mixi某所での「ねずみ王様」のコメントを許諾つきで部分転載。
言わずもがなの注釈をつけますと、ここではとりあえず「専門家」と「知識人」とが対立概念として扱われているのです。
2006年08月28日
12:19 ねずみ王様
(前略)職業論文の形式というのは、あるところまでその形式が代わりに考えてくれる、というか考えることの外延を決めてくれるところもあるから、枠を外して考えるにはまた別の訓練がいるということなんすかね。
枠を外すと孤独に芸を見せるしかないわけだから、これは今時の水準でいうと、事実上、ポジティヴには何も達成しないということにほかならず、知識人になりたいのなら、何かを達成しようとしてはまずいのでしょう。
2006年08月28日
12:27 contractio
> 知識人になりたいのなら、何かを達成しようとしては先生、シニカルすぎませんか。
2006年08月28日
13:14 きし
>先生、シニカルすぎませんか。王様はほんとうはいい人なんです!
2006年08月28日
13:23 ねずみ王様
シニカルかなあ。ちょっと言い過ぎかあ。
専門知識というのは積み上げを前提してるから、共同作業というか集団として初めて意味を持つ類のものだと思うのですよ。その代わりになんというか、ある種の断念がいると思うの。20代の(ある種の)野心溢れる若者にとっては。なんつうか工業高校へ行けとか言われると、やっぱある種の未来の限定になるわけだけど、たぶんそういう感じなのでは。個人的な経験からの印象だけど。
そういう専門家たる道を外れたら外れたで、別の断念がいるような気がするんだ。それはやっぱり無力、というか不毛だということの承認なのではないのかなあと。
ええと出来損ないの知識人タイプも、実際の教育現場では意味があるとは思います。というかそう信じたい。下手な専門医よりは、視野の広いホーム・ドクターのほうがある段階では有効みたいなもので。
まあ影響力ってひとによって違うから、あるいは、ひょっとするとホーム・ドクター以上の、より広汎な社会に向けても、何かはまだ可能なのかもしれないけど。まあうまくいけばいいよね、ぐらいの感じでないと、ちょっとなんか変な気がする。動員になっちゃうじゃん。
同様の問題意識に立つ僕自身の発言として、
http://www.toyokeizai.net/online/magazine/story02/index.php?kiji_no=8
まあ、そないな逃げ口上つこうて、学会にも出ず査読誌にも書かず、という生活をしておっても、「倫理学事典の項目書け」とか「社会学教科書の分担執筆しろ」とか、専門家世間というのもなかなかこれはこれで……。