「社会学2」講義メモ(10月11日分)
本日の範囲:教科書 第2講「「モデル」とは何か」
社会学入門 〈多元化する時代〉をどう捉えるか (NHKブックス)
- 作者: 稲葉振一郎
- 出版社/メーカー: NHK出版
- 発売日: 2009/06/26
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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理論とか、モデルとか
思考実験って何?
そもそも実験って何?
標準的な実験は、対象の周囲の条件をいろいろと変えてみて、それによって対象にどのような変化が起きるか起きないかを確かめるもの。
どういう条件を選んで、どのような変化を起こしてみるのか?
でたらめな試行錯誤か、ある程度「これが重要ではないのか」という予想を立てて、それに基づいて行うか。
この予想は堅い言葉でいえば「仮説」。ある程度関連付けられた「仮説」の集まり、あるいは系統立てて一連の仮説を導き出せるアイディアは、すでに「理論」と呼んでよいだろう。
そうした「理論」は、実際の実験に先立って、頭の中や紙の上でバーチャル実験を行っていると言ってよい。
そのようなバーチャル実験なしに、研究は可能だろうか?
たくさんの事例を観察して、そこに共通する特徴を見つけて、一般化する(これを難しく言うと「帰納」)ことによって、理論は作れるか? ――意外と難しい。
うっかり(?)我々は、「たくさんの事例に共通する特徴」というものを見つけてしまうことができてしまうが「なぜ自分がそういう特徴に注目したのか」という理由はきちんと自覚していないし、説明できないものだ。
およそ「理論」と呼びうるためには、そういう理由づけがなければならない。
「現実の中からたくさんの事例を拾ってくること」は、「ある一つの同じ対象についてのたくさんの事例」である。何をもってその「一つの同じ対象」とみなすのか(あの黒い鳥とこの黒い鳥を同じ「カラス」だとみなす根拠は何か、等))、というその理由なしには意味がない。それはつまり、「同じ一つの対象の周囲の条件をいろいろと変えてみること」と完全に同じ――ではないが意外と似通っている。
科学的探究の目標の典型例
因果関係の特定
一般法則の抽出
因果関係については、先週話したように、反実仮想なしにはそれについて考えることすらできない。
一般法則についてはどうか? 実はこれもそうである。「これまでに見たすべてのカラスが黒かった」ことから、「全てのカラスが黒い」、と結論づけるのはまだ早いかもしれない。我々はあす、黒くないカラスに出会うかもしれない。この「あす……かもしれない」という仮定の状況(可能世界)まで含めての「一般法則」である。
だから一般法則は、ごく乱暴に言えば「仮説」にしか過ぎない。しかしだからといって、こういう「仮説」なしに、確実にわかっていることだけでものを考え、現実世界を探究できるかといえば、残念ながらそうではない。
一昔前の科学的探究のイメージ
たくさんの事例を観察し、そこから一般法則を導き出す(帰納)。
一般法則から、いまだ未知だが有りうべき可能性を予測する(演繹)。
このイメージは全くの誤りではないが、注意が必要。
ある時期、「論理実証主義」という科学哲学の一学派は、無前提に正しい論理法則と、事実の観察から帰納された演繹された一般法則を組み合わせれば、科学理論ができて、それをもとに演繹をしていけばよい、と考えた。
しかし「事実の観察」も無前提ではありえない。たとえば何を以て「カラス」だとみなすのか? (論理法則も無前提かどうかというと実は……。)
モデル 模型
同じもの、同じ素材で作った雛型
大きさが同じなら信頼性が高いが、「実験」と言えるか?
実物より小さければ扱いやすいが、小さいことによる条件の変化を考えに入れないと。
別のもの、別の素材で作った模型
素材の違い、大きさの違いなどによる条件の変化に注意
思考の上での仮想の模型
――?
社会の模型
実験室の中のミニ社会
ネット上の仮想社会(ただし現実の人間がプレイ)
ロールプレイ
各種ゲーム
経済学、ゲーム理論のモデル
個人のモデルを複数ばらまく
社会学のモデル
――統一性がない!
有力なモデル ――機械、システム
演劇
戦争ゲームという事例
普通の(というより我々が思い浮かべる理想的な)科学
――単純な前提から複雑な結果を演繹する。