追記

 何で今頃こんなものを持ち出したのかというと、アーレントの「忘却の穴」論についていま一度考え直したかったからである。
 「忘却の穴」論は一歩間違うと陰謀論になってしまう。それどころか下手をすれば敵であるはずの「ガス室はなかった」論の同じ轍を踏むことにだってなりかねない。さて俺もここで似たような罠にはまりかけていないか。
 「忘却の穴」と同じくらい恐ろしいのは、ありもしない「忘却の穴」を幻視して、それに先回りしてあらゆる「忘却の穴」をふさごうとしてしまうことではないのか。
 だからアーレントは『イェルサレルムのアイヒマン』で「忘却の穴などというものは存在しない」と言ったのではないか。そのことはおれ自身が『ナウシカ解読』で注意喚起していたはずではないか。


 というようなことをきくちさんのブログでの陰謀論をめぐるやりとりを読みながら思った次第である。
 「どのような可能性も頭から否定せず、心を開き、耳を傾けてみよう」という立場は果たして本当に正しいのか。それは自分でも信じていもしないトンデモを、ただ権威にたてつくため「だけ」に恣意的、便宜的に持ち出しているに過ぎない連中を甘やかすだけでのことではないのか。バカを増長させ、その一方でこちらは疲弊し、結果的には誰にとってもろくな結果にはならないのではないか。
 我々には、ある種の主張は決して受け入れることができない。「受け入れない」という形でしか受け入れられない、より正確に言えば相手にできないのではないか。