最近は経済学を勉強していないんだってば

http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20080829/p1
 こちらの前段の「GDPの社会指標としての限界」問題についてはとりあえずおいておきます。(古い話だが大事な話で何度か蒸し返されるものではあるし、現時点では異論というほどのものはないです。)
 引っかかったのはあくまで締めくくりの、

 マクロ経済政策は、「いかなる社会を作るのか」という価値判断の後に来るものである。経済学を全然知らないのが問題だとして、マクロ政策さえあればいいかのように言う半可通も同じくらい問題ある。マクロ政策はミクロ政策の代わりにはならないし、価値についての議論を不要とするものでもない。経済は、「パイの大きさ」というときの、どこを切っても同じ「パイ」であるというような均質なものではない。むしろ、「幕の内」みたいな、個別の要請に応える区別されたさまざな料理の組み合わせであることを忘れてはいけない。

である。mojimoji氏はこうおっしゃっているし、別にぼくも自分に個人攻撃をされたとは思っていない(「半可通」を批判しつつ「素人の放言」には寛容な氏のことですから)のだが、「リフレ派」へのありふれた誤解に基づく非難をされたようには感じた。氏は以前はこのように、あるいはこんなことも書いておられたので、ちょっと気になったのです。
 インタゲについてその後考え方が変わったということは十分ありうることですが(たとえば小野先生と同様のお考えに達したとか)、マクロ経済政策の位置づけについてはどうなんだろう、これだと小野先生の考えともたぶんずれてくるんじゃないかな、と思いまして。


「マクロ政策はミクロ政策の代わりにはならない」とおっしゃいますが、同様のことを、かつその逆に「マクロ政策はミクロ政策の代わりにはならない」と併せてしつこく主張してきたのが「リフレ派」ではないかと存じます。「政策割り当て」の問題ですか。マクロ政策はあくまで完全雇用の達成、つまりは生産に投入すべき資源の可能な限りの活用の実現を主眼とし、ミクロ政策はその上で、資源をもちいて生産し、最終的な消費に供すべき財の配分をどうするか、に主眼があるのだ、というのがその趣旨だと理解しておりました。
 つまり「マクロ政策さえあればいいかのように」言ったつもりはぼく個人はないですし、また「リフレ派」の議論をそのように読むことはどちらかというと誤解であると存じます。 氏は「マクロ経済政策は、「いかなる社会を作るのか」という価値判断の後に来るものである」とおっしゃっていますが、これに対してぼくの理解するリフレ派の主張は、この文脈に適用して敷衍するならば「マクロ経済政策は、「いかなる社会を作りうるか」についての選択肢の範囲をできるだけ広げることをその眼目とするものである」となるのではないかと存じます。


「経済は、「パイの大きさ」というときの、どこを切っても同じ「パイ」であるというような均質なものではない。むしろ、「幕の内」みたいな、個別の要請に応える区別されたさまざな料理の組み合わせであることを忘れてはいけない。」というのは、徹底的にミクロ的な視点からのご発言であり、マクロ的な視点とは、それを否定するものではなく、あくまでも別の視点ではないでしょうか。実物レベルに着目するならば、そこでは、短期的には潜在GDP自体は固定されて、その稼働水準(1マイナス失業率)というかなり一次元的な指標でもって経済は評価されるでしょう。また長期的にも、生産資源の転用可能性を前提として、長期的な潜在GDPという一次元的な指標でもって経済を評価するというやり方はそれなりの意義を失わないでしょう。
 そしておそらくは、経済の「マクロ」的な側面は、マネタリーな側面に注目してこそはっきりするのではないでしょうか。実物レベルに着目するならばまったく同様の構造の経済であっても、マネタリーな側面での違い(マネーサプライとか、金融市場での各主体の期待構造とか)が異なってしまえば、まったく異なった様相を呈する、と。


 松尾さんのこの記述も、ここでの論点に関連するのではないかな、と存じますが。

 まず経済の天井を成長させる政策と、失業者を出して床を這い回っている経済を天井までもっていく政策とは違います。労働資源を全部使った経済の天井の構造が、成長のために設備投資財生産に労働が比較的多く配分されている構造から、例えば福祉部門に労働が比較的多く配分されている構造に変わることはいいことだと思います。労働資源が全部使われているならば、どこかの労働配分を増やせば、どこかの労働配分を減らさなければならない。福祉に人が要るならどこかで人を減らす。じゃあ昔なら、経済成長のために設備投資財生産に人が要ったけど、もうそんなにいらないだろう、ここからまわそうと。これが、成長を志向しない経済構造への転換という意味です。それはまあ、何が何でもとは言いませんが、おおむね必要な転換だと思います。
 しかし労働が無駄に余らされている状態から、働きたい者みんなが働ける状態にもっていくことはとても大事なことです。これはGDPの拡大を目指しますが、経済の天井を成長させる政策とは別です。極端な話、失業者が全部ヘルパーで雇われたとする。その分GDPは成長しています。しかしこの場合、天井の成長は増えないのです。