「公共政策論」メモ(続)

 少なくともここでわれわれは、古代人や中世人においては、民主政的なそれには還元しきれない、政治的な正統性の観念があったことを確認しておかねばならない。そして民主的ではなくとも、正統な支配の下では自由人はその自由を奪われたことにはならない、と観念されていたらしいことがわかる。たとえば古典古代以来、西洋において正統性を欠いた支配に対して与えられた由緒正しい名としてわれわれは「僭主制」なる語を知っている。古代ギリシア以来、もっぱらその「実力(暴力、知略等々)」でもって支配者の地位に着いた者は「僭主」と呼ばれてきたが、「僭主」が批判されたのは、それが民意に基づかない独裁者だったからではない。その支配者としての地位がむき出しの「実力」にのみ支えられていて、民主的なそれであれあるいは王朝的なそれであれ、正統性を欠いていたからである。


 あるいは、これもまた古代ギリシアにさかのぼれるものであるが、「東洋」というステレオタイプは政治的にはどのようなものとしてイメージされていたのか、である。ポリス社会のギリシア人にとっては何よりペルシア帝国、あるいはエジプトなどがそのイメージの淵源だったわけだが、古典期ギリシア、ローマ、あるいは中世以降の西方キリスト教世界――「西洋」の目から見た「東洋」とは政治的にはどのような世界だったのか? それは主として「家産制」として、つまりは社会、国家それ自体が一個の巨大な「家」であるような世界としてイメージされていた。
「西洋人は自由人であり、東洋人は不自由である」というステレオタイプは、近代以降においては西洋的自由の裏づけを民主政やリベラリズム(これがまた問題含みであるが後論する)に、東洋における不自由をその欠如にもとめる形で展開されるわけであるが、古代のそれはその解釈ではうまく処理できない。むしろ「家の集まりではあるがそれ自体は家ではない国家」と「大きな家としての国家」との対立として、それはイメージされていたと考えたほうがよいだろう。


 公的領域と私的領域との明確な区別が、政治的支配と家などの私的な支配との区別を可能とする。それはまた同時に「法」の問題である。私的な支配とは明確に区別された公的な政治的支配の根拠は、それが法による支配であるということである。法は公的な領域を支配し、また公私の区分をもなす。私的な領域における支配は法的なそれではない。


 さて、家の、ないしはその主人の集合体としての国家、それが担う公共的な政治の課題とは何であり、それに対して家が担う私的な課題とは何であったのか? 
 前者は個々の家の手には負えないさまざまな事業、典型的には軍事があり、また法の運用――主に立法と司法、ただし法執行は多くの場合含まない。この時代私法・刑法の執行は自力救済が主であった――もまたそうであった。国家はそれ自体、あるいはその中心を都市としていたから、道路や水道などのインフラストラクチャーの維持もまた含まれた。宗教的祭祀・儀礼の遂行も、多くは公的課題であった。
 それに対して後者、家の私的な課題とは何であったのか、といえば、つづめていえば生活・生存にかかわることであった。自由人の要件とは、家を支配しており、家の財産(家人、土地建物、家畜)を活用して、他人そして何より国家に依存することなく生存していけるということである。そうした要件を欠いた非自由人とは、自由人が支配する家の従属的メンバー、家人(妻子、奉公人、奴隷等)として自由人に依存して生きていくとされる。つまり非自由人の支配と保護は国家が担う公共的な課題ではなく私事に属するとされたのである。非自由人の支配にかかわって国家がなすべきは、せいぜい、どの非自由人がどの自由人の支配下に属するかを法的に割り振ることぐらいであり、直接に国家の事業として非自由人の支配が主題化されることはあまりなかった。