政治poliltics・統治government・行政administration

 もう採点は終わってしまったのだけど、東大教育学部での講義のまとめのために、メモ。


 今日の日本語では「政治」という包括的な上位概念のもとに、理論政治学(システム論)・政治過程論風の言い回しを用いれば「入力input」にあたる狭義の「政治」=公共的意思決定と、「出力output」にあたる「行政」とが包摂される、という風になっている。さらにこのような「政治」の大枠は「憲法constitution」という形で与えられ、「政治」は「行政」はもちろんのこと狭義の「政治」においても、主としてそれが「立法」という形で手続きを踏んでなされねばならない、という形で、「法の支配rule of law」に服している。とはいえ「憲法」自体も不変ではなく、狭義の「政治」にはその変更可能性までもが射程に入れられている。
 あるいはこの「政治」の制度的な枠組みのことを「統治government」とも呼ぶ。日本を含めた多くの国家において「憲法」の中軸にあるのは実定法としての憲法であるが、その憲法の内容は、大まかに言って「統治機構」と「人権・市民的自由」という二つの主題をめぐるものと整理されることが多い。
 現代の日本での法的な言葉遣いにおいては、「行政」をめぐる法律は「行政法」と呼ばれており、「憲法」における「統治」は、広義並びに狭義の「政治」、つまりは「入力」とそれ以上に、「入力」「出力」をひっくるめた「政治」の全機構にかかわる物事をさすものとして用いられることが多い。それはこの語の対応する欧語(government他)においてもおおむね同様である。


 ただしミシェル・フーコーは欧語における"government"ならびにその対応語の歴史をさかのぼり、現在のようなその用法は比較的新しいことを指摘する。フーコーによればそもそも"government"なる語ならびにその類語群は「政治」の下位概念に対応するものでは必ずしもなかった。古代から近世、初期近代までは、公的私的ひっくるめての、従属的地位の人々や生き物たちに対する管理・操作・ケアを指す言葉として用いられていた。governmentの典型的な領域とは家政、私的な家の管理や、あるいは教会における信者の司牧、学校や軍隊における管理統制にこそあった、とフーコーは指摘する。"government"なる語が主に公的な領域におけるそれに集中するようになるのは、近世以降、近代主権国家の成立以降なのである。
 フーコーの論じるところからさらに延長するならば、アレントが提示するような古典古代的な政治観念、例えばわかりやすいところでアリストテレス政治学』『経済学』におけるポリスの「政治」とオイコスの「家政」に我々は行き当たる。フーコーによれば"government"は後者、オイコノミアoikonomiaの系譜に連なるものであり、国家の専権事項ではないどころか、むしろ典型的には私的領域における営みであった。つまりは自由人による非自由人その他の支配、管理、統制、保護である。そしてフーコーの見るところ、教会の上層部はともかく、末端における、司祭による一般信徒の司牧活動もまた、この系譜に連なるものである。
 フーコーによれば、近世において、家あるいは身分団体に属さない庶民の存在を無視し得なくなり、主権国家が庶民に対する直接的な管理・統制・保護――つまりは今日的な意味での「行政」に本格的に乗り出すようになって初めて、"government"は国家の担う公的な営みとなったが、それまでは基本的には家、団体レベルでの私的な営みだったということになる。


 フーコーの議論はおおざっぱとはいえそれなりの説得力を持つが、そうなると気になってしまうことがいくつもある。まず、フーコーの言うことが本当だとしても、今日"government"なる語はそのようには用いられておらず、近世までのその語の用法に対応するのは今日では「行政」に「管理」、"administration"や"management"であり、"government"はむしろ狭義のかつ大文字の「政治」に縁の深い言葉として用いられるようになっている。これはなぜだろうか。
 余談になるかもしれないが、今日における「ガバナンス」"governance"なる語の流行について一考してみるのも面白い。この語は今日の"government"なる語がもっぱら国家ならびに地方自治体の統治機構をさす言葉として用いられていることを意識して、それ以外の領域において、典型的には私企業・民間団体の「企業統治corporate governance」、あるいはその対極に国際公共社会における「グローバル・ガバナンスglobal governance」といった用いられ方をしている。この時に"govern"なる語(語幹)によって指示されようとしている問題圏は、言うまでもなくミクロな"administration""management"ではなく、むしろその前提であるより大枠にかかわる狭義の「政治」である。国家においてのみならず民間団体においても「管理」を超えた「政治」が重要な主題である、との問題意識がこの語の今日における隆盛の背景にある。


 以上を非常におおざっぱにいえば、20世紀半ばにおける「政治」と「行政」「管理」の概念の源流を近世にまで遡ると、我々は今日とは異なった「政治」と「統治」の区別に出会う。そこでは従来は公的というより私的なものであった「統治」が公的領域にも浸透をはじめ、「政治」の一部となり始めていた。しかしそうした「統治」とかつて呼ばれた領域はやがて「行政」と呼ばれるようになり、「統治」の語自体はむしろ大文字の「政治」をさす言葉へと変わっていったのである。
 他方20世紀末に我々は、私的な民間社会においても大文字の「政治」に対応する問題領域があることに明確に気づくようになり、「統治governance」なる語をもってこれについて語るようになる。
 しかしそれでは、20世紀半ばまで我々は私的領域、民間社会における調整メカニズムをいかなる語や概念系をもって理解していたのか? ひとつには「管理」である。我々はながらく私企業や民間団体の学を「経営(管理)学」と考えてきた。しかしそれは一個の団体、組織の内部運営の学である。それを超えた市民社会レベルには何があるのか? ひとつは私的所有と市場経済を軸とする「経済」であり、もう一つは「社交」である。
 かつては"government"とイコールではないにせよ大幅に重なり合う問題領域をさす語であった"oikonomia"ならびにその類語群の果てに、今日的な意味での"economy"の語はある。しかし言うまでもなく今日の"economy"なる語は"oikonomia"とは異なる何物かをさす言葉となっている。それは人為的、意図的な管理の秩序ではなく、意図によらないある意味で自然的な秩序として考えられている。


 それにしてもそもそも「公的」な「政治」とはいったいなんであるのか? アレントハーバーマスをも参考にして考えてみよう。アリストテレス以来の公私二分法に従うならば、「政治」とは公的な活動であり、そして自由人同士の間における支配関係である。この「自由人同士の支配関係」が(後述する)リベラルな社会に生きる我々にはややわかりにくいのだが、大胆にパラフレーズしてみよう。
 宇佐美誠は公共選択・集合的決定論の文脈で、「公共的決定」とは非同意者をも拘束する逃れがたい決定である、との趣旨のことを述べている。問題の決定に先行して、いかなる形でかあらかじめ、その決定によって拘束される人々の範囲が決まっており、当該決定が下されてしまえば、その決定に同意しなかった者(積極的反対者であれ無関与者であれ)もまたその決定に拘束され、それに従わざるを得ない、というのが公共的決定の特徴である。自由な市場経済や社交における共同的決定は、このような拘束力を通常は持たない。そうした普通の共同的・社会的決定は、意に沿わない場合には原則として離脱可能である。(つまり普通は「私的」「民間」と思われている領域における事柄も、こうした「逃れがたさ」がかかわってくる限りで「政治」性を帯びるということができそうである。「ガバナンス」概念はいうまでもなくこれと関係している。)
 上記のごとく「逃れがたさ」に力点を置いて「公(共)的であること」(「公共性」)を理解するならば、自然的要因、その他外部環境的な要因は広い意味で公共的であることになる。このような捉え方は、道徳哲学・政治哲学とは別に認識論や心の哲学における「公共的public/私秘的private」なる対比的な用語法とも重なり合う。もちろんこうした要因は意思決定による選択の対象とはならないため、「政治」の構成契機とはならない。ただしそれらはもちろん、「政治」と無関係というわけではない。
 もちろんリベラルな世界観に汚染されてしまった我々は、こうした公共的決定の逃れがたさの根拠を、たとえば「多数決の結果に従うとのあらかじめの同意を全員が与えていたから、多数決には非同意者も従うのである」といった説明に求めてしまいがちであるが、それでは公共的決定を単なる集合的・共同的決定に還元してしまうことになりかねない。更にいえばそうした考え方は、集合的・共同的決定の基本形、本来形を「全員一致」に求め、多数決を「多数者の選択に全員従うというあらかじめの全員一致」に、独裁制を「独裁者の選択に全員従うというあらかじめの全員一致」に還元してしまう思考なのであり、本来の意味での公共的決定の、更には多数決や独裁といったより具体的な決定方式の独自性を軽視する考え方である。
 また「逃れがたさ」について付言しておくならば、それが単に共同的・社会的ではなく「公的」であるためには、つまり「私的」の対概念として「公的」であるためには、「逃れがたさ」がそれとして認識されなければならない。公共的な決定は、時にまさに常識的な意味での「権力」として、私的な利害や欲望と対立しそれを押しつぶすものであるのみならず、そのようなものであること自体がまさしく公共的に認知されていなければならない。そのことによって、たとえ反実仮想に過ぎないとしても、「私的」な利害や意思が固有の次元を持つものとして認知されねばならない。それは「自然」とは区別された狭義における「公共性」の、そして「政治」の抜きがたい契機である。
 アリストテレス的な意味での、伝統的な家・団体の「家政」と「政治」との違いは、後者がこうした「公」と「私」の間の違和と緊張を踏まえたものであるのに対して、前者がそれを看過するところにある。家における家長の家人・奴隷に対する支配は、私的かつ自然なものである。そしてフーコーが「規律訓練」そして「統治(性)government(ality)」といった概念系によって問題とした、教会や軍隊、学校などの団体(ウェーバー的に言えば「アンシュタルトAnstalt」)におけるそれも、「公的」と対比的な意味で「私的」かどうかはともかく、「技術的」で「自然」なものであると広くみなされてきた。
 このような公と私の区別と関係性は、やはり所有、財産という枠組でみるとわかりやすい。私的領域とは、わかりやすい形では私有財産として現れる。そして公的領域と私的領域の間の境界線を、私有財産の境界として確定するという役目を法は負っている。奴隷は人でありながら財産であり、また女子どもは己の財産を持たず、家長に後見される存在ということになる。そして公と私の境界線はまさに財産権の範囲として現れる。人(家長)は自分の財産を自由に処分できる一方で、他人の財産には手を出すことはできない。そして「何が誰の財産か」を振り分ける秩序――法と政治は公的な領域である。そこで人の「自由」とは、まず第一には、法と政治が安定している限りにおいて、自分の生活を支えるに足る十分な財産がある、ということである。このような財産を持たない無産者、貧民は「自由」ではありえず、財産を所有する他人に依存せざるを得ない。女子どもや奴隷はそれに対応するが、奴隷のみならず雇い人もまた、通常はこうした「不自由人」とみなされた。ここでは財産とは市場経済の中での元手、資本としてではなく、自給自足の基盤として観念されており、それゆえに身体、労働能力それ自体は財産ではありえないからである。
 しかし自由な市場経済と自由な社交とは、いわばこのような意味での「公的領域」と「私的領域」の狭間に落ちる、あるいはその狭間をすり抜けていく。


 公的領域と私的領域との区別は、後者が狭く閉鎖的であるのに対して、前者が広く開放的であるというところにあるかのように見えるが、実際には公共性の単位は空間的にもまたメンバーシップにおいても限定されたものであった。ヨーロッパの近世とは、そうした公共性の単位として主権国家群という特異なタイプのものが出現した時代である。と同時にこの時代はまた、伝統的な概念系に従うならばそれ自体語義矛盾である「公的家政」ともいうべき問題系が成立した時代である。「公的家政」とはまた「政治経済political oeconomy」「行政public administration」と言い換えられる。フーコーが「統治(性)government(ality)」なる言葉で問題としたものである。
 「公的家政」は一面では「公共的」な政治である。国家は本来「家」ではなく、そうである以上、公民は国家という家の家人ではない。公民の管理・保護は国家の任務ではない。しかしこの時代の主権国家は、既存の家・身分団体によって管理・保護されない貧民、不自由人を大量に発見してしまう。そうした存在の管理と保護は、公共性の基本単位としての主権国家の(もちろん実際にはより下位の団体へと具体的業務は委任されるとしても)役目となる。こうした貧民は他の公民によって支配・保護されていないという意味では公民である。しかし同時に、他者による管理統制・保護なしには生きてはいけないという意味では公民たる資格を持たない。それゆえ彼らはいわば二級公民であり、欠格公民である。それゆえ彼らの支配は本来の意味での「政治」というよりは「家政oikonomia」なのであり、そこからpolitical oeconomyなる言葉が現れるのである。


 我々のリベラルな世界観は、そこに更に一捻りを加えられることによって成立している。いわゆる「重商主義」の政治経済学、あるいは官房学・ポリツァイ学の問題設定はおおむね上のようなものである。更にその延長線上には、貧民のみならずすべての公民を、自由人というよりは国家という大きな「家」の家人として管理統制・保護下に置こうとする知と意志までもが形をとっていく。
 フーコーが「規律訓練」「統治性」といった言葉で捉えようとしたのもこうした問題群だが、『監獄の誕生』における「パノプティコン」をめぐる鮮やかな分析、あるいは『知への意志』における抑圧仮説の批判は、19世紀リベラリズムをもこうした絶対王政期の規律訓練権力のストレートな延長として捉えられるかのような印象を与えてしまった。つまり、リベラリズムが想定する自由で自律的な主体、必ずしも自給自足可能なだけの財産を持たずとも、市場経済という環境を利用し、自分の身体と理性という財産を元手に、独立自尊の生を謳歌する主体は、マクロ的な社会的権力装置によって作られた、つまり、国家やその他社会的な権力機構――その中心には国家が存在する――によって規律訓練されて初めて、人はリベラルな主体になりうるのだ、とフーコーは論じているかのように解釈された。
 しかし講義『安全・領土・人口』、そしてなにより『生政治の誕生』におけるフーコーは、いま少し異なる展望を語っており、それはむしろ主流派の政治経済思想史の知見とも整合的である。人は国家によってリベラルな主体へと意図的に、政策的に規律訓練されるというより、まさに「みえざる手」――その中に国家による政策も含まれてはいるかもしれないが、決してそれのみではなく、むしろ市場メカニズムなども含めた――に導かれて「自然」に主体化されていく。かといって一部のリベラリストが語りがちなように、リベラリズムが反統治、統治の否定というわけではなく、それ自体が一個の統治のメカニズムであることも確かである。ただそれは「パノプティコン」のメタファーから連想されるように、人を自由で自律的な主体へと規律訓練する統治というよりは、常に既に自由で自律的な主体である人々を、必ずしもその自由を否定し抑圧することなく管理統制する統治であるらしい。
 フーコーに従うならば、これは古典的な意味での、狭義の「政治」ではない。その理由につきフーコーは必ずしも明示してはいないが、推測するならば、それは人々に「支配されている」という気づきを与えない。つまり、先に用いた表現を援用するならば、そこでは公権力の「逃れがたさ」がそれとして認識されてはいない。市場経済の「みえざる手」を人々はいわば「自然」なものとして受け入れている。そしてリベラルな統治は、こうした「みえざる手」の作動を乱したりゆがめたりすることを極力避け、「みえざる手」として、つまり「自然」として作用する環境要因――そこには普通の意味での自然環境、つまり物理的・生態学的な環境のみならず、歴史的・社会慣習的なそれ、ヒューム的に言えばコンベンションconventionも含まれる――の一部として作動するように心がけるのである。これは実はリベラルな世界観からしても、狭義の「政治」ではない。つまりそれは「行政」である。ここで人々は了解、合意を経ずして権力によって誘導され、統制されているのである。
 しかしながらもちろん、これは古典的な「家政」とも明確に異なる。そこでは人々は有無をも言わせず上位者に従わされているのではなく、あくまでも自由で自立した主体として処遇されているからである。もちろん「自由」「自立」「自律」の意味合いが古典的なそれとはいくぶん異なっているとしても。


 いわゆるリベラル・デモクラシーとは、この統治性としてのリベラリズム、経済的自由主義を踏まえた上での、古典的な意味での「政治」の復興の構想であると言えるだろう。古典的な公私二分法とそれに立脚した「政治」の世界においては、公私の区分を分かち、人を自由人と不自由人とに分ける力は主として「自然」である。その上で自由人を拘束するのは「自然」を別とすれば法と政治であり、不自由人を拘束する力は法よりも「自然」と家長=自由人の私的な(=非政治的な)支配力である。それに対して、リベラルな統治性においては、不自由人というカテゴリー自体が意味を失っていき、基本的に自由人からなる世界像が念頭に置かれている。そして人々を拘束する力は「自然」と法であり、かつて不自由人を拘束する力として念頭に置かれていた「家政」における私的な支配力は視野から落とされる。ただしリベラルな統治の主たる関心は法以上に「行政」あるいは今日の英語で言えば「政策policy」にある。法は古典的な意味での「政治」と同様に公的な作用であり、了解を、もっとはっきりいえば言語的なコミュニケーションを通じて人々にはたらきかける。経済や社会的慣行の力をむしろ経由して、自覚されず言語化されない(経済的、あるいは19世紀以降的な意味で「社会的」)環境を経由して人々にはたらきかけようというものである。リベラル・デモクラシーとは、こうしたリベラルな統治それ自体を否定はせず、ただしそれを古典的な意味での「政治」の統制下におこうとするものである。


 付言すれば、いわばフーコーの"governmentality"とは逆方向を向いているがごとき、"governance"なる言葉の隆盛は、ひとつにはもちろん、公共性という審級について、主権国家システムをその特権的な体現者としてイメージすることが困難になったから、であろう。たとえばコーポーレート・ガバナンスについて考えてみよう。資本制的企業は基本的には自由な市場的取引によって構築されているもので、人々は自由にそこに参加しまた離脱することができるはずなので、そこに公的な契機はなくてもすむ、と一面では観念された。しかしながら実際には、ゴーイング・コンサーンとしての企業においては、そのアイデンティティの継続のためには、少なくとも短期的には関係の固定性が必要となる。その限りにおいて民間の私企業においても公共的な課題は浮上してくる。
 こうした課題は実は、コーポレート・ガバナンスのブームのはるか以前に、労使関係という問題領域において「産業民主主義indstiral democracy」なる言葉でもって語られていたし、また新自由主義隆盛前夜のエピソードとしての、70年代における「参加革命」――産業民主主義の延長上の「経営参加」、そしてもちろん政治における「参加民主主義」――のテーマでもあったはずなのだが。
(続く)


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