『コルナイ自伝』を読みながら

 ふとわいた疑問。
 しばらく前からドゥウォーキン平等論における「責任と補償」について考えていたのだが……あそこで言われている「自らは責任のない不利益に対する補償の請求権」って、一面非常にもっともな話とも思える。
 しかし『コルナイ自伝』を読んでいると、コルナイの言うところの「ソフトな予算制約」問題は具体的にはまさにそのような要求の中に典型的に現れていたらしい。まあその場合の主役は個人ではなくて社会主義企業だったとはいえ。