「社会科学基礎論に関する2,3の話題提供」@東大社会学 メモ

 ドナルド・マッケイ、カール・ポパーらの非決定論によれば、たとえ物理世界が完全に決定論的な因果法則に支配されており、それは人間の心的作用においても同様であるとしても、人間は他人の振る舞いを完全には予測しきれない。何となれば、予言破りはつねに可能であるからだ。しかしながら「予言破り」とは双方向的コミュニケーションを意味する。この予測不可能性は、双方向的コミュニケーションの現場で、コミュニケーションの相手について成立するものである。つまり、コミュニケーションをとらずに一方的に観察する相手については、必ずしも成り立たない。
 このような場合にも、回顧的な視点からは全体性を獲得することができる。だが、同時進行的にはそれは不可能であることになる。


 しかしここで、たとえ擬似的にではあっても、同時的に全体性を獲得できるパースペクティブがあるとしたら、どのようなものであるのか、考えてみることはできないだろうか? 潜在的に双方向的コミュニケーションをとることができる相手を、一方的に観察するとは、どのようなパースペクティブだろうか? 
 ひとつは、遠方から「覗く」視線であり、いま一つは、実験室の管理者の視線である、と言えるのではないか。

追記(6月3日)

 マッケイでまだ比較的入手しやすいものってこれくらいか……。

ビハインド・アイ―脳の情報処理から何を学ぶか

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