ドナルド・マッケイ、カール・ポパーらの非決定論によれば、たとえ物理世界が完全に決定論的な因果法則に支配されており、それは人間の心的作用においても同様であるとしても、人間は他人の振る舞いを完全には予測しきれない。何となれば、予言破りはつねに可能であるからだ。しかしながら「予言破り」とは双方向的コミュニケーションを意味する。この予測不可能性は、双方向的コミュニケーションの現場で、コミュニケーションの相手について成立するものである。つまり、コミュニケーションをとらずに一方的に観察する相手については、必ずしも成り立たない。
このような場合にも、回顧的な視点からは全体性を獲得することができる。だが、同時進行的にはそれは不可能であることになる。
しかしここで、たとえ擬似的にではあっても、同時的に全体性を獲得できるパースペクティブがあるとしたら、どのようなものであるのか、考えてみることはできないだろうか? 潜在的に双方向的コミュニケーションをとることができる相手を、一方的に観察するとは、どのようなパースペクティブだろうか?
ひとつは、遠方から「覗く」視線であり、いま一つは、実験室の管理者の視線である、と言えるのではないか。
追記(6月3日)
マッケイでまだ比較的入手しやすいものってこれくらいか……。
- 作者: D.M.マッケイ,V.マッケイ,Donald MacCrimmon MacKay,Valerie MacKay,金子隆芳
- 出版社/メーカー: 新曜社
- 発売日: 1993/04/01
- メディア: 単行本
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