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ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力 (講談社BOX)

ゴーストの条件 クラウドを巡礼する想像力 (講談社BOX)

 ああん……。著者の村上さんってこれの人だよね? その節は適切なご指摘ありがとうございました。
 さて、この本はなんだか拙著『モダンのクールダウン』とも共通する問題意識の上で仕事をされているようだが、第二部まではともかく、葉鍵系のギャルゲーとか『うみねこ』とかいった当方が現物を見ていない素材を扱った第三部になると急に難解になるような気がする……それは著者の責任なのか、それとも対象の問題なのか? ――この本からうかがう限りでは、『うみねこ』は『ひぐらし』と比較すると、凝りすぎて独りよがりになった作品であるような印象を受けますが如何。あと余計なことですが、本書を読んでも「『うみねこ』面白そう、やってみたい」とは思えないのですごめんなさい。
 しかし虚構作品とかキャラクターの分析をするなら、20年前ならともかく現代であれば「フランス現代思想」系の道具立てを使うよりも分析哲学系のそれを用いた方が圧倒的に見通しがよく厳密な議論ができると思うのですが如何に。「クリプキが云々」と言っておいてほかに出てくる名前が柄谷やジジェクじゃあ話になんねえ。
 それから非常に気になるのは「水子」というネーミング。これはミスリーディングではないか。この点についてはもう少し考えたいのだが「幽霊」と「水子」の区別はそれほど意味があるのかどうかわからない。そもそも作品、テキストから遊離し自立したキャラクターに対して「幽霊」というネーミングを行うこと自体が本当に適切なのか、ぼくは懐疑的。それこそ「アイドル」で十分では?

追記

 拙著『クールダウン』ではまだ勉強不足だったから本格的に様相論理の道具立てや虚構世界の形而上学を展開できなかったわけで、東浩紀永井均を読みつつ、ポスト構造主義風の道具立ててやってましたが、あの辺の議論は大体分析系の枠組みに翻訳可能であると隠れデイヴィドソン主義者である現在の私は思っています。もちろんデイヴィドソン本人は可能世界論とかには冷淡だったわけだが。