終わらせることの困難

ということについてオタク系サブカルチャーの素材を念頭に置きつつ大澤真幸が『不可能性の時代』で語っていたが、これは何も今の時代の日本特有の問題ではなく、様々な表現ジャンルの爛熟期に起こることなのではないか。
 たとえば――

 そもそもロマン派の作曲家(シューベルトにしてもシューマンにしても)は、自らの想像力の赴くままに曲を書こうとすると、形式から逸脱して空想に耽溺してしまう傾向がある。逆に形式を完結しようとすると硬直した図式に陥りがちなのも、ロマン派の特色である。だがベートーヴェンは、自由に想像力の翼をはばたかせながら、十二分に言い切り、言いつくし、そして完結する。(岡田暁生西洋音楽史中公新書、129頁)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)

西洋音楽史―「クラシック」の黄昏 (中公新書)


 その他、昨今のオタク系サブカルチャーがはじめから「二次創作」の興隆を目当てにコンテンツ制作を行うという傾向は確かにあるものの、そこにおいてオリジナルの特権性はなお消滅してはいないし、そもそも消滅傾向にあるのがどうか自体も本当は疑わしい。多くの場合オリジナルは不可侵不可謬ではないにせよ、単なる素材データベースではなく、「手本」「模範」であり続けている。