「公共政策論」講義メモ

 第一の転換、自由な市場経済のシステムとしての自立においては、公共圏と私的領域との区別は未だ物理的、空間的な性格を失ってはいない。商品経済という新たな領域がその間に、これもまた物理的、空間的な実体としてさしはさまる、という理解ができなくはない。そして公共圏と私的領域との間の境界は、なお保たれる、と。
 人々の生存、私的生活は、もともと本当はそうだったのかもしれないが、市場経済の発達の下、もはや自給自足としてはあり得ない。しかしながら市場を介することによって、人々は他人との取引をコミュニカティブな「政治」として行う負担を大幅に軽減される。あたかも自然法則に従うかのごとく、第二の自然と化した市場経済の「見えざる手」に導かれて、公的な場で他人とかかわり合いつつもひたすら私的な利害だけを追求していくことができる。市場は公共圏というよりも公共圏の代替物となっていく。
 しかしながらなおそこでは、市場に出る前の私的領域の独立性は確保されている。市場に売りに出されない、売りに出しえないものは、市場による意味づけ、貨幣的な価値づけから守られている。土地の生産物は市場化されても、土地自体はその所有者が望むことなくしては、潜在的にさえ市場化されない。
 しかしながら第二の転換、いわば単なる市場経済から資本主義への転化を経た後では、そのような理解はもはや維持できない。単なる商品経済ではなくなった市場経済――もはや資本主義と呼ぶべきそれは、空間的な外延において私的領域までをも覆ってしまうし、またその価値尺度――貨幣を単位とする交換価値によってそれを評価するようになってしまう。そうすると市場経済と本来の私的領域との区別は、物理的、空間的なそれではなく、抽象的、形式的な意味レベルのそれになってしまう。実体としてのものや営みが、商品化されたものとそうではないものとに截然と分かたれるのではなく、同じ一つのものや営みが二重の意味を帯びてしまう、ということである。実体としては純粋に私秘的なものや営みはもはや存在しえない。その所有者が売る気のない土地でさえも、外側の他者からの貨幣的な評価付けからはまぬかれない。
 あるいはまた市場経済を、同時的な売買を軸とする商品経済としてではなく、異時点間での取引や消費貸借を軸とする信用経済として解釈するならば、その私的領域への浸透の不可避性はより強調されるであろう。


 問題はこの、強い意味での私的領域が変質解体して「社会」へと変貌してしまうことによって、公共圏がどうなってしまうのか、である。非常に単純に考えれば、「公」と「私」は対をなす以上、一方の変質解体は他方のそれをも招かざるを得ない、となりそうだが、では具体的にはどうなるのか? については個別的に厳密に考える必要がある。
 ミル以来のリベラル・デモクラシーの思想は、市場経済の展開それ自体を公共圏の衰退へと導くものとは考えていない。市場経済の発展は、政治の作用を部分的に代替し、補完しつつも、廃絶はしない、と判断してきた。むしろ政治を私人間の利害の調整(富の再分配を含む)といった雑務から解放し、厳密な意味での公共財や、外交・軍事といった「ハイ・ポリティックス」に専念させることを可能とする点において、市場経済の発達は政治にとってプラスの作用を持つ、とさえ考えてきた。ハーバーマスもまた19世紀末の「構造転換」時代まではそういってよいと考えていた節がある。
 ここで我々としては、ミル的な楽観論は先述の「第一の転換」までは維持できたとしても、「第二の転換」以降は維持できない、と考えてみる。「第二の転換」とともに、公共圏も私的領域と全く同様に、物理的空間的境界を消失して全域化、抽象化せざるを得ない。「第一の転換」までは市場的、貨幣的な尺度は、必ずしも私的領域と公共圏にまで全面的に入り込んでは来ない。しかし「第二の転換」以降はそうはいかないだろう。一方では市場化、商品化されない厳密な意味での私的領域にも、また他方ではやはり市場化・商品化されない公共財に対しても、市場的・貨幣的価値尺度はあてはめられずにはいない。


 古典的世界像の中では、市場経済は公共圏の一環をなす。「第一の転換」によってもはや市場自体が政治の場ではなくなったとしても、それは依然私的領域とは外延を異にしているし、そこを支持し管理統制するということ自体は公共圏における政治の課題となる。すなわち、市場機構それ自体は公共財だということである。しかしながら「第二の転換」を経て市場が抽象化かつ全域化し、私的領域、私生活とも外延を同じくすることになれば、当然それを統制する公共圏もまた同様に私的領域とオーバーラップせざるを得ない。かくして、公共圏と私的領域との違いは、物理的・空間的なものではもはやありえず、抽象的な意味の地平におけるものでしかありえなくなる。同じひとつのもの、ひとつの営為がつねに公的・私的両様の意味を帯びてしまう、ということだ。
 古典的市民社会においても、基本的に市民は公人であると同時に私人でもあるという二重性格を帯びていただろう。しかしながらそこにおいては、公共圏から排除されもっぱら私的領域に封じ込められた婦女子や奴隷や外国人が存在しており、彼ら彼女らへの依存によって市民はもっぱら公人として生きる(かのように振る舞う)ことが可能になった。そしてそれ以上に、市民は私有財産を、市場化されうるものもされえないものも含めて、公共圏から隔離された形で保持していた。
 近代市民社会においては、公人と私人の二重性の緊張は、特権としての市民権が普遍的人権と化していくがゆえに、ほとんどすべての人にとっての運命となる。古典的な市民にとってその緊張は私生活、とりわけ労働からの解放と、公共圏から明確に切断された私有財産の存在によって緩和されていたのに対して、近代的市民にとっては労働の重荷は無視しがたいのみならず、私有財産もまた国家による保障によってはじめて存立しうるものとなっている。近代的市民にとっての「私」はどんどん「内面」へと切り縮められていく。それでは「私」がやせ細って「公」が肥大化するかといえば、そうではない。「私」というカウンターパートを失った「公」は単なる大きな共同性にすぎなくなる。
 純粋な精神、というより観念の力で、「内面」によって私的領域を保持し、そのことによって対極の公共圏をも活性化させるというアクロバットは、理論的には可能かもしれないが、実際には相応の困難が伴うことはいうまでもない。そもそもいまや人間的な意味の世界においてもっとも支配的であるのは、もともとは市場という薄い圏域を支配していただけであったはずの貨幣的価値尺度である。それは市場においてのみならず、市場外の私的領域に対しても、公共財に対しても適用される価値尺度となっている。すなわち、私的領域も公共圏も、同じひとつの一次元的な尺度を共有してしまっている。