非民主的だがリベラルな左翼

うーむ 『その道にも陶器の破片が敷き詰められているような・・・。』

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070427#c1178032724
 いやそこが地雷原だってことくらい俺だって(以下略)

murayama 『地方行政・議会の左翼の実態ってそういうことでしょう。道路だの下水道だの保育園だの、ローカルな問題では、左翼議員だからといって何もできないわけではない。むしろ、利益配分はそれなりにある。』

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20070427#c1178073005
 それなんて旧田中派……いや旧革新自治体?


 結局このエントリはこれへの大屋先生のご教示を踏まえた上での続編な訳である。
 「どぶ板政治アゲイン」というかまだまだ政治はよくも悪くもどぶ板な訳であり、「管制高地の取り合い」と称して高邁な空中戦ばかりをやっていても仕方ないわけですが(「しない善よりする偽善」違うか)、ここで提唱しているのはやはりあえて言えば「新どぶ板」であって、いまやすっかり悪者扱いの「旧どぶ板」ではないわけです。いえ、『教養』にも書いたとおり「旧どぶ板」=悪とはぼくは必ずしも思ってなくて、時と場合によっては「抵抗勢力」には立派な意味があると思いますよ……ところでフランク・ハーバートの「ジャンプドア」って知ってる? 
 「旧どぶ板」はまず何より草の根大衆の「民主主義」に乗っかったものであったのに対して、「新どぶ板」は草の根少数派の掘り起こしですから、(ことに小選挙区制の下では)票にならない。ただし相手が少数派であることのメリットもある――(うまくやれば)手当てにそれほど金はかからない。
 ただここで「うまくやる」ことは死活的に重要な意味を持ちます。つまりこれは「大衆的支持の下に大きな予算をつける」のではなく「皆様のお目こぼしをいただく」わけ。つまり(結局権力を握った左翼がよくやっちゃったように)民主主義を正面からブッチするんじゃなくて、せいぜい「やりすごす」程度、つまり積極的にではなく消極的に民主的承認を得よう、という考え方ね。
 もちろんこのやり方がうまくいくためには条件がある。つまり大衆が大体において現状に満足してくださっていて、少数派の苦境に対しても同情、悪くとも鷹揚な無関心を保ってくれていて、「何で俺の血税をあんな奴らのために」などとうるさいことをいわない、という条件が成り立っていなくては。
 だからここでは、声高に正義を叫ばない方がよい。そういうやり方が通用するのは、その正義に多数派の利害が反映している場合だから。それから、単なる「予算ぶんどり」になるのもまずい。基盤がいいとこ「お目こぼし」なんだから、資源の徹底的な効率的運用をはからないと。