「震災/原発事故後の「政治」」

『アルファ・シノドス ―“α-synodos”』vol.46(2010/02/15)、vol.81(2011/8/1)から転載。


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高木仁三郎氏に感じた「違和感」


 今回の東日本大震災は十分にひどい経験であった。いや、過去形にしてはならない。未だにそれは進行中である。

 それは従来日本が経験したほとんどの自然災害と異なり、その被害が局地的にコミュニティを破壊するだけにとどまらず、複数のコミュニティに同時に襲い掛かり、かつそれらを結ぶネットワークをも寸断した。

 正直言ってぼくはロジスティックス、物流というものを舐めていた。1個単位で商品の動向を把握するPOSが象徴する物流システムの洗練に、すっかり油断させられていた。日本を含めた先進国において、電子的なデータ通信ならともかく、ものの流通がこれほど深刻に滞り、人命を危機にさらすようなことが起こりうるとは、正直想像さえしていなかった。

 かてて加えて、これほど激甚な災害が起きたにもかかわらず、中央政府の対応が何とも歯がゆい。本来であればとっくに臨時公債が発行され、なりふり構わぬ財政出動がなされていなければならないのに、「平和ボケ」なのか、あるいは「火事場泥棒」のつもりか、復興の足かせにしかならない直近の増税を政府は必死に通そうとし、主要メディアも翼賛の構えだ。これでは被災地での自治体やNPOの頑張りははしごを外されてしまう。

 しかしもちろん忘れてはならないのは、東京電力福島第一原子力発電所の致命的な事故である。あの事故は戦後日本の政治空間において、ある決定的な切断をもたらしたのかもしれない。

 あやふやな記憶で恐縮だが、生前の高木仁三郎氏がどこかで(公開の席での発言だったか、あるいは著作のどこかであったか、確認がついに取れなかった)「我々の反原発運動こそが日本の原子力を幾分かは健全化させているのだ」という趣旨のことをおっしゃっていたと思う。若造だった自分はその発言になんとなく割り切れない感じを覚えたことも記憶している。その時の違和感をまとめればこんな感じである。

 おそらくは高木氏のおっしゃることは正しい。きちんとした科学的根拠にもとづいた原子力批判は、基本的には不健全な――事故の危険が高く、経済的にも決して合理的ではない――産業技術としての原子力の抱える問題点を正しく指摘することによって、原子力事業が指摘された問題点と向き合って少しでもそれを改善するように仕向けることができる。しかしそれは裏を返せば、「反原発運動が原子力を延命させることに加担する」ことの肯定を含意しかねないのではないのか。それではちょっと困る。反原発運動は本来、脱原発社会を目指すものではないのか。

 しかしそれから歳を取ってくると、「そもそも社会を批判するということは、このような割り切れない営みでしかありえないのではないか」と考えるようになった。たしかに、「ラディカルに脱原発社会を目指す(A)」ことは理想である。それに比べれば、「原子力産業がその矛盾を弥縫しつつ、緩やかな環境汚染を垂れ流し、独占利潤を電気料金に転嫁して消費者を搾取しながら生き延びる(B)」ことを容認してしまうことは、褒められたものではない。しかしそれでも、「原発破局的な事故を起こしてしまう(C)」よりはずっとましである。


◇「改良主義」は「革命主義」を標榜する?


 (A)を目指しながら結果として(B)しか実現できないことは、原則的には「挫折」「敗北」だろう。しかしながら反原発運動の本来の趣旨からいえば、(B)は(C)に比べればはるかに望ましい状況なのであり、それゆえ運動が(C)の危険を減らし、(B)の実現に貢献することは、ベストとはいえないまでもベターではあるはずだ。これはいうまでもないことである。問題は、その、せめて(B)を実現するために、また実際には幅がある(B)状態の内実を、少しでもましな(汚染が少なく効率が良い)方へともっていくためにはどうしたらよいのか、である。それならばなぜ最初から、(B)――無論、可能なかぎりましな――を明示的に目標に掲げてはいけないのか。「それでは反原発運動にならない」ではだめだ。反原発運動の本来の趣旨からいえば、脱原発はあくまでも手段でしかないのだから。

 実際(B)を最初から表看板にしたのでは「反原発運動」にはならない。それはむしろ原子力ビジネスの本来の目標そのものであろう。「原発を動かすなら真面目にやれ」というにすぎない。問題は原子力ビジネスを肯定する体制内において「真面目にやれ」というだけでは、(B)の実現にとって十分ではないのではないか、ということである。

 いうまでもなくここでは「たんなる改良主義は所詮は現状肯定にすぎず、ラディカルな変革が必要である」とかつまらないことをいいたいのではない。「たんなる改良主義(Bの主張)」によっては「たんなる改良(Bの実現)」でさえ実はおぼつかず、言葉の上では現状を根底から否定する「革命主義(Aの主張)」の脅威があってはじめて、どうにかこうにか「たんなる改良」が可能となるのではないか、ということである。

 ではここで「革命主義」を掲げることが、本音では「たんなる改良」の実現でよしとしながら、口先だけでラディカルな変革を唱えるに終わってしまってもよいのか、といえばもちろんそんなことはない。本音レベルでの緊張感が失われてしまえば、必ずやその主張からは迫力が失せ、「たんなる改良主義」としてしか受け止められなくなってしまうだろう。だからラディカルな「革命主義」は捨てられない。しかしそのことは決して「たんなる改良」の否定を意味しはしない――このような運動の作風は、その担い手に相当の緊張を強いるだろう。しかし単純な現状の拒絶、全否定は何も生まず、かといって額面通りの「単なる改良主義」は全肯定への堕落の誘惑に弱いとなれば、このような「(日和見的、とはいうまい)二枚腰のラディカリズム」はほとんど不可避の選択である。


◇反体制派に拮抗しうる「基盤」が腐食していた

 
 ただしこのようなスタンスが生産的なものであるためには、いわば保守の側、体制サイドにおいてもそのカウンターパートが存在することが必要である。すなわち、こうしたラディカリズムの挑戦を真摯に受け止め、その批判を無視するのでも封じ込めるのでもなく、指摘された問題点の克服に努め、さらには先手を打とうとする姿勢が。

 こちらにおいても、批判にただ迎合するだけでは体制を維持するための緊張感は維持できまい。ラディカルな批判を受け入れつつ拒絶し、拒絶しつつ受け入れるという二枚腰が要求される。こうした「二枚腰の保守主義」との、相互拒絶にはならず馴れ合いにも堕さず、という微妙なバランスを保った関係の上でこそ、「二枚腰のラディカリズム」の、逆説的なかたちでの体制へのコミットメントは可能となる。敵対関係と信頼関係の微妙なバランス。

 そのような微妙なバランスを、世の大人というものは備えていて、それなりに世の中を回しているし、そうしたバランス感覚を自分でも身に着けたいものだ――そういうある種の楽観とも諦観ともつかぬ気分が、震災前までのぼくを支配していた。極端にいえば、それが「政治」の要諦である、とさえ思うようになっていた。

 しかしながら今次震災、そしてとりわけあっけない原発事故が、この気分――いまにしてみれば「楽観」とはっきりいうべきなのだろう――はあっさりと粉砕された。

 最初のうちはある種仕方のないことだと思っていた。地震そのもののスケールが1000年に一度という代物であった上に、津波による破壊である。「大変に運がなかった」といってしまえそうな気がした。しかしながらその後の検証を経て、初発の振動そのもので炉が致命的に損傷していたことは明らかであったし、それ以上にその後の避難その他の事後対応のまずさは弁護しがたいものがあった。

 なかでも、些細なことと思われるかもしれないが、個人的にきわめて強い印象を受けたのが、1999年のJCO臨界事故を受けて開発されていた原発作業用の遠隔操作ロボットが、人知れず廃棄されていたことである。伝えられるその理由はいろいろとあったが、何といっても「そもそも遠隔作業ロボットが必要となるような事故は起きない」との電力会社のいい分にはあきれざるを得なかった。

 震災前にもさんざん原子力関係者の「事故は起きない」という「妄言」は聞いてきた。しかしぼくは心のどこかで、そうした「妄言」がたんなるレトリックだと思っていた。ラディカルな反原発運動と本気で対峙するためには、反対派と正面対決するためには、そうした強気の発言もいわばレトリックとしてありうるだろう。しかしその裏で現実には、原子力関係者は、反原発運動に足元をすくわれない程度の努力はしているはずだ……不覚にもそう楽観していた。何といっても政府機関である原子力委員会に、反原発運動出身の吉岡斉が招聘されるところまで来たのだから、と。

 ――しかしどうやらこの国の原子力ビジネス・政策の中枢には「事故は起きない」をレトリックとしてではなく真に受けてしまった愚か者たちが巣食っていたらしい。

 これはいったい何を意味するのか? 先に示した、地震前のぼくの理解を延長するならば、これはまさしく、「政治」そのものの可能性の基盤の腐食、解体を意味する、ということになる。生産的な敵対性を可能とする根本的な信頼のきずなが、あっさり崩壊した――あるいは、そんなものはもとから幻想であった、と。

 もちろん原子力をめぐる政治など、この国の、この社会における「政治」のほんの一部を占めるにすぎない。この国のあらゆる政治がすでに根こそぎになり、空洞化して無化しているとかぎるわけではない。それにしても「政治」そのものが無化しうるということのリアルな意味を、今回はじめてぼくは学んだような気がしている。


◇「信頼」と「賭け」


 もう少し冷静にいえば、やや逆説めくが「信頼」とは確実であるがゆえにそうするのではなく、不確実であるがゆえになされる「賭け」であったことが改めて明らかになった、ということである。予想通りに動くことがわかっている相手に対して「信頼」はじつは必要ない。反対に、自分の予想通りに動いてくれることが絶対にあり得ない相手に対しては、「不信」を抱く必要もない。端的に無視して、関わらないようにするだけだ。

 100パーセントの「信頼」も「不信」もあり得ないところでこそ、語の本来の意味での「信頼」が意味をもつ。つまりそれは「賭け」に他ならない。この意味での「賭け」とは無根拠な「暗闇への飛躍」などではもちろんない。向こう岸はぼんやりとはみえていて、自分の脚力で跳び越せそうなのだが、自分がこけてしまうかもしれず、着地点が急に崩れてしまうかもしれず……そういった状況である。

 少し角度を変えてみよう。ここ10年ほどぼくは素人ながらも日本の長期不況とそれへの対策としてのリフレーションをめぐる論争を注視してきた。そしてぼく自身が得ている暫定的な結論は以下のようなものだ。

 利子率を下げ、貨幣供給を増やすのみならず、市場の予想にはたらきかけて予想インフレ率を上げて大幅な金融緩和を起こすリフレーション政策は、現下の日本の不況を克服するもっとも有効な手段である。ただし副作用として、長期金利を上昇させて国債その他の債券を暴落させ、それらを保有する金融機関にダメージを与える可能性もある。国債価格の下落にも、既存国債を実質減価させその返済を容易にする反面、信認低下によって将来の国債発行を困難とするというリスクもある。

 副作用については「なにも金融機関は内国債その他の円建て債権のみを保有しているわけではないのだから、適切なリスクヘッジをすれば壊滅的な打撃は受けないことも可能」といった反論が成り立つが、そもそもの政策の実行可能性について、一抹の疑問は残る。すなわち、「予想インフレ率」を確実に上げられる、技術的に完璧な手法は存在しないからである。金融政策担当者がしばしば口にする「市場との対話」とはレトリックではなく、文字通りの真実である。市場への介入は「心なきものに対して、その客観的運動法則を読み切った上での一方的な操作を行う」という、普通の意味での工学技術的操作ではあり得ない。つまりそれは語の正確な意味で一種の「政治」なのだ。科学としての経済学になし得る「予想」とは、「どのようなことが起こりうるか」の範囲を示すのがせいぜいである。


 ぼく個人は以上のように考えた上で、リフレ政策に対してコミットしているのだが、ほとんど同様の認識を抱いてはいても、ぼくとは真反対の立場をとる人がいても驚かない。コミットメントとは「信頼」であり「賭け」である。別方向に賭ける人がいてもおかしくはない。

 さらにいえば、厳格にいえば上記の見解自体が客観的に誤りである可能性ももちろんあるだろう。少なくともそう信じている人はいるだろう。「100パーセント確実にリフレは可能」という見解が正しい可能性もある/そう信じている人もいるし、反対に「100パーセント確実にリフレは不可能」という見解が正しい可能性もある/そう信じている人もいる。「賭け」はもちろんこのレベルでも不可避である。

 リフレ論争を典型として、政策論争にコミットする経済学者たちがときにいかがわしくみえてしまうのは、彼らがこうした「賭け」にコミットしているからである。


◇学問的誠実から政治的責任へ身を投じる


 客観的な実証科学において支配的な規範は「こうした〈賭け〉からは可能なかぎり距離をおき、本当の意味で確実なことについて語ることに徹するべき」というものである、とわれわれはしばしば考えがちであり、少なからぬ科学者たちもまたそう考えているだろう。もちろん世界は現実に不確実である、あるいはわれわれの世界に関する知識は不完全であるがゆえに、われわれの世界に対する予想は不確実である。そんなことは科学者たちも――科学者たちこそがよく知っている。だからこそ少なからぬ科学者たちは禁欲的で、わからないことははっきり「わからない」という。

 学説Aが正しいとして、そのAによっても将来は不確実で、半々の確率でa’になるかはたまたa”になるかのどちらかであることはわかったとしても、そのどちらになるかはわからない、とすれば、まともな学者なら「a’(あるいはa”)になります」とはいわない。

 さらには学説Aと対抗仮説Bとがあって、どちらもそれなりにもっともらしく、決定的に雌雄がつけられていないとしよう。ひとりひとりの学者は個人的にはそのどちらかにコミットしていることが多いだろう。だがまともな学者なら「A(あるいはB)が正しい」などと公衆の前で断言はするまい。

 しかしこうした予想の不確実性、あるいは学説の対立が、こと公共政策に関わってきてしまえば――論争の決着を学術的にみる前に、何らかの決断を下さざるを得ない――どの仮説を採用し、それにもとづいて何を選ぶかを決めざるを得ない場合にはどうするか。理論的には、「学者はただ客観的なレポートを提出するのみで、あとは政治家が、そして公衆が判断して決断する」といきたいところだが、現実にはそうはいかない。実際にはひとりの同じ人間が、学問共同体と公衆との両方のメンバーであり、学者として振る舞うと同時に一市民としても振る舞う。そこには大いなる緊張がはらまれ、ときには誤りも生じる。

 日本においては経済学者の多くは、リフレを中心とするマクロ経済政策について、賛成か反対か旗幟を鮮明にして政策論争にコミットするよりは、距離を保って「学者」として身を処することを重視してきたようにみえる。そうした姿勢にはそれなりの理がある、とぼくは思う。しかしながらそもそも公衆は、そして政治家はたんに「客観的なレポート」に適切な関心をもって反応し、適切な決断を下しうるものなのだろうか? あるいはそもそも「客観的なレポート」でさえも、特定の立場からの政治的な問題意識なくして、きちんと受け止められるものなのだろうか? 

 日本の公衆のあいだに一定層の「経済学ファン」がいて、経済問題、経済政策に対してつねに一定以上の関心をもっており、学者たちの議論動向を注視している、という状況であれば、学者の厳正中立という作法にも問題はないだろう。しかし状況は必ずしもそうではなかったのではないか。自ら政治的責任を引き受けて「賭ける」学者なしには、政策論争は活性化し得ないのではないか。もちろんそこには一定の危険が存するのだが。


◇「議論による合意形成」だけでいいのか


 そして同様の問題が、今時震災における原発事故と放射能汚染についてもいえるのではないだろうか。

 放射性物質の飛散にせよ、それによって引き起こされるであろう被曝と健康被害にせよ、その度合を正確に見積もり、今後の動向に対して可能なかぎり正確な予想を立てよう、と普通の誠実な科学者の多くは考える。しかし現時点においては事態はまさに進行中なのであり、分野によっては充分に正確なデータなど望むべくもない。不十分なデータをもとにした推論は、たとえ最大限誠実に厳密に行われたとしても、多数の論者のあいだでの食い違いを生み出さざるを得ない。そのような状況下では、学者もまた自ら政治的責任を引き受けて「賭ける」しかない。現在注目を集めている、2011年7月28日衆議院厚生労働委員会での児玉龍彦参考人陳述(※)は、そのようなコミットメントに他ならない。

(※)編集部注
2011年7月28日の衆議院厚生労働委員会における、参考人として招致された児玉龍彦東京大学アイソトープ総合センター長(東京大学先端科学技術研究センター教授)による陳述。
児玉氏と同センターは南相馬市において自主的な放射性物質の除染を行っているが、現行法下ではその活動は「違法」である要素を多分に含むため、緊急的な処置が可能になるよう法改正を求めるなどの提言が、この陳述ではなされた。
陳述(約16分)と質疑応答(約23分)はいずれもyoutubeで見ることができる(「児玉龍彦」で検索のこと)。
30日には児玉氏の指導のもと、南相馬市職員による市内の幼稚園の除染が行われている。