oさんのコメントより

盛りだくさんだったので、
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20080907#c1220772704
から適当に編集します。


*「GDPを増大してパイを拡大すれば、その後に何らかの再分配策によって、全員の状態を改善できる、つまりパレート改善できる」?
→できない!


批判1;

 生産インセンティヴの問題を考慮すれば、成長策を行った後に自由に再分配を行えるというロジックは成立しない――功利主義的な政策はGDPの最大化を実現させるが、その後で、功利主義とは異なる再分配政策を行う事は、人々の生産インセンティヴを変更させる事によって、そもそものGDP最大化の目的遂行を不可能にする。したがって、「成長政策の後に自由な再分配を」というシナリオは実行不可能である。


批判2;
そもそも「GDPの拡大は本当にパレート改善を含意するのか」?
→カルドアの「仮説的補償原理」

 カルドア補償原理は、政策の導入によって社会状態がAからBに変更する事が潜在的なパレート改善を意味するならば、そのような政策は妥当である事を主張します。
したがって、GDP拡大政策に関するトリクルダウン説が正しいのであれば、その政策はカルドア補償原理をパスする筈です。
しかしGDPの拡大をもたらす政策は、一般にカルドア補償原理を満たさない、すなわちGDPの拡大策を行った後で可能なあらゆる再分配を行ったとしても、パレート改善が可能とはならないケースが存在します。
つまり、生産インセンティヴの問題を抜きにして、成長策の後に自由な再分配策が実行可能であると仮に想定したとしても、その結果として社会の全構成員の効用改善が実現される再分配が存在するとは限らない、という事です。


GDPとカルドア補償原理の関係

 国民所得テストとは、政策の導入によって社会状態がAからBに変更する事が国民所得の増大をもたらすならば、そのような政策を是と判断する基準です。したがって、GDPを増大させる政策は国民所得テストをパスします。しかしながら、一般にカルドア補償原理は国民所得テストを含意するものの、国民所得テストはカルドア補償原理を含意しない

カルドア基準をパスしていれば国民所得テストをパスするが、逆は成り立たない。


しかしもちろん――

 注意すべき事に、「一般に国民所得テストはカルドア補償原理を含意しない」という論理的関係は、GDPを増大させるようなあらゆる全ての政策がカルドア補償原理をパスしない、という事を意味するわけではありません。

しかも――

 特に稲葉さんが主張するような、稼働率を上昇させるという意味での短期のマクロ政策の場合には、おそらく上記のような批判を免れる事ができるでしょう。
 つまり、稼働率を上昇させる事によるGDP増大というレベルの政策であれば、それはいわば所与の生産可能性集合のフロンティア(つまり生産可能性フロンティア)に元々、総生産点が乗っかっていなかった状態を、その北東上方の生産可能性フロンティアへと総生産点を移動させる政策としてイメージされる場合です。そのような政策の下でGDPが増大して国民所得テストをパスする場合には、それはカルドア補償原理もパスすると言えるでしょう。
 つまり、ミクロの長期的な資源配分政策(経済成長策+再分配政策)が功利主義的なものだろうとロールジアン的なものであろうとに関わりなく、短期の所与の生産可能性集合の下で、稼働率を上昇させるという意味でのGDP増大策である限り、パレート改善的な効果を持つと言えるでしょう。


なるほど。


しかしながらそれでも――

 そうした限定条件抜きに、GDP成長策が一般に全員の効用を改善可能にするという意味で、無条件に肯定できるという論拠は存在しません。
 また、稲葉さんが主張するような、稼働率の改善は所得の不平等も改善するという事も、一般的には言えません。パレート改善だからと言って、直ちに分配率の平等化を意味するわけではないからです。


あとやはり本当に「稼働率を上昇させるという意味での短期のマクロ政策の場合には、おそらく上記のような批判を免れる事ができる」かどうかは確認したほうがよさそうですね。


 ご紹介の吉原直毅氏の論文ですが、要するに『経済セミナー』連載中の「福祉社会の経済学」ですね。未刊部分のみPDFが公開されています。こっちの方がカラーで読みやすいんだよね。いずれ学部上級レベルの厚生経済学テキストとして公刊されるでしょう。oさんご紹介の部分はまだ読めます。その他に短いエッセイ「「経済成長重視」路線の意味とは」が読めます。
 取り急ぎ読んでみたいところなんだが、明日のゼミの予習でヘロドトスプラトンキケロを読まないといけない。手元にないから英語だもちろん。