この間の議論(?)を踏まえて

 ひょっとして『「公共性」論』で間違ったことを書いていないか気になったので少し読み返してみた結果;


*エピローグでの時論的な愚痴は基本的に日本が完全雇用にはないという前提の下で書かれている。しかしその前提がそれほど明示されてるとは言い切れないので、「成長か福祉か」という議論と読まれてしまいがちでミスリーディングかもしれない。


*ただの不況を「資本主義の危機」と大袈裟にいうことへの批判は、当然に不況、すなわち不完全雇用は日常ではないが結構よくあることである、と前提していることになるが、これもやはり十分に明示していない(書いてる最中でこちらも意識から飛んでる?)ので(以下略)


って感じでしょうか。
 まあ『リベラリズムの存在証明』で「モラル・ハザード」の語を全く反対の意で用いていた(「クリーム・スキミング」の意で用いていた)という大ファウルに比べればましですが。(『思想』論文で訂正を入れたが、あれ結局未完のまま放りだしてるんですよ。実に申し訳ない。)