石川健治「Workplaceと憲法」(『法律時報』2009年11月号座談会報告)

 座談会25頁中丸々6頁(補足も入れると8頁強)を占めて座談会における話題提供というよりそれ自体で1本の論文になってます。何という俺様ぶり。

最高裁の「職業」論(「薬事法判決」「小売市場判決」)

・人格の発露
・社会的機能分担

 22条1項の「職業選択の自由」が「職業(営業)の自由」にまで拡大されつつ、それに対する社会的制約にまで説き及ぶ。

 日本版オルドリベラリスムス? 「護送船団体制」を公序として志向する?

 ここでの自由の主体は法人も含むことに注意。(八幡製鉄事件)

「営業の自由」論争の含意

 22条1項の「職業選択の自由」は事業者も労働者も(法人も?)含めた人一般の人権であるが、事業者の「営業の自由」(条文にはない)、労働者の「団結の自由」(28条)は人一般の権利としての人権ではなく、公序である。

その「契約の自由」への含意

 ありうべき解釈――「契約締結の自由」は人権に属するが、「契約内容形成の自由」かなりの程度公序に属する。
ただこれでは雇用関係において、企業の側に採用の自由があることになる=私人間効力について否定的となる。(三菱樹脂事件))

「場」

 薬事法判決は西ドイツの判例を参考にしているが、ドイツ憲法ボン基本法)にあって日本国憲法にない契機として、「職場」「職業訓練」がある。日本の憲法には「職業」はあってもそれを支える場としての「職場」がない。
 しかしそれを考えることなくして、なぜ職場の問題(雇用問題を含めて)が人権問題となりうるのか、を理解することはできない。
(「表現の自由」が意味を持つためにはパブリック・フォーラムがなければならない。)
(「権利」の前提には「権利能力」=身分がある。)
 現代社会では「職場」の底が抜けつつある――国家・市民社会、企業、市場と言った他の様々な「場」との関係が不安定化・非自明化している。


憲法の争点 (ジュリスト増刊 新・法律学の争点シリーズ 3)

憲法の争点 (ジュリスト増刊 新・法律学の争点シリーズ 3)

Toward a New Legal Common Sense: Law, Globalization, and Emancipation (Law in Context)

Toward a New Legal Common Sense: Law, Globalization, and Emancipation (Law in Context)

労働研究を踏まえての当方からのコメント

 日本の労働研究は近代法人企業におけるそれを含めて、雇用関係一般を身分関係と考えるところに到達した。ただしそこでの「身分」概念は今なお不明確(悪い意味で社会学的)である。
 しかし少なくともここまではいえる。契約概念と身分概念は相反しない。雇用関係は身分関係を前提としそれを再生産する契約関係である。契約の自由の確立以降も、契約内容は歴史的慣行、そして政策(つまり公序)によって規定されている。



雇用関係の生成―イギリス労働政策史序説

雇用関係の生成―イギリス労働政策史序説

Coercion, Contract, and Free Labor in the Nineteenth Century (Cambridge Historical Studies in American Law and Society)

Coercion, Contract, and Free Labor in the Nineteenth Century (Cambridge Historical Studies in American Law and Society)