疎開についての8月末段階でのメモ

 以前に書いて猪飼修平氏はじめCFW-Japan内一部の方々に回覧したメモをアップする。


 除染についての見積もりをちゃんとして、まともな政策提言といえるレベルにしてから公にしようと思っていたが、多忙につきそんな暇もなく、また事態は刻々動いているので、半ばアリバイ的ではあるが言いたいことは言っておくことにした。


 しかしまあたった2、3カ月で無残に古びてしまったな。

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疎開についてのメモ2                          稲葉振一郎

                                     20110831


 福島県中通り地方北部の、比較的線量が大きい地域(毎時1μシーベルト以上? 毎時1.14μシーベルトで年間10mシーベルト)を疎開の対象地域として考えてみよう。受け入れ先についてはさしあたり考えない。入れ物自体は廃校等の形で十分存在する、と想定する。


福島市 幼稚園 3,853 小学校 17,190 中学校 8,867 (2010年5月) 1学年 約2900 漸減
郡山市 幼稚園 6,030 小学校 20,443 中学校 10,516 (2009年5月) 1学年 約3500 漸減
二本松市 幼稚園 945 小学校 3,574 中学校 2,007 (2006年5月) 1学年 約600 減
伊達市 幼稚園 915 小学校 3,994 中学校 2,213 (2007年5月) 1学年 約700 減


計 1学年 約7,700(多めの推計)


本宮市、三春町等も入れて1学年約8,000程度と推計


幼稚園・保育園児を3学年分入れて小中9学年と合わせ12学年を対象と考える。小中12学年分と幼保合算分とを考える。(乳幼児は除外、親ぐるみ避難必須と考える。)


8,000×9=72,000
8000×12=96,000


間接経費含め一人当たりの疎開費用を月当たり100,000円程度と考えたとき、


小中のみで 72,000×100,000=7,200,000,000 年間で 86,400,000,000円程度
幼保込みで 96,000×100,000=9,600,000,000 年間で 115,2000,000,000円程度


ただしこれは全面的疎開の場合。夏期休暇やあるいは学期単位でのパートタイム疎開の場合にはこの限りではない。たとえば3学期制での第1学期、第2学期の場合約4か月と考えられるので、もしどの児童・生徒も年間丸々疎開するのではなく、1学期間のみのパートタイム疎開となれば、費用は上記の3分の1程度に削減可能。そう考えると


小中のみで 1学期間で 28,800,000,000円程度
幼保込みで 1学期間で 38,400,000,000円程度


となる。
 非常におおざっぱに言えば、ひとり頭月10万円のオーダーでの疎開プランをフルに実行した場合には年間1千億円程度、学期単位でのパートタイム(年間4か月程度)で行った場合には300億円程度かかる、ということである。これに自己負担を求めた場合、いいところ月3万円程度と考えれば、公的負担は7割で、全面疎開の場合には700億円程度、パートタイム疎開の場合には200億円程度、となる。絶対額としてみた場合、決して少ないものではないが、国・地方・市町村での分担を考えれば、どうにもならないわけでもない。


 しかし、投じられた費用に対して、効果としてはどの程度のことが期待できるか? 


 年間10mSv 全身被曝のリスクは岡敏弘(2011)によると、ゴフマン (Gofman 1990)の推計で10歳未満で1か月ないし2か月程度の、10代で10日から20日程度の期待余命の低下を引き起こす。より具体的には、がん死の危険を10歳未満で0.6〜1.5%程度、10代で02.〜0.5%程度引き上げる。プレストンら(Preston et al. 2003)の推計ではもう少し低く、期待余命の低下は10歳未満で2週間から3週間程度、10代で10日前後となり、がん死リスクの上昇は10歳未満で0.3〜0.4%程度、10代で0.2%前後となる。


 非常に単純に人命ベースで考えたときの疎開の効果は、全面疎開の場合には将来のがん死亡者を数百人から千人のオーダーで減らす、ということである。パートタイム疎開の場合にはその効果は500人以下に低下する。それを誰が負担するのかはとりあえず括弧にくくったうえで、これだけのがん死予防に対して、数百億円を投じる価値はあるかどうか、を考えてみなければならない、ということだ。


 そもそもこれを金銭換算できるか? 「確率的(統計的)生命価値」概念を用いた岡(岡1999、岡2011他)の試算によれば、日本において、1年の期待余命の延長の金銭的価値(期待余命の延長のために支払ってもよいと考える金銭の額)は、大体において1千万円程度と推計されるが、この推計自体はあくまでも平均値に関するものであることはもちろん、大いに誤差が見込まれ不確定である。ここで言えることは、おおむね数百万〜数千万円のオーダーにあって、1億円を超えることはなかろうが、さりとて百万円を切ることもないだろう、という程度のことである。
 そう考えると、あくまで平均的には、1週間で20万円程度、1か月で80万〜100万円程度ということになるが、上下に誤差を見込んでおいた方が安全である。つまり、1週間の余命延長に100万円はともかく、数十万円程度の金銭的価値が投じられてもそれほど不条理ではないだろう、と考えるべきである。先の推計では、年間10mシーベルトの外部被ばくの完全回避で期待される余命の延長は2週間程度であるから、平均値を見込むなら金銭換算で40〜50万円程度となるが、100万円をつけてもとしてもそれほどおかしくはない。ただ、若干高めの見積もりである可能性はある。


 以上のどんぶり勘定から考えると、福島県の高線量地域(年間20mシーベルト以上と見込まれる地域はすでに避難指定の対象であるので、年間10〜20mシーベルトの地域を想定)からの児童・生徒の疎開は、1か月あたりの費用を数万〜10万円程度と見込んだとき、ギリギリ割に合うか合わないか、である。ただし、以上の考察は、あくまでも個人ベースで、かつ社会的な意義もそれを単純に加算する形で考えている。(もちろん「確率的生命価値」はそれ自体大いにどんぶり勘定の概念なので、そこに外部経済があらかじめ含まれてしまっており、それがその値の不確定性に寄与している可能性はあるが。)つまり、期待余命延長の効果はあくまでもその当人にのみ帰属する、と考えているし、またそのための費用負担は誰がやってもよい――当人の保護者が直接負担すると考えても、更に直接的に年少者である当人が成人後にその費用を弁済するとしてもよいし、加害者としての東京電力・国の負担としてもよい――と想定した。仮にここで児童・生徒の期待余命の延長、がんリスクの低下に多大な外部効果があるとすれば、疎開の採算性は向上する。
 このような外部効果については理論的にはいろいろと考えられるが、あまり考えすぎても希望的観測が入り込みすぎて過大な推計をしてしまうことになるだろうから、気をつけねばならない。そこでここでは、児童・生徒の期待余命の延長が、その保護者、家族に与える外部効果について考えてみたい。
 チェルノブイリの先例からしばしば指摘されるのは、放射線被曝それ自体によるのではなく、そのストレスがもたらした健康被害の深刻さである。問題はそのストレスが極めて複合的なものであることだ。そこにはもちろん、避難によって慣れ親しんだ土地を離れ、職を変え、それまでの生活パターンを変えなければならなかったことのストレスが大きく影響しているだろう。しかしながら、たとえ迅速に避難していたとしても、「被曝してしまった」「子どもを被曝させてしまった」ということへの恐怖感それ自体が生むストレスもまた存在していたと考えるべきである。そのどちらの効果がより大きかったか、を判定するための疫学的なリサーチには極めて困難が伴うだろうが。このようなストレスに対して、それが不合理であることを指摘してもほとんど治療効果はない。
 現時点の福島県の高線量地域については、被曝の直接のリスクだけではなく、そのリスクがもたらす心理的ストレスが大きな健康被害をもたらすと考えられる。そうしたストレスの軽減に対して疎開は一定の効果を持つはずである。問題はそれが避難ストレスのマイナスの効果と相殺し合った時、プラスの効果が残るかどうか、である。
 現在福島県の一部住民から提起されている「サテライト疎開」構想は、学校などを基軸としたコミュニティぐるみの疎開によって移転ストレスを軽減して、被曝の直接的な低減のメリットを最大限得ようという方略である。ここでの提案はこの「サテライト疎開」の一種であるが、当面は避難対象者を児童・生徒と教育・保育関係者に限定し、かつ時期についても選択的に限定する選択肢を留保するものである。


*参考文献
岡敏弘(2011)「放射線リスク回避の簡単なリスク便益分析」

環境政策論 (岩波テキストブックス)

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新装版 人間と放射線―医療用X線から原発まで―

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