カール・シュミットの「例外状態」だの「決断」だのといったレトリックについて

 『政治神学』冒頭の、「主権者とは非常事態についての決断者である」という命題には、実はごまかしがある。ここでの「決断者」とは、実は「決断権者」である。
 シュミットはこの命題において、革命的状況の中で、誰が闘争に勝利して決断を下すかという事実の経過を論じているのではない。シュミットが論じているのは、旧秩序が非常事態に直面し、「法規範」では対応できなくなったが、なお「秩序」としては対応できる状況において、(一種の不文法の授権を受けて)法秩序を停止する権限を有する誰がいるはずだということであり、その者を主権者と呼んでいるのである。
 この議論の前提には、「原理上無限定の権能」(prinzipiell unbegrenzte Befugnis)がある者に賦与されると「法は退く」、即ち、無制約的な授権規範は法規範でないという彼独特の用語法がある。しかし筆者のようなケルゼンの徒から見れば、授権規範も規範であり、不文法に授権された主権者に関するシュミットの議論は、規範的議論である。彼は、それを実際以上にリアリスティックに見せかけるために、当為命題として語るべきところを、事実命題として語っているのである。

長尾龍一「シュミット再読――悪魔との取引?――」『カール・シュミット著作集II』(慈学社出版)333-334頁

カール・シュミット著作集 2(1936ー1970)

カール・シュミット著作集 2(1936ー1970)