今日紀伊国屋で
- 作者: A.アインシュタイン,内山龍雄
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 1988/11/16
- メディア: 文庫
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四次元主義の哲学―持続と時間の存在論 (現代哲学への招待―Great Works)
- 作者: セオドアサイダー,Theodore Sider,中山康雄,小山虎,齋藤暢人,鈴木生郎
- 出版社/メーカー: 春秋社
- 発売日: 2007/10/01
- メディア: 単行本
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よく知られているとおり、少しだけ偏微分方程式が出てくるのを除けば、アインシュタイン原論文の数学はもちろんきわめて初等的なものです。しかし何が引っ掛かるかというと数学というよりもっとアレなレベルで――座標系の位置関係の直観的理解のレベルで引っかかってるんだよ!
昔っから、どっちが前でどっちが後ろとか、上下左右とか、空間的直観力のなさには自信がある。
で、何でそういう現代形而上学の勉強などしとるかといえば、アガンベン以来「剥き出しの生」「単なる生」とかいったフレーズが流行っていて、それに対して「単なる生などというものはない」という批判がたとえば市野川君や加藤君によってなされていて、これはかつての小泉さんの議論なんかともつながるものだろうとはおもうんだけど、しかしほんとにそれでいいのか? という疑問が少しわいたので。
少なくとも加藤君や小泉さんについては、そこではある種の存在論的前提、「「存在する」と言えるのは個体的存在者だけである」というかなり強い前提、性質を含めた普遍者についての唯名論的立場が前提とされていた。「生命」って普遍者であり、個体的存在者ではなくてその性質でしかないわけ。百歩譲って性質を含めた普遍者もまたある種の存在者だということが認められたとしても、倫理的価値が帰属するのは個体的存在者(の一部?)だけだ、というわけでしょう。これは確かに我々の直観と整合的だけど、本当にそれだけでいいのか、とか考えてしまいましてね――まあこの辺の議論は、直観的には、私ごときの手には負えないだけではなく、おそらくは百年単位でしか進まない議論なんではないかと――。
でも本当はこの辺の議論をきちんとするにはもっと本格的な「人格の存在論」を作らないといけないのではないですかね。積読なんだけど、サイダーの論敵らしいメリックスの単著
- 作者: Trenton Merricks
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr
- 発売日: 2001/08/02
- メディア: ハードカバー
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追記
つうか「ライプニッツ恐るべし!」ってことですね内井先生!
空間の謎・時間の謎―宇宙の始まりに迫る物理学と哲学 (中公新書)
- 作者: 内井惣七
- 出版社/メーカー: 中央公論新社
- 発売日: 2006/01/01
- メディア: 新書
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