『リベラリズムの存在証明』「エピローグ(草稿)」
以前今はなき玲奈さんのご厚意でアップしていただいていたものだが、消滅して久しいのでこちらにアップする。
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少々長い旅になったが、このあたりでいったん筆は置かれる。その前に、少し違った角度からこれまでの議論を総括してみよう。
本書前半で提示した私なりの権力概念はかなり常識的なものであり、とりわけそれが権力を振るわれると感じ、それに服従する側の主体の自覚、了解を媒介としてはたらくものと定義されている点で、少々時代遅れである、と少なからぬ読者の方は思われたかもしれない。とりわけ私は要所要所でミシェル・フーコーの所論をどちらかというと肯定的に参照しているのであり、彼フーコーこそは20世紀後半の科学的権力概念の革新者と見なされているのだから。
フーコーの権力概念が人を惹きつける理由のひとつは、不可視の、意識されず、了解されないままに作動するものとしての権力、第3章で論じた「語られざる禁止」の水準をとらえようとしているところにある。しかしそのような、隠れたものとしての権力、なる観念自体は別にオリジナルなものでも何でもなく、ことに20世紀後半においてはありふれたものである。全体主義の経験の中から得られた政治的プロパガンダや洗脳についての教訓、あるいは大衆消費社会における消費者の欲望の広告を通じた操作、等々、人に自ら選択したという錯覚を与えつつ、選びうる選択肢自体の予めの設定や、更には選択への欲望自体の喚起という形で人の行為を誘導する技法の大々的な登場が、20世紀的な意味での「権力」への関心をかきたてた当の経験である。このような問題についての研究はフーコーの登場以前から広く社会科学的な関心を集め、理論的・実証的に多くの研究成果を生み出している。更にその背後にさかのぼるならば、マルクスの土台−上部構造論、イデオロギー論、ジグムント・フロイトの無意識の概念などを見いだすことができる。
しかしながら実はこれら多くの「不可視の権力」論とフーコーのそれとの間には無視できない相違がある。多くの「不可視の権力」論の要点は本書での文脈に置き換えれば、コミュニケーション空間自体の歪曲、である。もちろんそれは私が本書で行った権力の定義ではとらえることができない。しかし私はそこにさしたる問題は感じない。「不可視の権力」論の最大の意義は、「語られざる禁止」の水準、権力として意識されていない出来事を「権力」と名指すことによって明るみに出すところにある。それゆえ「不可視の権力」論は成功することによって自ら解体する運命にある。それがある出来事を「権力」として問題化し、人々の意識に上らせることに成功すれば、その当の対象はもはや「不可視の権力」ではない普通の権力、私のいう意味での権力、制度を支える力、に過ぎないのだから。
この点に無自覚なままに「不可視の権力」論を展開することはしばしば滑稽なことになる。自らがその存在を暴いたはずの当の対象をいつまでも「不可視の権力」と呼ぶことは、逆にその対象を神秘化し、その不可視性を温存しようとする所作に他ならない。つまりそれは当の権力を批判し告発するつもりで、逆にそれに荷担することになりかねないのである。
フーコーを大半の「不可視の権力」論者から分かつのは、この問題に対する自覚、デリカシーである。通常理解されるところでは、フーコーの新しさは、権力を単に主体の行為を外側から型にはめたり操作したりするものとしてではなく、主体そのものを成形し、生産しているものとしてとらえられているところである。フーコー以前の「不可視の権力」論は、大体においてマルクス主義の用語で言えば「イデオロギー」あるいは「虚偽意識」なる概念の引力圏内にあった。それらは欲望そのものが他者によって操作される可能性を認めつつも、介入され操作される以前の本来の真の欲望、主体性といったものを想定していた。そしてそのような想定を行う分析者自身は当然、このような真の主体性に覚醒している、とされる。フーコーはこのような本来の、真の主体性といったものを想定しない。
このようなフーコーの権力概念は、権力への批判と抵抗の拠点としての個人的主体性を洗い流しかねないものと批判された。更に、実際にはフーコー自身も権力を論じつつそれへの抵抗について語り、更に晩年には自分で自分の生を私的に、個人的に、自律的に形作る技法について論じていたのだから、フーコーの議論は不整合である、とも時に指弾された。
しかしながらこのような批判はツボをはずしている。フーコーの権力論が正しい、すなわち、権力が、単に主体を騙してその真の利益、真の自己に背いた行動をとらせているというのではなく、真の意味での主体性をまさに作り出している、としてみよう。それならば、それに批判的に対峙するフーコー(的権力論)の主体も例外ではない。つまりフーコー的権力論は権力の効果、権力の作動の一環に他ならないことになる。更に言うまでもなく、フーコー的権力論が正しいとしたら、このコメントはフーコーに対してのみならず権力論一般にも当てはまってしまう。抵抗の拠点としての本来の主体性を権力の外側に確保し、自身もそこに立ちたい論者にとって、フーコーの権力論が認めがたいのはこのような事情による。
だがフーコーの権力論の主眼は権力の一般理論とか、社会全体を動かしている「権力」の原理論の構築にではなく、具体的な状況における特定の「不可視の権力」の解析とその可視化にある。そのような具体的な作業は当然、一定の成果を挙げられれば終了する。その研究成果が公表され、公衆の間に一定の関心を呼び覚ましたところで、すでに現実の状況はわずかにではあれ変化しているのだ。「語られざる禁止」はそれと名指されたとたん「語られざる禁止」ではなくなる。つまり分析とその成果の公表によって(不可視であれ可視であれ)権力の配置は変わり、主体のあり方も変わっている。その変化した状況に対して更にまたそこにおける「不可視の権力」の可視化は可能であろうし、それが延々と繰り返されるのであろう。その過程の中で、よりましな権力と主体のありようを構想し提言していくことには、何らの不整合もない。
フーコーを批判する論者は往々にしてこれとは全く逆さまのイメージを抱いており、フーコーをその歪んだイメージでもって裁断している。そのイメージとは以下のようなものである。すなわち、
「フーコーによれば、権力が主体を生み出し、生み出された主体の営為は権力を再生産し、その循環が続く。そしてフーコー的権力論もそのような状況を変えることはない。フーコー的主体は自らを生み出した権力を認識してその必然性を論証するのが関の山で、そこで議論は閉じる。」
しかしこのようなフーコー批判はむしろ、このような論者自身が、自らがそこに陥ることをおそれているところの罠への強迫観念なのではないか。おそらくは同様のことが、ニクラス・ルーマンのシステム理論に対する「テクノクラシー理論」なる完全に的をはずした論難においても起きている。
権力が主体を生産している、と言ったところで、前者は後者とは異なり、それ自体が主体であるとは限らない。つまり権力は、自己の保存のために、主体を、意図的に生産しているのでは(通常は)ない。権力はただ単に生産する。そして生産された主体の行為が、その権力を再生産するかどうか、は結果の問題である。結果的にそうはならなかったら、その権力は解体する。たまたまそうはならなかったら、権力は、そしてその生産する主体も再生産され、存続する。フーコーの権力論は、このように結果として生き延びている主体のありようから、それを生産する権力の配置がどのようなものか、を逆算する技法であって、主体を権力に還元する決定論、権力という原因でもって主体という結果を説明する理論では全くない。時に権力の作動は、たとえばフーコーのような、既存の権力のあり方を変えてしまうような主体性を産むこともある。
さて、マルクス主義による批判がその典型であるが、自由主義は「不可視の権力」論によってもっとも厳しくその意義を疑問に付されてきた。自由主義が信を置く個人の自由な主体性などは信じるに値しない、なぜなら個人のありようはあらかじめ社会システムによって決められているのだから、と。もちろんこれに対して、素朴に以下のような反論を突きつけることは充分に意味がある。すなわち、現実がそうであるからといって、そのような現実がそのまま是認されていいわけではない。自由主義はそのような現実を批判し、本当に自由な個人が生み出されそこで生きていけるような社会の構築を目指す、と。しかしこのような素朴なレベルで議論を終わらせる必要はもちろんない。
では、そもそも自由主義を批判する、フーコー以前の「不可視の権力」論の方はどうであったか、がまさに問題となる。それらの立場からのフーコー批判の検討において既に結論は明らかになっているはずだが、改めて確認しよう。「不可視の権力論」においては多くの場合、欺瞞され操作される以前の真の主体性といったものが想定される。問題は、その「真の主体性」が本当に真のものなのか、なぜそれが真のものだと言えるのか、誰にそのような判断をする資格があるのか、である。もちろんフーコーの場合にはこれらの問題は生じない。例えばしかしたとえばマルクス主義や精神分析においては、それはきわめて重大な困難となる。
例えばマルクス主義における構図は以下のようなものである。すなわち、資本家的経済社会の下では、資本家階級と労働者階級の間の不平等が構造的に再生産され、労働者の自由はあらかじめ大きく制限されている。マルクス主義はその構造を暴き、その構造を変革することが労働者階級の真の利益につながる、と主張する。このような、あらかじめ自然な所与として構造化された不平等が、マルクス主義が問題とする「不可視の権力」の第一の意味である。
しかしながら、そのような構造が事実存在していたとすれば、なぜマルクス主義によって暴かれるまではそれが人々の目に見えなかったのか? いかにしてそれが隠されてきたのか? それは、例えば古典派政治経済学がその典型であるような、ブルジョワイデオロギー、資本家的経済社会こそが正当で自然であるかのように人を欺く文化、偽りの知が存在しているからである。これが「不可視の権力」の第二の意味である。
このようにマルクス主義においても、社会の中での権力と知の共犯関係はしっかりと把握され、問題化されている。しかしここで重大な困難が浮上する。つまり、第二の意味での「不可視の権力」、「イデオロギー」とか「虚偽意識」と呼ばれる偽りの知とは何か、である。それは意図的につかれる嘘、欺瞞なのだろうか? 普通そうは理解されない。マルクス主義のイデオロギー論によれば、ブルジョワイデオロギーでもって人を意図的に欺こうという主体は存在しない。他ならぬブルジョワジー自身がそれによって欺かれている。ブルジョワジーはブルジョワイデオロギーを真理だと信じている。
ここまで来ればフーコー的に「ブルジョワ的主体がブルジョワ的権力によって生産されている」と言ってもほとんどかまわないことになる。しかしマルクス主義はそうは言わない。なぜか? 同じ推論が自己に向けられること、自らもまた自らの動機をよく理解せず欺かれているという可能性に直面することを回避するためである。すなわち、マルクス主義の知、マルクス主義的主体を生産する権力というものがあるのか、あるとしたらそれはいったいどのようなものか、を問うことを回避して、マルクス主義自体を自然化し正当化するためである。ブルジョワ的主体性はブルジョワ的イデオロギーによって幻惑された結果生じたもの、「虚偽意識」に過ぎず、それによってねじ曲げられた真の、本来の(「哲学的」ジャーゴンを使うならば「疎外された」)主体性というものがあるのであり、マルクス主義はその真理を告げるだけだ、と。
もちろんこうした論法は誤っており、マルクス主義はその報いを受けることになる。それはマルクス主義的主体、歴史の主役としての理想化されたプロレタリアートと現実の労働者階級を短絡的に一致させて理解したため、現実の労働者階級をマルクス主義的主体へと編成していくための権力の自覚的運用、平たく言えば労働者階級に対する政治的・文化的リーダーシップの問題を甘く見てしまう。労働者階級がマルクス主義者の助言や指導に従わないとすれば、その理由はマルクス主義の側の方法的な誤りにではなく、具体的なマルクス主義者個人、組織、運動体の単なる努力不足(つまり、方向は間違っていない)か、ブルジョワイデオロギーによる労働者階級の洗脳か、そのどちらかあるいは両方に求められてしまう。「現実の労働者階級はマルクス主義の主体となるはずなのだ!」という独断は現実の労働者の意識、利害関心、その独自の思想を未熟なもの、誤れるものとして軽視し抑圧することと引き替えに、現実の労働者のマルクス主義からの離反を促すことになる。
このような経緯への反省から、ことにアントニオ・グラムシ以降、「ヘゲモニー」なる概念を頼りに、政治的・文化的リーダーシップ、政治家や知識人の能動的役割についてのよりデリケートな分析がマルクス主義の中でも行われるようになってきた。階級闘争を、既にできあがってしまった主体としての階級同士の力と力の対決=「機動戦」としてだけでなく、議論、説得、啓蒙などを通じた階級主体それ自体の形成=「陣地戦」をも含むものとして理解するアプローチが提唱され、第2次世界大戦後、武力革命路線をはっきりと放棄して、議会制民主主義国家において体制内化した「西側」マルクス主義者たちによって採用されるようになってきた。
それでもなお、マルクス主義的真理、真の主体性の理念自体は放棄されきることなく温存されてきた、と言わねばならない。現実に常に既にそこにあるものではなく、陣地戦を通じて地道に組織し作り上げていかねばならないものではあれ、歴史の主役としてのプロレタリアートというものがありうる、実現しうるという理念が。もちろんこのような理念を温存していても、武力革命路線を放棄したマルクス主義は政治的実践のレベルでは既に社会民主主義と見分けがつかない。しかし、逆に党派的独自性を無理にでも確保するためにこそ、その空虚さを承知であえて理念を温存している可能性さえある。そしてもちろんそこは歴史の主役としてのプロレタリアートと同時に、敵としてのブルジョワジー、ブルジョワイデオロギー、資本主義社会のメカニズムのイメージも温存され続けるのだ。しかし考えてみればこれこそが、先述した罠、フーコーがまさにそこに陥っているとしばしば(マルクス主義者によっても!)論難されたような罠ではないか。
フーコーの権力論はこのようにマルクス主義(のみならずほとんどのラディカリズム)の急所を突くがゆえに、強い反発を受けてきたと同時に、少なからぬマルクス主義者を変えもした。実際いわゆる「ポスト・マルクス主義」はむしろ「ポスト・フーコーディアン・マルクス主義」と呼ぶ方がふさわしい。(例えばエルネスト・ラクラウ&シャンタル・ムフ『ポスト・マルクス主義と政治』山崎カヲル他訳、大村書店。)しかしそのようなポスト・マルクス主義とは一体何であるのか?
マルクス主義者にとってフーコーを真摯に受け止めるとは、最終的には、少なくとも資本主義社会における階級闘争の局面においてはフーコーの分析を拒否するか、あるいはそれを受け入れてマルクス主義者たることをやめるか、のどちらかでしかありえないのではないだろうか?
フーコーの論法を部分的にでも受け入れた上でなおマルクス主義者であり続けるためには、マルクス主義の教説を一種の自己実現的予言と解釈しなければならない、と私には思われる。先述の通り、フーコー的な権力分析と、その成果の公表を繰り返すことによって、マクロ的な社会の状況も分析者自らの主体も刻々と変容していくわけであるが、その変容の過程には極限があって、そこへ向けて収束していく、という風に。この場合は、マルクス主義的分析とその公表を繰り返すことを通じて、マルクス主義者は自らをますます未来を担う階級闘争の主体へと鍛え上げ、そしてマクロ的な社会のレベルではますます階級闘争を先鋭化させ、激化させる、と。これはかなりありそうもない想定である。また仮にうまく実現したところで何のことはない、平たく言えば革命を延々と未来に先送りすることによって自らの党派を延命させる姑息な戦略に過ぎない。それは理論的には現状の資本家的経済社会、自由民主主義政治、ブルジョワイデオロギーを拒否しつつ、実践的にはその許容、庇護の恩恵に浴し続けるという選択に他ならない。それではフーコーを読む甲斐がないというものだ。
それゆえマルクス主義者がフーコーを真摯に受け止めるということは結局、いつでもマルクス主義者たることをやめる用意をすること、に他ならない。もしマルクス主義者たることが、資本家的経済の不公正、資本家階級の支配の不当を批判し、それに対抗する勢力としての労働者階級に期待を託すということを意味するのであれば。もちろんそのような現状認識とコミットメントが成り立ちうる状況もありうる。しかしそのような状況は不変ではないのであり、かつその状況の変化は他ならぬ、状況を分析しそれにコミットする主体のまさにその振る舞いによっても(多少は)引き起こされるのであり、かつそのような変化の中で主体のありようも変わってしまう。そのような変化によって、マルクス主義を捨てた方が、よりよい現状分析と、よりましな権力と主体のあり方の構想、そのための実践にとって望ましい、と判断されれば、少なくとも上記の意味ではマルクス主義者たることを放棄しなければならないだろう。
考えてみれば、もともとマルクス主義は革命によって資本家支配を打破し、自らの党派を不要にすることがその存在意義であると自認していたのであるから、このような結論はさほど意外なものではない。ただそれがいつ来るともわからない未来に宙づりにされた革命以後にのみ起こることではなく、いつ起こるとも、今現に起こっているとも、あるいは既に起こってしまったともしれなくなっただけのことである。
しかしながらこうしたポスト・フーコーディアン・マルクス主義は結局のところ、それこそ古典的なリベラル・デモクラシー、自由民主主義の領分の中に呑み込まれざるをえない立場なのではなかろうか。そもそも武力革命を放棄した「西側」マルクス主義自体が、実践的には自由民主主義のそれこそヘゲモニーの下に屈していたと言える。しかしそれはマルクス主義的真理を理論的に温存して党派の一体性と威信を保つ、いわば一種の制度宗教として生き延びていたと言えよう。それは自由主義の、リベラルな寛容の下で許容されつつ、しかしあくまでもそれに呑み込まれることなく、面従腹背の態度をとっていた。(もちろんそれは自由主義を欺いてのことではない。面従腹背を許容するのが自由主義のヘゲモニーの特質である。)つまり「西側」においてマルクス主義は武力革命路線の放棄をもってノージック流に言えば「帝国主義的ユートピア主義」から「伝道的ユートピア主義」へと移行したのであるが、決して「実存的ユートピア主義」ではなかった。しかしながらプロレタリアートを主役とする革命の理念を(状況的目標としてではなく、不変なる理想としては)放棄してしまえば、マルクス主義から伝道すべきユートピアは消滅する。では何が残るのか、と言うより、その跡地からは何が育っていくのだろうか?
「不可視の権力」論としてのマルクス主義的知、その現状批判の刃は「マルクス主義」の名を捨てても残るであろうし、残る価値がある。私はここまでフーコーの偉大さをレトリカルに強調してきたが、順序から言えば先駆者としてのマルクスやフロイトがいたからこそ、フーコーの問題提起が可能になったことは言うまでもない。すなわち、他ならぬフーコー的権力分析自体が、マルクス主義の瓦礫の中から育った新たな作物のひとつなのである。しかしフーコー的権力分析は、分析主体の特権性を解除する。だがこれによって批判の根拠が失われるのではない。それは逆にかつてのような「批判の根拠」の捏造を不要にして批判の主体をより自由にする。
再度確認すれば、フーコー的権力分析においては、その分析対象の背後に権力によって歪められた真の主体性を発見する必要がないのと同時に、当の分析主体、自己の内にそれを見いだす真の知を想定する必要もない。「批判の根拠」は敢えて言えば、批判の所作に先立っては存在せず、有意味な、有効な批判がなされたときに初めて事後的にのみ見いだされる。すなわち、批判がよくなされたという事実自体が「批判の根拠」なのである。ある主体のなしうる行為の可能性、選択肢の幅、知識、あるいは動機付けが、その主体自身に知られることなくあらかじめ制約されていたということ、しかしその制約をなくす、あるいは変更することは可能であること、が事実として発見され示されれば、その知識自体が「不可視の権力」に対する「批判の根拠」となる。少なくとも本書で提示してきたリベラルな正義の観点からはそう言える。およそいかなる制度的脈絡からも、いかなる役割付けからも、離脱しようと思えば離脱できる自由、がその条件のひとつだからだ。もちろん「不可視の権力」からは意図的には離脱できないし、それを改造することもできない。しかしそれが可視化され、明るみに出されれば、離脱や変更という選択肢は公然化される。
別に私はここで「見いだされず知られないままの過去は存在しないも同じだ」といった認識論的相対主義を主張しているのではない。私の志向はどちらかというと実在論の方にあるがそれはここでの主題ではない。私の考えでは、「不可視の権力」として見いだされた物事は見いだされる前からもちろん存在していた。しかしそれ自体は「批判の根拠」ではない。それらの物事が見いだされ、「不可視の権力」と名指されると同時にいくぶんかは可視化され、そのことによってそれを知るにいたった主体との間にある関係ができあがる。そのような関係、そうした出来事の連鎖こそが「批判の根拠」であり、それは分析、批判の遂行を通じて、事後的にしか現れえない。そのように「批判の根拠」は批判の遂行の後から初めてやってくるものであり、あらかじめ批判の成功や正当性を保証してくれるものでもない。また当然に「不可視の権力」の分析、批判がなされる前の主体が「偽の」「歪められた」ものであり、批判の後に来るものが「真の」主体であるわけでもない。それぞれが真に実在する様々な主体性の例に過ぎない。
しかしこのような批判の作法は、もしそれが他者への働きかけの手段としての暴力の積極的な行使を拒んでいるならば、もはや自由主義への「面従腹背」とは言えない。それはむしろノージック的なメタ・ユートピアへの批判的参加、新たな試みの提起より既存の営為の批判的検討に重点を置いての参加であり、様々なユートピア的実験の試行錯誤の一環なのである。そうだとすればフーコー的な権力批判を何の留保もなしに「自由主義的」と形容することができる。あるいはそれを「実存的ユートピア主義批判」と呼ぶこともできるかもしれない。(この場合「実存的」なる修飾語は「ユートピア」にではなく「ユートピア主義」にかかる。)
このように考えるならば、マルクス主義やその他「不可視の権力」論によって現状を批判してきたラディカリズムの多くは、武力行使をその正当な手法としては放棄し、かつフーコーの問題提起を真摯に受け止めた後では、もはや(少なくとも本書の意味での)自由主義と自らを分かつ根拠を失ってしまっているのではないだろうか?
何となれば、マルクス主義を筆頭とする「不可視の権力」論のラディカリズムは、人間、個人の主体性、合理性への素朴な信頼を批判し、人間が自らは充分に自覚できない外力によって制約されていることへの自覚を促したが、ともすれば批判的分析の主体としての自らの立つ場所を、普通の人間が自覚していない隠された真理を特権的に見いだせる場所であると錯覚しがちであった。フーコー的批判はそのような独善を批判するが、それは批判的主体の特権性の錯覚を解体するだけで、批判それ自体を無効化するわけではない。しかし従来多くの誤解に晒されきたこのフーコーの論法も、翻ってみるならば、近代哲学の本流を受け継いだ、ごく素直な批判的反省でしかない。カントの批判哲学は理性の解体、否定ではなかったわけだし、20世紀のプラグマティズムの課題も、理性、合理性の脱神秘化、「理性」なる実体を拒絶して「理性的」「合理的」と形容しうる具体的な存在者の性質について検討することであって、理性それ自体の否定ではない。また同時代的にも、真木悠介の「方法的ラディカリズム」(真木『人間解放の理論のために』筑摩書房、1971年)やあるいはロールズの「反省的均衡reflexive equilibrium」と相通ずる発想であって決して孤立したものではない。
もちろん、ラディカリズムへのフーコー的批判は、例えば古典的自由主義による批判、典型的にはハイエクのそれとは異なる。ハイエクは社会主義などの設計主義的社会構想を「理性の傲慢」と批判するが、逆に社会主義の方には、ブルジョワ的理性の独善への批判があった。しかしハイエクは後者を無視するか、あるいは、後者のブルジョワ的悪を克服しようとする試みは結局より大きな前者の設計主義の悪に導く、と判断しているのである。ハイエクにはいみじくも「真の個人主義と偽の個人主義」なる論文があり(ハイエク『個人主義と経済秩序』嘉治元郎・嘉治久代訳、春秋社、1987年、所収)、そこで「消極的自由」の思想のみを自由主義の正統として、「積極的自由」を偽の自由主義、結局は設計主義、社会主義、全体主義へと導く誤謬として否定している。だがフーコー的批判はいかなる形であれ特権的な「真の」何者かを置くことを認めない。「消極的自由」を称揚する古典的自由主義の個人的主体性もまた特権的な「真理」ではなく、批判に開かれている。
批判理論としての自由主義の今日における規準は、例えばこのようにフーコーに求めることができる、というのが私の判断である。もちろん本書の前半は批判理論としてのではなく、積極的な社会構想、制度設計の指針としての自由主義の可能性を示そうとしたものであるが、その背後には以上に述べてきたような理解が前提とされていたことは記しておきたい。
その上で本書の後半では、社会構築の思想としての自由主義それ自体に対する批判、にむしろ焦点を置いた議論を展開してきたわけであるが、そこでの議論の延長線上に、上記のごときフーコー的批判理論としての自由主義理解を置くとすれば、どうなるか? もちろんフーコー的な批判的自由主義とはまさに自由主義の自己批判、自己反省である、と言ってしまうことは間違いではないのだが、そのような自己批判自体の射程の及ばない限界というものはあるのだろうか?
フーコーがとりわけ「監禁」なる概念によって問題としていたことが周知でありながらも本書後半で検討に付さなかったのは、合理的ではないもの、あるいは(誤解を招く表現だが)「狂気」の問題であったが、これについては最後に触れよう。本書の後半でむしろ問題としたのは「全体主義」であった。実際、第二次世界大戦後における「不可視の権力」論への深刻な関心は、主として全体主義と高度大衆消費社会の経験によって呼び覚まされたものである。
そのような「不可視の権力」論によって捉えられた全体主義や消費社会とは、要するに欺瞞、詐術の体制であるが、そのような理解では不十分なのではないか、というのが前章での私のアーレント読解の要点であった。そして同じことは当然、上述のフーコー解釈からも言える。「不可視の権力」の背後には権力者、小部屋に隠れた黒幕がいて意図的に状況を演出しているのかもしれないが、そんなものはもともといないのかもしれない。その程度のことはフーコー以前に、例えばマルクス主義によっても提起されていた論点である。そのような黒幕を捜してしまうこと自体が、既に自分がその権力の罠にはまってしまっている証拠なのかもしれない。
だがこのような、フーコー以後の視点からする、従来型の「不可視の権力」論による全体主義論の批判などはもちろん、さして重要な問題ではない。はるかに重要なのは、フーコー的批判は全体主義それ自体について何が言えるのか、である。そして結論を先に言えば、答えは消極的なものである。前章で私は、自由主義にとっての全体主義という悪の問題について考察し、自由主義はこの敵に対してよく抗することができない、と述べた。それは体制側の思想としての自由主義にとってのいわば治安維持の局面においても、あるいは逆に全体主義の体制に対する抵抗の思想としての自由主義にとっても言えることである。しかし同じことはフーコー的な、批判的思考としての自由主義についても言える。
前章で見たとおり、アーレントは全体主義の悪を、そして悪そのものを陳腐で凡庸なものと見なして、それに魅入られることを拒絶した。それはおそらくは本章で明らかにしたフーコー的権力批判の含意、「不可視の権力」批判を無自覚に繰り返すことの危険への自覚とも相通じる。フーコー的権力分析は、このような理想的な全体主義の悪夢に憑かれることそれ自体が全体主義の罠にはまること、全体主義によって魅入られ、それを神秘化してしまうことである、とするだろう。だがそうした拒絶自体は、全体主義を批判しそれに抵抗しているつもりでそれに荷担してしまうことの拒否ではありえても、全体主義の悪そのものへの対抗戦略とはなっていないのではないか?
先にフーコーの権力批判の論理を解釈し直す中で私は「「批判の根拠」は批判の遂行の後に初めてやってくるものであり、あらかじめ批判の成功や正当性を保証してくれるものでもない。」と書いたが、従来的なラディカリズムのおめでたさを批判することを意図したそれは、今やまったく別の、しかしある意味でより深刻な「おめでたさ」を露呈してしまっている。なんとなれば、全体主義の悪とはこのような「批判の根拠」を支える更なる根拠、すなわち歴史の連続性、とでも呼ぶべきもの自体の破壊であるからだ。批判の遂行はそれ自体時間を要するプロセスであり、そして完了するとは限らない。ここで「歴史の連続性」と呼ぶのはそのようなプロセスの前提、つまりコミュニケーション空間の時間的次元のことである。
もちろん、批判の主体が全体主義の暴力によって抹殺されてしまえば、批判は完遂されないことになる。しかしそれだけのことなら、何も全体主義に限った話ではない。そうではなく、それだけではなく、全体主義の悪は抹殺という事実さえ、更には抹殺した相手がかつて生存し存在していたという事実さえ抹消しようとする。そのためには逆に自らの痕跡を、そしてともすればまさに自らを消すことさえ時にいとわない。自らの作動の痕跡を消していく理想的な全体主義は、まさにそのことによってフーコー的批判をも回避し無効にしていくのである。
改めて振り返るならば、紙幅を費やした割には挙げられた成果はわずかである。
一人一人の個人の存在のかけがえのなさ、本書では「魂」なる語で表したが、それを尊重し擁護する政治構想として私は「自由主義」の名で呼ばれる伝統に注目し、その可能性を検討してきた。それはアナキズムとは異なって国家、暴力を独占してルールを強制執行する機構を要請するが、同時にその国家の権能をできるだけ最低限に押さえ込もうとする。このような伝統的理解は改めてその正当性、説得力が確認されたが、同時に、ではその国家が果たすべき最低限の仕事とは具体的には一体何なのか、がきわめて困難な問題となることもまた明らかとなった。伝統的な「夜警国家」「最小国家」の理想は一見したほどの説得力をもはや持たない。
同時にまた自由主義にとって国家は単なる道具、その国家の顧客(=国民)である個人のよりよき生を支援するための機構以上のものではないが、その国家が独自の目的、尊厳をそなえた主体として自立し、個人と対立する危険は、厳格に「最小国家」たらんとする国家においてさえ無視しえないことも明らかとなった。
自由主義にとって自己の正義への敵対、悪への対処の仕方には特徴があり、それは自由主義の強みと言ってもよい。意図、動機のレベルでの悪は基本的には問題とせず、行為として実現された悪に対してのみ制裁を加える。制裁の基本機能は、悪事、ルール違反が不利益となるように誘導し、放っておけば悪事に走る可能性のある者の利害関心に訴えて、実際にルール違反、犯罪を犯すことを抑制しよう、というものである。つまりそれは悪人、潜在的犯罪者の合理性に訴えるのだ。あるいは自由主義とは悪に対しても寛容な立場なのである。
しかしながら「全体主義」の名で呼ばれてきたものは、自由主義にとって疑いなく悪でありながら、その対応能力を超える。それに無理矢理対応しようとしたら、リベラルなルールを自ら破り、敵の姿に似てしまわざるをえない。
社会の設計思想としての、あるいは社会批判の技法としての、そしてまたあるいは個人的な生き方の流儀としての自由主義は、疑いなくなおその生命力を保っている。しかしその道はいわばナイフの刃の上を渡るような、きわどい道に他ならないことは、本書の貧しい議論でも充分に明らかになったはずである。
さて、論じ残したことはあまりにも多いが、最後に私の個人的な課題をふたつ挙げて結びに代えさせていただこう。
第一に本書では、第4章での若干の思想史的考察を除いて、家族、世代、とりわけ子供の問題を扱うことができなかった。しかしながらそれ故に本書の考察は様々なところで大きな欠落を抱えている。たとえばひとつあげれば、第7章の制裁・刑罰論で私は、自由主義的な制裁・刑罰制度は基本的に応報的抑止理論に則ったものである、と述べた。すなわち、制裁・刑罰の基本的な機能は警告、事前的な抑止にあり、その執行自体でもって犯罪者を矯正するというのはせいぜい副次的なものにしか過ぎない、と論じた。しかしこのような理論は少年犯罪に対しては決定的に破綻する。少年犯罪のケースにおいては、むしろ制裁それ自体の教育機能、制裁を実際に受けることによって犯罪を回避することを学ぶ、というメカニズムこそが逆に枢要になると思われる。
第二に本書ではノージック『アナーキー・国家・ユートピア』を主要な対話の相手として取り上げながら、自由主義とユートピア主義との関係について充分に掘り下げることができなかった。これは私の前著『ナウシカ解読』(窓社、1996年)からも引き継がれる課題である。
あとがき
稿を起こしてから3年以上になります。当初の心づもりでは、当たり前のことをわかりやすく整理した教科書、というより副読本程度のもの、分量的にもごく短いものを書こうと考えていました。実際、前半部分はほんの数ヶ月のうちに書き上がったのですが、しかし後半、ノージックの検討にかかったあたりから予想外の時間が経過し、量的にもこのように膨れ上がってしまったわけです。紀伊国屋書店の辻田尚代氏には私の非才と怠惰によって大いにご迷惑をおかけしました。記して感謝します。
前半、第5章あたりまでの草稿をお読み下さり、懇切丁寧なコメントを下さった入不二基義、永井均、小泉義之、森村進、の諸先生方にお礼を申し上げます。コメントを十分に生かせなかったばかりか、結局刊行にこぎ着けるまでにこれほど長い時間が経過してしまったことに恥じ入るばかりです。
最後に、私の家族に感謝します。特に(比喩でなく)私の足を(手も)引っ張りまくった娘に。父ちゃんは疲れた。
1999年5月 メルボルン郊外 グレン・ウェイヴァリーの寓居で