「身体の所有権」批判by長谷部恭男

 多くの人の理解を得られるであろうような身体に関する法的ルールは、身体はその人の「典型的な所有物」ではないという別の想定によっても、少なくとも同程度に説明可能である。身体は社会公共(共同体)のすべての成員の共有物で、あなたが自律的に思考し行動する個人である間だけ、あなたに利用がゆだねられているだけだと考えても、(中略)「自己の生の意義づけに関わる重大な決定」に関する限りは、委ねられた利用権に基づいてその利用の仕方を決められることになるし、他方で、そもそも共同体の財産である以上、勝手に一部ないし全部を譲渡したり破壊したりすることはできず、つまり、自律的思考能力が停止すれば共同体の共有物に復帰することになる。

長谷部「憲法学から見た生命倫理」『憲法の理性』(東京大学出版会)、115-116頁


 飛浩隆『ラギッド・ガール』を読んでいて改めて「死体は相続されない」ということの意味について考えさせられました。