるプロセスの完成・最適化・強化のなかに求められるべきとされます。統治の道具は法ではなく、さまざまな戦術になる。したがってこれは法の後退です。というより、統治のあるべき形から見れば、法は主要な道具ではない。(『安全・領土・人口』122-123頁)

 つまり内政国家においてはその目標は国力であると同時に、国力の基盤としての国富、国民の福祉――commonwealth、commonweal、Wohlfartといった言葉で形容されるものであった。国家がその財源を地租・関税といった租税、あるいは公債におく近代的な租税国家となり、その財源を課税対象の富に置くようになった、という事情が背後にはある。重商主義政策論や官房学に体現された内政国家の統治理性は、そうした目標を達成するためにこそ外に対しての植民地主義や内に対しての内政policeなど、介入手法の強化と合理化に努めた。しかしスミスの新しい経済学を典型とする自由主義の統治理性は、この同じ目的を達成するためにこそ、介入の抑制、自制を求めるのである。
 ではこの内政国家における統治の目標・論理と、統治のモデルとしての家族――というより家政とは、どのような関係があるのか?