『消え去る立法者』合評会(9月9日・慶応義塾大学三田キャンパス)を終えて(続々)

 繰り返しになるが、社会契約論の図式は、神の立法とはことなり人々の合意へと国家の存在理由をおおいに「民主化」しているように見えるが、「あらかじめ先取りされた、予定された結果としての目的が原因となる」という目的論的図式は共有している。モンテスキューもルソーも、近代社会契約論が、自然状態という原因から現在の国家、法秩序という結果が生じるそのメカニズムをこのような目的論的図式にはめ込んだことを、想定された原因の中にあらかじめ結果を読み込む回顧的錯覚として批判し、それに換えて、歴史の中にこうした目的論的図式に収まらない、人間の力も思惑も超えた客観的な因果連関の力を見出す。しかしそれだけでは、そのような客観的な因果連関、言い換えるならば自然法則の力と、人間の自由意志とそれによる自発的行為の力の関係がよくわからなくなる。両者の関係をそれほど突き詰めず、前者と両立する範囲での後者、という形で立法、統治を位置づけるのがモンテスキューであるとするならば、神のごとき全知とそれゆえの無力、自己抑制を兼ね備えた立法者の中に、両者の根底的な無関係さ、無縁さを描き出したのがルソーである。
 さてそう考えるならば『人間不平等起源論』への回答として書かれたスミス『国富論』は、またこの立法者像を含んだ『社会契約論』のオルタナティヴであり、モンテスキューよりもう少し具体的な形での立法論を展開した、つまり「みえざる手」という言葉とともに、本来人間の希望や思惑とは無関係なはずの歴史の因果連関の力が、実際には、人間の意図どおり、ではもちろんなくとも、人間が意図的にもたらそうとした結果、ないしそれそのものではないがそれと同程度に人間にとっては都合の良い結果をある程度まではもたらしてくれる、と論じたのである。
 17,8世紀の、スミスが「重商主義」と呼んだ政治経済学、あるいはドイツ官房学、そしてルソーが『百科全書』によせた『政治経済論』はおおむね立法者、統治者の「みえる手」によってコントロールされる身体としての社会の経営、つまりは「国家の家政」であったが、フィジオクラシーにおいて予感され、スミスにおいて決定的になった新しい経済学、これは木庭顕によってのちの狭義の社会学と併せて(広義の)社会学と呼ばれるわけだが、それはもはや国家の身体ではなく、固有の運動法則にしたがう自律的な存在としての社会、のちにヘーゲルが「国家」と区別されたものとしての「市民社会」と呼ぶものを対象としている。ルソーはそれを格差と不平等のゆえに批判し、国家の課題をその不平等の克服に置いたのだが、スミスはそうした不平等ごと市民社会を肯定する。それが最底辺までをも底上げして社会を豊かにし、そのことによって不平等が引き起こしかねない紛争を抑え、平和をもたらすがゆえに。
 19世紀以降の社会主義者たちは、スミスの肯定にもかかわらず、やはりルソーの問題提起を受け止めて、不平等を是正し、社会的連帯を打ち立てようとするが、その果てに現れたマルクスは、ルソーもスミスも生真面目にかつ過激に受け止めた挙句、恐るべき方向に踏み出す。
 ルソーの立法者の形象はいかにも、不可能な課題の前に立ちすくむ人間を象徴するかのごときものだったが、それは見方を変えてみれば、人間の希望も思惑も超えたところで独自の法則性をもって立ちはだかる社会に対して、それでもなお立ち向かい介入しようとする人間の自由意志と、その集団的表れとしての政治というものの表現でもある。そしてルソーほど悲劇的にではないが、モンテスキューにせよスミスにせよ、因果性の隙間やあるいはその前提のレベルではたらく政治――というより政策かもしれないが――の余地を認めていた。これに対してマルクスは、ルソーもスミスもあまりに真に受けた挙句に、ある意味で政治を、自由そのものを否定することになってしまうのである。
 どういうことか? マルクスは政治を突き動かす理念や利害の根拠を、人々の物質的存在、経済的な生活基盤に求める。そしてこの経済の運動、歴史的発展のロジックこそ、まさに人間の希望も思惑も超えた因果連関としてはたらくがゆえに、人々の政治活動を導く理念も利害も、この経済の論理によって――より具体的には階級的立場によってきめられてしまうのだ、と論じるのである。単純に言えば生産手段の所有者が政治的支配階級となる。だから市民革命前は封建領主が、その後は有産市民が権力を握るのであり、国家とは、人が社会契約論に求めたような、あらゆる階級にまたがるあらゆる人々の共同体などではなく、またその共通利害、公共の利益のための装置でもなく、ただ支配階級の利益のための道具なのだ、と。かくて法と政治は経済、物質的生産力という土台に規定された上部構造、従属変数とされてしまうのである。
 狭義の社会学、それをうけた20世紀の実証的政治学の集団理論はそうしたマルクス主義への反動であり、経済と政治、市民社会と国家の関係において一方向的な因果的決定を見るのではなく、双方向的な相互作用を見て取ろうとする。事態の記述としてはもちろんその方が正確なのだが、そのことによって理論的明快さ、説明力をかえって失う。それゆえに20世紀末以降は、これらはマルクス的な決定論ではなく、禁欲的な実証主義を採用し、「経済がすべてを決定する」とはいわず「経済学の目から見えるもの以外についてはとりあえず沈黙する」合理的選択理論、ゲーム理論によって主役の座を奪われるのである。