「続・ゲームと公共性」をやりたいのだが

 つまり
http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20060629/p3
の続きを書きたいのだが、思いつきの垂れ流し以上のちゃんとした議論を展開するのは相当に大変ではないですか?


 ニコニコ動画を見ていて気になることのひとつが、テレビゲーム、主としてRPGのリプレイの隆盛であり、更にはそこからの様々な派生物である。リプレイの中において「やりこみ動画」はもちろん一定の地位を占めているが、興味深いのが「実況」「フルボイス」であり、さらにはそこからさらに派生してくる、何と命名してよいかわからないがとりあえずニコマスに敬意を表して「架空戦記」と呼んでおくか、RPGAVGを素材とし、それを微妙に再編してオリジナルストーリーを展開するという妙な遊びである。ある意味、スタンドアロンのシングルプレイRPGを用いてTRPGインプロヴィゼーションをやっている、といえようか。こうした動きがたとえば「ビジネス」になりうるとはもちろん到底思えないが、しかしこれは、どれほど瑣末で下らなくとも、何やら新しい種類の「表現」であることは確かだ。
 ここで更にいま一つの微妙に異なる流れが合流してくる。すなわち「改造」である。むかしからPARなどを用いての改造、チート遊びは広く行われていたわけであり、「ツクール」系のオリジナルゲーム開発ツールもあったが、どうも2000年代前半あたりから、主としてSFC末期のメジャータイトルを素材として、そうした改造遊びがある種の成熟を迎えてきたようだ。詳しく書くとさしさわりがあるので控える(どの道ニコニコを見れば一目瞭然だ)が、単なるチートなどの域をはるかに超え、原型のゲームの物語上・設定上の瑕疵を補ったり、オリジナル(とはいえ実際はその多くは姉妹編や他のゲーム、アニメ等を素材としているが)のキャラクターやイベント、物語を付け加えたりといった遊びが、半ばアンダーグラウンドでの無償の営為によって、相当程度のノウハウを積み重ねている。そうした改造ゲームのいくつかの情報がここへきてニコニコで急に広汎に流布しており(私もここで気づいたくちである)、また先の「架空戦記」などの製作においてもこれら改造ゲームが広く利用されてもいる。
 とはいえ「やりこみ」はともかくこうした広義の「改造」の成果を、原型を提供したゲームビジネスがうまく取り込むサイクルがどうやったらできるだろうか。そういえばガンダムを素材にしたものすごいシミュレーションゲームを中国の方だかで誰かが作ってたはずだが、あれはどうなったのでしょう。

追記

 ぼくの見聞した狭い範囲から、二つのエピソードを。


 まず、90年代、wwwの商業化の波と共振して大ブレイクし、山のような二次創作を派生させた某アニメの製作元の態度について。
 この製作元は二次創作に寛容であり、むしろそれを利用することによって作品をメジャー化したことはよく知られている。しかしながら二次創作の商業化に対しては厳しい一線を敷いていた。すなわち、それがコミケなどで非公式に流通する限りは黙認するが、ISBNを打つなどして表の出版界等に公式に出てくることについては厳格に拒否する、ということだった。自分も若干かかわったこの事案については、「製作元ケチ臭い」という恨み言を言いたい気分もないではないが、しかしあえて贔屓目に見れば、すぐれた同人作品に対して、後出しじゃんけん的に、一定に見返りとともに「公式」と追認する、という儲け方はしない、という自己規律ともいえる。この会社の方針としては、企画当初から自社がかかわっていないものについては、「公式」とはしない、ということであった。


 もう一つ、版権の塊ともいうべき某大人気ゲームシリーズについて。それ自体が壮大な二次創作であるこのゲームについても、更に膨大な二次創作が派生しているのだが、その中で、シリーズ中でもとりわけ不評だった某作を徹底的に改作したオリジナルゲームを作り、www上で発表した剛の者がいる。伝え聞くところでは、その剛の者は製作元に拉致――もといスカウトされてしまって、同人活動を禁じられたそうだ。「そんな暇あったらうちのオリジナル作れやゴルァ」というお話。


 ガンダムの場合は中心軸の一つが「ガンプラ」であり、ある意味では初めから「二次創作支援ツール」として売られることになったのはおもしろい。アイドルマスターの場合も、ニコマス以降「二次創作支援ツール」として売れていることを製作元が自覚していることは明らかだ。とはいえそれではアイマスについては二次創作が放任されるかと言えば、そんなことはあり得ない。「コラボPV」や「架空戦記」においては、どうしてもアイマス以外のソースが動員されてしまい、他の著作権者が絡んでしまうからだ。(今回の措置は映画・アニメ関連で、音楽・ゲームは一応埒外だが。音楽についてはJASRACとの間で暫定的な取り決めがあったはず。)

追記

 楽曲の通常の演奏や、伝統的な映画、アニメなどのノンインタラクティブなメディアのデータについては、ニコニコなどに(オリジナル丸揚げはもちろん、MADも含めて)上げられてしまうことは、宣伝効果を差し引いても、売り上げ低下によるダメージが大きい可能性は高い。(以前紹介した「踵鳴る」MADはどうやらプラスの販促効果を発揮しているようだが、幸運な例外ではないか。)ライブパフォーマンスの価値が高い、と自任しうる作品・パフォーマーであれば、グレイトフル・デッド戦略に徹することもできようが、劇映画やアニメはそうもいかないだろう。
 しかしゲームの場合はどうなんだろうか。プレイ動画は果たして、問題のゲームの売り上げを低下させるだろうか。そりゃ「ひぐらし」のようなゲームの皮をかぶった別物(はっきりいうと、ある意味で「ひぐらし」は、それ自体でニコニコにおける「架空戦記」の先駆なのだ!)ならばともかく、プレイ動画を見ただけで人をして「ああ、これでいいや、満足」と思わせてしまう作品は、はたしてインタラクティブ・メディア(相手をしてくれるメディア)たるゲームとして、そもそもすぐれた作品と言えるのか? 
 ニコニコが見せてくれた可能性は、すでに韓国などでは「ゲーマー」という職業がある時期に確立したことなどからも既にある程度予想されていたことだが、ゲームのプレイそれ自体が一種のパフォーミングアートでもありうる、ということではなかろうか。どれほど貧しくともそこでは一定のプラスの価値=快楽が生産されており、場合によってはそれが金銭的付加価値として実現しさえするのでは。「やりこみ」や「スーパープレイ」に直接対価を払う者は少なかろうが、それは一種の宣伝、販促ツールとして機能しうるし、現にしているのではないか。


 とかいろいろ書き連ねてみても、結局私は「アイマス」「初音ミク」とか触ったこともないし触るつもりもない(つまり私にとってニコニコは販促効果を持たなかった)――というあたりで自ら書いたことを裏切ってる気もするが。でも「踵鳴る」のおかげでイースタンユースは買ったんですよ。(「ひぐらし」は無償のお試しだけダウンロードしてちょっとやって飽きた。やっぱりギャルゲーってあんまり肌に合わない。古典的RPGの方が好き。)あの改造ゲームはフリーソフトだし、何より元ゲームROMの吸い出しを前提としているし。
 でも最近はゲーム屋で堂々とDSの吸い出しツールが売られてるんだって? SFC時代には香港などでSFCの吸い出しツールがゲーム屋で普通に売られてて、コアなおたくだけではなく一般ユーザーが普通に使っていたそうだが。

追記

 このエントリもたぶんニコニコの未来とか「グレイトフル・デッド時代」と無関係ではないのだと思う。
・どういうわけで演歌には「アルバム」の概念がないのか?
という問いかけに対しては、歌謡曲や演歌の歴史、芸能史をきちんと押さえた上でないともちろん答えは出ないのだが、では;
・アルバムを作れるようになれば演歌はましになるのか?
と問うてみれば、80年代から90年代にかけてならともかく、現在これを問うても仕方がないだろう。この時代にも演歌においては「アルバム」の概念が定着しなかったし、それでやっていけたのだ。演歌にはおそらく、別の基盤があったのではないか。
 それって何? いや、よくわかりません。たとえばカラオケ? 演歌のカラオケ依存度って、他のジャンルと比べてどうなの? 強いという印象はありますが、定量的な検証が要りますね。
 ただ昔、カラオケブーム以降、演歌において「歌いやすい」楽曲への要求が高まり、歌手の技術を見せつけるタイプの楽曲が作りにくくなった、と聞いたことはありますが。
 むしろひょっとして演歌の運命は、ポピュラー音楽全体のそれを先取り的に暗示しているのかもよ。「アルバム」という形で充実した作品をパッケージ商品として売ることができなくなり、断片的に消費されるか、あるいはライブで稼ぐかしかなくなる、という局面は、演歌において既に十二分に現実化している、と。