『1Q84』バブルをめぐって

http://d.hatena.ne.jp/shinichiroinaba/20090613/p1
の続きなわけだが。
 バカ売れしていることに別に含むところはない。しかし絶賛ばかりで少々鼻白んでいるところだったので、東浩紀の『週刊朝日』でのコメントに少しばかり溜飲が下がる。
 以前U2How to dismantle an Atomic Bombがやけに評判がよいので買ってみて、一聴なんともいえない違和感を感じたので、加藤秀一大先生にご意見を伺ったら「あれはU2自身によるU2ベストだから」とのことで納得した覚えがある。
 ここで終わってしまえばこの作品は、山形浩生クッツェーを評して言った「できあいの「問題」を上品に優柔不断化して安心させる仕掛け」、あるいは花村萬月に投げつけた「結構なご身分で。「ハルヒ」とかラノベと同じですな。」といった批判がぴたりとはまってしまうんじゃないか。そこでは寓意が思考を喚起するのではなく、思考を停止させる方に機能してしまっているのではないか。*1
 しかし1Q84年はまだ10月から12月までの3ヶ月が残っているはずなので、その辺に期待したい。


 しかし一応付言しておくと、後出しじゃんけんになって申し訳ないが、ぼくはエルサレム賞前後の騒ぎについては、断固村上春樹氏の態度を支持します。いや、支持もへったくれもない。あのとき彼には何もできなかった。そして彼はそのことを受け入れて、どう転んでもみっともなくなるしかない道をみっともなく歩んだ。それを責めることなどできるはずがない。
 あそこで受賞前に「あんたは受賞するのかしないのか、ガザに対するイスラエルのやり口に対してどういう態度をとるんだ」と踏み絵を迫った奴らは卑怯者だ。
 授賞式が終わるまで黙ってみていて、村上がチキンな振る舞いをしたら、そのときは思う様糾弾し罵倒すればよかったのだ。この場合はそういう後出しじゃんけんの方がフェアなのだ。ところが今回、事前に公開質問を投げかけたりすることによって、奴らは村上に対して安全な立場から石を投げようとした。村上が奴らの意に沿う発言をすれば、村上は奴らに尻尾を振ったことになるし、イスラエルに尻尾を振れば振ったでもちろん罵倒できる。どっちにせよ村上に立つ瀬はなくなってしまう。
 いかに世界的な名士であり、それゆえに好むと好まざるとにかかわらず大きな責任を背負ってしまった人が相手とはいえ、このようなやり方は卑怯以外の何者でもない。

追記(6月20日

 まあ本当のところは村上を抜き差しならないところに追い込んだのは「絵踏み」を迫った人たちよりもエルサレム賞授賞サイドであるわけで、こっちの方が罪がより重いといわないとアンフェアなんだろうかな。もちろんそれで「絵踏み」が正当化されるわけではないが。
 まあ、ここまでくれば誰でも思いつくことだろうが、ひょっとしたらエルサレム賞授賞サイドは、村上にこう言ってもらうことを期待していたのであり、案の定言ってもらえてほっとしているのかもしれない。それはそれで卑怯といえば卑怯だが、何だか責められないな。
 そう考えれば「絵踏み」もプロレスの一環と割り切ればいいのかねえ。しかしいずれにせよ一番気が重いのは村上春樹本人なわけで。かえすがえすもお気の毒です。

追記2(6月20日

ブコメ

id:mojimoji エルサレム賞, 村上春樹, ちと違う 発表があってから承諾したんじゃなくて、受賞承諾の確認の後に発表。発表時点で村上氏は既に噛んでいる。だから、そのこと自体に対する論評は当然。 2009/06/19

 なるほど賞ってもちろんそういうものだよね。押し売りされるもんではない。ちょっとミスリーディングでした。
 もちろん「論評は当然」あってかまわない。それでも授賞式で何を言うかまでおとなしく待つのが礼儀ってものであることに変わりはない。