「公共政策論」メモ


 昨日のエントリに補足。多くの場合、ハーバーマスの言う意味での「市民的公共性」の成立、すなわち近代的な意味での「市民社会」概念の成立の過程は、中世から近世までの身分的団体秩序が解体し、そこから個人が解放される過程として描かれることが多い。もちろん、たとえば樋口陽一のように、そこで解体していったのは「中間団体」であって、個人の迫り出しは団体の中の団体としての主権国家の特権的迫り出しと裏表であることもまたしばしば強調される。
 樋口の指摘はもちろん正しいが、しかしそのような論じ方には危うさもある。たとえばカール・シュミットの強い影響を受けた若きラインハルト・コゼレックのデビュー作『批判と危機』は、啓蒙主義時代、揺籃期の「市民社会」「市民的公共性」の観念、イメージが絶対王政下の有力貴族のサロン、そして何よりフリーメイソンなどの秘密結社(!)を重要な媒体として成長してきたことを指摘すると同時に、それが市民革命を経て真に公になると、むしろ失効していったと主張する。絶対王政の追放は市民的共和国の実現ではなく、恐怖政治、そして絶対王政以上の強権国家の出現を招いてしまった、と。ここでのコゼレックによれば「市民的公共性」の理念とは実現に向かおうとした瞬間に流産した夢想であり、その意味でハーバーマスの言う「公共性の構造転換」は最初から運命づけられていたわけである。「個人主義国家主義との不安定な共存」という歴史観をそのままにしておいては、こうしたタイプの議論に対抗することが難しくなる。
 「市民社会」概念の成立過程についての昨日提示したビジョンは、やや違ったものである。そこではあえて「個人」という言葉をできるだけ用いないようにした。「市民社会」は「個体」の集まりではあるが「個人」の集まりとは必ずしもとらえる必要はない、というわけである。それは「家」や「団体」の集まりでもありうる。
 そこでの構図においても中世〜近世以来の身分的団体秩序の解体というビジョンは捨てられる必要はない。またそれを通じて、主権国家という特異な団体が特権化される、というビジョンも維持される。ただここで我々は、主権国家以外の団体が無力化され、個人は団体――いまや国家との間に立つという意味で「中間団体」と呼びうる――を介することなく直接的に国家に包摂、統合されざるをえなくなる、というビジョンに対しては慎重でありたい、ということだ。
 宗教改革を経てカトリック教会、そして古きローマ帝国の幻影からも自立した領域的主権国家群は、各々の間では既にそれ自体が「個体」ではないところの「社会」――国際社会を形成しているわけであるが、その領域下――主権の範囲内においては、いまだ自らを一個の特権的な「個体」となすことへの志向からは解き放たれてはいなかった。すなわち、国家内の身分的な諸団体――教会、領主たち、都市の市民たち等々――を、国家の下位的な構成機関=器官、国家という「全体」に対する「部分」として位置づけようとしていた。
 それに対して、市民革命前後における変化は、こうした諸団体を単に解体し無力化しようというものではなかった。単なる解体や無力化であれば、まさに国家そのものの下位部分として、その機関=器官として徹底的に内部化するという選択も論理的にはあり得た。もちろんある種の団体はそうやって内部化されている。傭兵は常備軍化され、徴税請負人は官吏となる。都市や大学などの伝統的自治団体もまた、国家官僚機構の一部となる。しかしそうやってすべてが国家の「部分」として包摂されることはなかった。
 それは望まれなかったのだろうか? もちろん望まない人々はいただろう。しかしながら「市民」(それが誰であるかはさておく)のすべてがそれを望まなかったわけではない。ルソーがそうだったかはともかく、革命下の一部のルソー主義者たちは、まさに共和国による社会の全体的統合を目指していただろう。だからここではむしろ、国家による全体化はそもそも可能ではなく、その不可能なることを適切に理解しようという努力が、「市民」によってもまた国家の側に立とうとする者たちによってもなされていたのだ、と考えたい。
 重商主義重農主義を経てアダム・スミスにいたる政治経済学の展開はまさに統治の主体の側からする「社会」の発見と確定の思想的ドラマである。political oeconmyという語句はまさしく当初はpoliceの一環、polis=国家の家政oeconomyとして構想され、社会はまさしく国家の部分、器官たるべきものとして位置づけられていたが、やがてたとえば「人口」といった言葉づかいに見られるように、必ずしも意のままにはならない、国家の意思のもとにおくことはできず内部化することはできない、外なる他者として、しかも決してそれ自体は意志を持った「主体」ではないものとしての「社会」の姿が見え始める。「市民社会」そしてのちにはpoliticalを取り去り、英語においてはoも抜いて"economy"と呼ばれるようになった「経済」は、国家の外側に位置する他者であり、そのようなものとして介入、統制の対象となる。ここでもちろん国家は以前よりもより強力になっている。何となれば「国家と市民社会との区別」によって社会からの国家の超然たる独立性がより高まっているからだ。しかしそのことは市民社会の自律性の高まりと矛盾はしない。


 繰り返すが、こうした「市民社会」は多数の個体、主体たちの集まりであるが、それらの個体たちは必ずしも自然人としての個人ではない。だがそうした個人も許容される。すなわち、個人は「家」や「団体」のメンバーでなければならない、というわけでは必ずしもなくなっていく。かといって、個人は中間団体を介さずに直接に「国家」のメンバーでなければならない、というわけでもない。個人と国家、更には中間団体の間には、「市民社会」が割り込んでいる。それを不定型な不特定物と捉えるにせよ、あるいはもう少し抽象的な「空間」「関係」と捉えるにせよ。

 近代的な意味での「市民社会」の成立は、ただ単なる中間団体からの個人の解放としてのみとらえられないことはすでに強調した。個人は真空の中には生きてはおられず、何かに属さざるを得ない。では国家に直接属するしかないのか? そうではない。もちろん、ルソー的な意味での「自然状態」に回帰する必要もない。それ自体は「個体」「主体」ではないものとしての市民社会――それはある意味で「第二の自然」であり、ロックによればそれもまた「自然状態」に他ならない――という足場がある。


 しかしそれにしても「市民社会」とはなんであり、「市民的公共性」とはそのどのような側面か? 

批判と危機―市民的世界の病因論 (フィロソフィア双書)

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