卒業生へのメッセージ

 2010年度、明治学院大学社会学部、社会学科卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。
卒業式が直前に中止となったことにつきましては、お詫びの言葉もありません。私たち教員も、皆さんの門出をいつも通りにお祝いすることができなくて、とても悔しく、情けなく思っております。
 思えば皆さんは、去るリーマンショック以降の世界不況、そこからの日本経済の回復の立ち遅れをもろに食い、就職戦線において未曾有の苦戦を強いられました。今また先般の東日本大震災を体験し、先の見えない未来の前に不安でいっぱいかと存じます。「なんて運が悪いんだ。」そう思われても無理はありません。
 しかし、これをストレートな「幸運」と呼ぶのははばかられるのですが、単純に不幸とばかり言えない、ある巡り合わせの下にあなた方があることを、私はお伝えしたいと思います。


 大体において勉強、学問のありがたみというやつは、学校において生徒として学んでいる間はわからないものです。実社会に出てだいぶ経験を積んで、自分の力で食べていかねばならず、自分の人生はもちろん、他人のお金や幸福、あるいはひょっとして命に責任を負うようになって初めて、「ああ、あのときもっと勉強しておけばよかった」と思うようになるものです。もちろんこれは、主として「社会人」になる大多数の皆さんのことを念頭に置いてはいますが、実は少数の、大学院に進学して更に「学問」にかかわる人についても言えることなのです。大学院に進み、専門の狭い範囲の勉強に明け暮れるようになり、ある程度の成果が上がってくると、今度は専門特化したがゆえに狭くなった自分の視野のことが気になりだします。そして「ああ、学部時代、専門外のことをもっと学んでおけばよかった」と思うのです。そう、私自身のことです。
 しかしあなたがたは、日本の観測史上最大の地震災害、そして掛け値なしに日本史上初の原子力発電所の最悪クラスの事故を今まさに目撃、というより体験しつつある。そのことによって、今まさに、皆さんの学んだことの真価が問われるのではないかと思います。「マグニチュード」とは何か、放射線が人体にどのような害を与えるというのか、そんなに危険なものならなぜこれほどたくさんの原子力発電所が日本にあるのか、ぜひ考えていただきたいと思います。
 今次の震災について、「低頻度大規模災害」という言葉を用いている専門家もいます。つまり、これほどのエネルギーを持ち、これほどの破壊力を発揮する地震など、めったにはない、ということです。何十年に1度どころか、何百年、ひょっとしたら千年に1度くらいのめったにない現象なのかもしれないのです。それが何を意味するか? たとえば台風のように、毎年必ずいくつかやってくるような現象とは異なり、そのメカニズムを理解することが極端に難しい。それに何より、長くても百年程度の人生経験しか持つことができない人間にとって、それについて経験を積んで理解を深める、ということが全く不可能である、ということが問題です。
 学問の真価はこのような、生身の人間の経験、直観、想像力を超える物事に立ち向かうときにこそ発揮されます。それは自然科学に限らず、人文社会科学においてもそうです。透徹した理論の刃でもって現実を切り裂き、常識や勘ではたどり着けない知見に到達すること。あるいは過去の史料を読み解き、今現在の常識が通用しない世界が、かつて存在していたらしいことを知ること。常識や直観は人間が生きていく上でなくてはならないものですが、特にこれほど技術文明が進んでしまって、周囲の世界を大規模に改造しつつ生きている私たち現代人にとっては、それだけで済むわけではありません。私たちは日々、それまでの常識が通用しない世界を、自分で理解することなく作り続けているのですから。
 皆さんは卒業してからも、学びの連続だと思います。企業に就職する方は、当面仕事を覚えるのに精いっぱいでしょう。就職活動を続ける方は、どこにどのような会社があり、どのような事業をしていて、どのような人材を求めているのか、を学び続けねばなりません。そのほかにも、家庭で、地域で、何か新しいことに取り組むたび、学び続けなければならない。しかしそのような学びとは少し違う、目先のことには不要不急の、金儲けや出世の直接の役には立たない。浮世離れした「学問」というやつのありがたみが、いま少しだけ感じられてきたのではないでしょうか。(同時に役に立たない「芸術」や「娯楽」の価値も。まあその話は措いておきましょう。)
それでも、卒業する皆さんに対して「よく勉強したね」ではなく、「これからも勉強しろ」と言いっぱなしでは教師としての面目が立ちませんから、最後に申し上げます。


 明治学院大学の門は、これからも、いつでも、あなたたちの前に開かれています。


 別に「また遊びに来い」と言っているわけではありません。「授業を受けに来い」というわけでもない。一人一人の個人としての教師なら、もはや教員対学生の指導関係ではなく、人間同士のお付き合いとして、皆さん方の相手をするでしょうが、そういうことを言っているわけではない。
 私はここで、大学図書館のことを言っているのです。
 大学というものの「本質」について、皆さん方に教えておいたはずの――でもひょっとしたらわかっていただけなかったかもしれないことは、「大学の中心は教室ではなく、図書館である」ということです。教室での講義からよりも、図書館で出会う本、論文、資料からこそ多くを学んでほしい――それが、大学教育において最も肝心なメッセージの一つだと私は考えます。私たちはそれを皆さんに十分にお伝えすることができたでしょうか。
「教えてあげよう」と親切に、あるいは押しつけがましく構えている教師からではなく、それ自体は声も出さず、こちらが積極的に挑まなければ何も教えてくれない書物から学ぶこと。しかし書物は、大学の外の「現実世界」に比べればずっとわかりやすいですし、何より今現在の我々の目の前にない、別の「現実世界」への通路ともなってくれます。
 そして大学図書館は、地域の公共図書館とは違い、世界につながっています。和書だけではなく多数の洋書、洋雑誌があるのはもちろんのこと、インターネットを通じて、世界的な文献ネットワークが今やできてきていますが、世界中の大学図書館はそれぞれがその拠点なのです。
 卒業生の皆さんは、しかるべき手続きをすれば、今までとほとんど変わらない便利さで、大学図書館を利用し続けることができます。ここで学ぶことができます。何かあったら、何かで道に迷ったら、大学図書館に戻ってきてください。膨大な蔵書があります。電子データベースもあります。何より、皆さんを手伝ってくれる経験豊かなライブラリアンたちがいます。
明治学院大学は、いつでもあなた方と共にあります。


 最後に、本年度の社会学科総代と、社会学部長賞、社会学科奨励賞の受賞者の皆さんのお名前を紹介して、締めくくりといたします。


2010年度卒業生総代 野村 麻里子さん
第16回社会学部長賞 受賞者 社会学部門 最優秀賞 小坂 亘さん
              社会学部門 優秀賞 渡邊 千尋さん


            社会学科 奨励賞 和井田 明音さん
                    彦田 俊輔さん
                   大原 和恵さん
                   七海 莉佳さん
                   齋藤 潤さん
                   金 鉉謙さん
                   木村 麻実さん
                   土田 暁彦さん
                   平山 小百合さん


 皆さん、おめでとうございます。これからも、ともに学んでいきましょう。


                           2011年3月22日


                           社会学科主任 稲葉 振一郎


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