mojimojiガンガレ!(決してアイロニーでなく)

 いやもちろんおおや氏の啓蒙への努力は頭が下がるといいますか。しかしちょっと? な感じもする。内容ではなくて、レトリックとかパフォーマティブなレベルで「これって効果的なん? 通じるん?」って感じ。
 あえてかどうかはわからないがかなり高圧的で時に挑発的な文体を駆使しているのは(師匠井上達夫そっくり、というのは半分冗談で半分本気だが)、芸風というか性分もあるだろうが、相手が畑違いではあれ自分の土俵ではプロの研究者であるがゆえにのことであろう。「法解釈という土俵においては自分の方がプロなんであってわしとおまいは対等じゃないんだからまずはこっちの言うことを聞けい」という高圧的、権威的態度は「あんたもプロなんだから土俵というものがあるのはわかるでしょ」という信頼に支えられて初めて有効に機能する。

 だがこれは結構微妙な戦略であり、もっとソフトに慇懃無礼にいやらしく迫った方がいい場合もあるだろう。今回はどっちなんだろうか。

 もちろんこういう「語り口の問題」は民衆法廷の場合にも典型だがインテリ左翼の年来の悪癖、いやしがたい病であり、唐沢俊一もしつこくいってるし、内田樹大先生も岡真理批判(http://www.geocities.co.jp/Berkeley/3949/uhohoi1.html)などの際におっしゃってることだが、高いところから権威をもって語るというやり方は、権威の必要性を承知しており、権威にとりあえず頭を垂れてみようという姿勢をとる用意があらかじめある相手に対してこそ効果的なのであり、その用意がない相手に対しては無用の反発を生みかねないのではないだろうか。主張の内容の正しさが理解されればされるほどかえって行き場のないルサンチマンが相手のうちにたまるのが落ちではないか。
 mojimoji氏がそういう相手だとは言わないが、おそらく心情左翼のギャラリーの中にかなりそういう気分をもっていて、おおや氏に無用にむかついている人がいるのではないかと忖度する。
 その点ではbewaad氏のいかにもいやらしい官僚的な語り口はなかなかによくできているのであって、この辺もしこれからこういう市民教育をおおや氏が心がけるならば見習われてはいかがかと。

 というわけでおおや氏にむかつくギャラリーはbewaadさんと梶谷さん(http://d.hatena.ne.jp/kaikaji/20050123)の整理を参考にされたい。