「人権」についてポイントのみ

・法学的な意味での「人権」と政治思想上の、あるいは日常道徳的な用語としての「人権」とは意味が違う。
・それどころか憲法(国家レベルの公法)と国際法(国際公法)とでは、また国内法レベルでも憲法(公法)と民法、刑法等々では「人権」の意味が異なる。(憲法上の「人権」と、国際法上の「国際人権」は違う、というのが憲法学者の間で有力な説[高橋和之(「国際人権の論理と国内人権の論理」ジュリスト1244号69頁(2003年)、等]。民法や刑法では法律用語としての「人権」自体不要かも? 
 つまり政治的・道徳的な意味での「人権」の面倒を憲法(上の「人権」)がすべて見ることはできないし、見る必要もない。適宜他の法律あるいはその他の政策手段が動員されれば十分、ということか?)
・だから一部の憲法学者は「人権」の語に換えて時に「憲法が保障する権利」といった言い方をする?
・人権が何であれ、それはそこからすべての権利が演繹できるマトリクスというわけではもちろんない。また当然のことながら、憲法はあらゆる法律の母胎というわけではない。(もちろん誰もそんなことは意図的には言っていないはずだが、気づかずにそれに近い理屈の罠に落ち込む可能性はないか?)
・あえて憲法上の「人権」とは何かを一言でいえば「身分」の一種であるということになる。いわゆる人権宣言とは既存の(旧体制的な意味での)身分の否定であり、身分的特権の普遍化であるわけだが、実は人権宣言後の憲法にも大体の場合身分差別は残っている――「国民(市民)」と「外国人」。(日本国憲法について有名な安念潤司論文というのがある。ここの「憲法と外国人を参照。)


 昔の勉強ノート――
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060906/p3
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20061115/p1