内藤朝雄氏の文体の変化

 6月17日、広田照幸さん代表の科研費研究会例会に行ってきて、小玉重夫氏と内藤朝雄氏の報告を聞いた。小玉氏は原武史『滝山コミューン1974』の話をしていた。内藤氏はというと、基本的にはここしばらくのブログとあんまり変わらない話ですよ。


 それで思ったのだが、内藤朝雄の文体、というか語り口は『いじめの社会理論』から『いじめと現代社会』にかけて明らかに変化している。『社会理論』では政策論の文体が採用され、あくまでも「生態学的設計主義」に立ったテクノクラートとして、根絶しようもない「中間集団全体主義」をいかに可能な限りコントロールし、馴致していくか、について論じていたのに対し、『現代社会』では「敵」を撃滅しようとする運動論の文体に移行している。ありていに言えば氏が罵倒する対象たる「左翼」の文体。
 贔屓目に見ればそれは「世の中にはどういうわけか「中間集団全体主義」を積極的に欲する人々がいる」という苦い悟りの反映なのかもしれないが、本来ならばそういう欲望をも「敵」ではなく「コントロールの対象」に繰り込んでいくべきではなかったのか。


 それから興味深かったのは「自分の議論は基本的には第二次性徴を迎えて以降の人々を念頭においている」との発言。