安藤馨『統治と功利』メモ(続)

「3.3.2.4 事実主義と可能主義」において時間を通じての(人格)同一性の議論が少しなされていて、注23に「延存的(exduring)」なる語が出てくる。
 トレントン・メリックス「耐時的存在者と永存的存在者の両立不可能性 」(『現代形而上学論文集』勁草書房、所収)には、物体の時間を通じての存続・持続についてのふたつの考え方として「耐時endurance」と「永続perdurance」が紹介され、検討されている。それと延存exduranceとの関係については、 Yuri Balashovの論文"Defining 'Exdurance'"がある。Balashovによれば、exduranceなる用語自体はSally Haslangerの "Persistence Through Time"に由来するそうだ。Haslangerはexduranceを'duration via the object's relation to entities other than or outside of it'という風に導入しており、Balashovはフォーマルな定義を試みている。これに対応する時間論をStage theoryと呼ぶらしい。
 しかし日本語文献はあるのだろうか。「延存」なる訳語の由来は?


 安藤によれば;

 人格の時間を渡る同一性関係を各時点切片間の対応者関係(な様相の可能主義に於けるそれのアナロジーとして理解する延存的モデルはかなり魅力的である。(79頁注23)

だそうな。
 永存的モデルだと、個体は四次元的実体で、各時点における三次元存在はその時間的切片だということになる。これはメリックスによれば指標主義、すべての時点は存在論的に等価であるとする永遠主義と親和的である。これは可能世界論におけるソーセージ説のアナロジーとして理解できる。
 これに対して耐時的モデルだと、個体は三次元的実体で、時間の中を旅する。これはメリックスによれば「現在」の一時点のみを存在論的に特権化する現在主義、時点主義と親和的である。
 延存的モデルがルイスの対応者理論のアナロジーで理解できるとすれば、時間については指標主義をとる一方で、個体は三次元的実体であり、各時点における各個体間の関係は同一関係ではなく、相似的な対応関係にある、と考えるのが自然である。しかし安藤は;

延存モデルに一般的に伴う永遠主義に与して指標性に尽きない現在の存在論的優越性を放棄したくない(同上)

ので、

プリミティヴなde re時間様相を諦め(resの端的な持続を諦め)、言語的構築物である(ersatzな)現在時以外の時点断片との間の対応者関係によってde reな時間様相を構築することができる(様相の現実主義的対応者理論のアナロジー)。(同上)

とする、のだそうな。