市野川容孝「論潮 2005年回顧」『週刊読書人』第2618号

 『現代思想』の「マルチチュード」特集というクソのような号で唯一読むべきものがいっちーの「暴力批判試論 R・ルクセンブルクとW・ベンヤミン」における議会主義擁護論だったわけだが(そしてそれをざっと見てあわててローザ著作集を読もうとしたら勤務先の図書館にないことに気づいてネット古書で衝動買いしたわけだが)。


「A・ネグリのような人も、「国民国家」を消滅させるために、従来の社会保障の解体を願っているが、ハンチントンが黄禍論を引っ張り出すのと同様、ネグリもまた過去を反復している。それは、革命的敗北主義というやつだ。
 第一次大戦当時、レーニンは反戦・平和を唱えたりはせず、戦争によってロシア帝国をぶっ壊させ、そこから革命のチャンスを引き出そうとした。ネグリの考えも、おそらくこれと同じだ。つまり、社会的な国家(福祉国家)を国民国家と混同した上で、新自由主義にこれを解体させ、何か別のものが生まれると期待しているのである。
 しかし、革命的敗北主義というのは昔から、人びとを平気で死なせるという意味で、革命的サディズムでもある。戦争という大量殺戮を否定せず、これを革命に利用しようとしたレーニンと同様、ネグリも、多くの人びとに(死を含む)受難を強いる新自由主義の暴力を黙認、いや強化するつもりらしい。レーニンの革命的敗北主義を、ローザ・ルクセンブルクは是認できず、また大戦に与したSPD主流派を批判しながら、反戦・平和のために最大限活動し、そして投獄された。そういう違いは今でもある。」


 これをはっきり『現代思想』にも書いとけよ。