「労使関係論」とは何だったのか(7)

 財政学者の加藤栄一は、ニューディールやナチズムを念頭に置きつつ、当初は宇野派の段階論の枠組みを大きく踏み外すことなく、つまりは「段階論」そのものの改変を避ける形で「国家独占資本主義」論を展開しようとしていた。議論の大枠としては大内力の国家独占資本主義論を受容していた。
 大内国家独占資本主義論とは、金本位制の破棄=管理通貨制への移行と、それによるインフレーション政策による労資対立の緩和――賃金上昇圧力をインフレ政策で相殺する――ところに、国家独占資本主義の要諦を見出すものであった。非常におおざっぱにいえば「ケインズ主義的福祉国家」論の一バリエーションといえよう。加藤はそれを受容するところから始めたが、ワイマル体制を、それが管理通貨制を本格的に導入していなかったにもかかわらず、それが労働基本権を認めた憲法社会保障政策などの福祉国家体制を備えていたことをもって「早生的国家独占資本主義」とした。つまりここでは加藤は大内とは異なり、国家独占資本主義のメルクマールとして管理通貨制よりも労資同権、参加と利益誘導に基盤を置いた大衆民主主義の方をはっきりと重視したのである。
 とはいえ当初、70年代までの加藤は大内と同じく、「国家独占資本主義」を固有の段階とみなすことを避けることによって、伝統的な宇野段階論の枠組を壊すことはなかった。宇野段階論それ自体が既に述べたように「技術論」と「政策論」の二通りの解釈を許すものではあったが、マルクス経済学である以上、やはり支配的であったのは前者の解釈である。そしてこの「技術論」的枠組み、「支配的資本の蓄積様式」に照準することを段階論の本義とする限りは、「国家独占資本主義」は独立した「段階」にはなりえない。
 しかし80年代、勤務先の東大社会科学研究所(氏原の勤務先であり、いわば「東大学派」にとっての拠点である)における共同研究「福祉国家」に参加して以降(なおこれには晩年の氏原も参加しており、高齢化と雇用についての影響力ある仕事を残している)、加藤ははっきりと伝統的な宇野派の枠組を離れ、独自の段階論というべきものを展開するようになる。しかしそれはもはや「支配的な資本の蓄積様式」にではなく、国家の政策と政体の統合論理に照準するものであった。87年の「福祉国家社会主義」においては19世紀は「純粋資本主義化傾向」、20世紀は「福祉国家化傾向」という別々のベクトルが支配する時代とみなされるが、その識別の論理は基本的には政治学的なものである。
 ただあえて言えば加藤理論には二つの難点がある。第一に、20世紀資本主義国家の統治の志向性は「福祉国家化」として明快に捉えられるが、19世紀のそれはあまり明快にはとらえられない、という点である。「純粋資本主義化」というネーミングもよくない(宇野派固有のジャーゴンである)。第二に、段階移行のロジック、「純粋資本主義化」から「福祉国家化」への転換を引き起こすメカニズムについていま一つ明快ではない。というよりここにはなお「支配的資本の蓄積様式」論風の、技術決定論の残滓がみられる。19世紀末〜20世紀初めについてのみならず、20世紀末の「福祉国家の危機」からネオリベラリズムの台頭についても、重化学工業化の飽和と高度成長の終焉、情報資本主義化、という論脈が忍び込んでいる。すなわち加藤の段階論は、決定的に「政策論」的「知識社会学」的、あえて言えばヘゲモニー論的なものになっているのだが、しかし政策、そして政体そのものの転換、移行の論理については不分明なのである。


国家独占資本主義 (こぶし文庫)

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