25日の保健医療社会学会定例研究会について

 まああれですね、演者のお話をちゃんと聞いて、そのうえでそれを踏まえた質問をするというのは、研究者としてのというより社会人としてのマナーではないかと思いますがね。
 本を読まずに来たことについては百歩譲ったとしてもだね、人の話は聞こうよあんたたち。猪飼君がかわいそうだろ。


 まあ世の中そういう風に動いているのが現実だとしても、今更そんなことを教育されなければならんほど私らは子供ではないですから。


病院の世紀の理論

病院の世紀の理論

当日しゃべるために準備したメモ(配ってません)

猪飼周平『病院の世紀の理論』メモ


*「病院の世紀の理論」「地域包括ケアの理論」それ自体はオリジナルか? 例:広井良典


*プロフェッション研究としての「医局」分析――職業別(クラフト型)内部労働市場としての


*日本における「病院の世紀の理論」は医師を主役とするプロフェッション研究の応用編ではないのか? 医師の財産としての病院(病床)


私見では、猪飼の研究の独自性は「病院の世紀」から「地域包括ケア」への移行論それ自体にではなく、それをあくまでも「プロフェッションとしての医師」を軸に見ていくところにある。そのように見たときむしろ自然な研究展開の方向は、「地域包括ケア」の体制分析それ自体というよりは、「地域包括ケア体制の中での医師の適応戦略」を主題としたものになるのではないか。少なくともその方が見通しは良くなるのでは。


*欧州というアノマリー――hosipitalityの優位 Insutitution, Anstaltとしての病院


*「病院の世紀」から「地域包括ケア」への移行は、日本その他「所有原理」の医療システムの社会においては、同時に医師の優位の終焉を含意するであろう。しかしそうではない(「身分原理」その他)システムにおいてはどうか? 
 おそらくは他の医療システムにおいても、20世紀は「病院の世紀」であると同時に「医師の世紀」であったろう。「所有原理」のもとでは病院が主として医師の財産であり、身分原理のもとではそうではない、というだけのことで、病院の中枢は医師であったことに変わりはない。そう考えるなら大差はないことになるが……。


*「地域包括ケア」への移行は別様の意味での「医療の社会化」であるということはできない? すなわち医師の優位が終わり、チームワーク医療、チームワークケアの時代であることが否定できなくなる、と。


*「病院の世紀」とは病院が診療の場所となり、その主役が医師となる時代である。その際の時代区分の基軸は何か? 
 ひとつにはInsutitution, Anstaltとしての「病院」の変容という軸がある。基本的に救済・収容施設であり診療の場ではなかった時代、宗教的救済機構ないし国家の治安機構であった時代が「病院の世紀」に先行している。
 「病院の世紀」のあとに「地域包括ケア」が来るという時代区分がなされるときには、実はこの「病院」の変容という軸が暗黙の裡に想定されており、その軸において「地域包括ケア」の時代は、まずは「脱・収容施設」の時代として位置づけられることになる。
 この歴史観は広い意味での「社会政策史(含む福祉国家史)」であるといえよう。そして「病院の世紀」以前は「治安政策としての社会政策(の一環としての保健医療政策)」の時代であったのに対して、「病院の世紀」は「福祉政策としての社会政策(の一環としての保健医療政策)」の時代として位置づけられることになる。ただこの視点をとった場合に、ポスト「病院の世紀」=「地域包括ケア」の時代もまた、「福祉政策としての社会政策(の一環としての保健医療政策)」の時代という点では変わらないことになる。
 これとは別に、広井良典流の(猪飼も否定はしないだろう)、保健医療のターゲットの歴史的変容――治療可能な疾患の主役の感染症から慢性疾患への変化、更に「疾患」から「障害」への重心移動――という軸も考えられる。この視点の方が、ポスト「病院の世紀」=「地域包括ケア」の時代の位置づけがしやすい。
 しかしそれとは別に今一つ、いわば「経済学的」な視点も導入可能であろう。「治安政策としての社会政策」の時代は古い言葉でいえば「重商主義」の時代であるが、そこでは社会政策のターゲットたる庶民は能動的な主体としてではなく、基本的に管理統制(保護を含む)として位置づけられる。それに対して「自由主義」の時代以降は、庶民もまた能動的な主体としてとらえなおされる。ただし狭い意味での古典的「自由主義」の時代には、庶民は政策の主体ではなく、その客体として位置づけられる。政策のありようが一方的な管理統制ではなく、庶民の主体性を前提としたものへと変化してくる、という程度のことだ。それに対していわゆる「帝国主義」から「国家独占資本主義」の時代においては、庶民もまた、あるいは庶民こそが政策の主体となる。「病院の世紀」はここに対応する。
 ただし政策論的視点ではなく、産業論的視点から見れば、「病院の世紀」とは同時にまた、「医療の産業としての成熟の時代」とも考えられる。「医療の社会化」の時代とは「病院の世紀」のこの両義性が痛切に意識された時代であるともいえる。そしてそれはまた我々の現在も同様である。いわゆるポスト「福祉国家」時代の医療の課題の一つは、そういうことであろう。


*ところで医師というプロフェッションのあり方の変容は、時代区分の「軸」としての意味をどの程度持つであろうか? 上に記したいくつかの「軸」に比べたとき、驚くまいことか、その存在感は存外に軽い。医師というプロフェッションはそれほど能動的なものではなく、大状況に振り回されそれに受動的に適応するだけのものに見えてしまう。すなわち、典型的な医師たちは科学的医学に裏打ちされた専門技術者への道をこれまで以上に志向し続ける、という傾向自体は変わらず、しかしそうした志向は彼らを取り巻く状況を積極的に変えていくというものではない。むしろ「診療」という契機の重みが相対的に減じた世界で、その分存在感をやや軽くしながら、それでもなお絶滅からは程遠く生き延び続ける、という……。


*「医療の社会化」論の総括、あるいは「川上武は偉かった」という解釈は興味深い。
 つまりは川上医療史論も昔風の国家独占資本主義論の一バリエーションであり、その限界を背負っていた、ということなのだろう。今から振り返れば山崎佐の微温的なビジョンの方が正鵠を射ていたように見えるのは、たとえば現時点から見れば戦前のマルクス経済学者よりも石橋湛山らリベラルなエコノミストたちの方に圧倒的な説得力が感じられるのと同様の現象なのだと思われる。
 にもかかわらず、川上がたとえば決して「開業医悪玉論」に走らなかったのは、彼自身が現場の医師(大学人ではなかった以上、広義の「開業医」であろう)であったことを差し引いても、卓見ではある。