をめぐるとりとめのない感想

 9年にわたる長期連載を完璧なペース配分で終わらせた『鋼の錬金術師』をつらつら読み返していていくつか考えさせられることがある。(いうまでもなくネタバレ注意。)
 主人公が錬金術と引き換えに弟の肉体を取り戻し「ただの人間」として生きていくことを「仲間がいれば平気さ」と笑顔とともに受け入れるという結末は、連載当初から予定されていたらしいが、後知恵としてみればこの結末は確かにそれ以外には考えられない、一歩間違えば「予定調和」とのそしりをまぬかれない、ジュブナイル的お約束を完璧に踏んでいる。
 この作品の見事さは要するにその(後から考えれば)自明の結論を、適切なタイミング、すなわち物語の終幕にしてクライマックスに合わせて、最高のタイミングで提示したところにある。決定的な一言を発するのは、早すぎてもいけないし遅すぎてもいけない。


 顧みれば『ベルセルク』の失速と混迷の一因は、中盤「断罪の塔」篇においてすでにその「決定的な一言」が発されてしまったことにあるのではないか。娼婦グループのリーダー、ルカというキャラクターはあまりにも強烈過ぎた。彼女の存在のおかげで、「断罪の塔」篇の末尾で復活し、偽キリストとして世界を手にしていくグリフィスとその軍団も、たまさか超常能力を持っているだけの邪悪で卑小な詐欺師と、それに手もなくだまされる愚か者の群れにしか見えず、それゆえにガッツの闘いにも何ら切迫感が感じられない。


 おそらく『鋼の錬金術師』の作者荒川弘は、最終的な結末と結論を最初から予定しており、それを最高のタイミングで提示すべくひたすら我慢に我慢を重ねていたのだろう。それに対して『ベルセルク』の三浦建太郎は、おそらくは必死に考えながら書き続ける中で、ルカに出会ってしまった。そして出会ったその時即座に、彼女を描かずにはいられなかったのだ。そしてたかだか1エピソードのゲストキャラでしかない彼女の退場以降、物語は混迷へと突入する。