伊藤計劃『虐殺器官』(早川書房)

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4152088311/interactivedn-22
 既に指摘されたとおり初期山田正紀のいくつかのモチーフ、とりわけ「終末局面」に顕著なそれの、あるいは飛浩隆の指摘するごとく小松左京のモチーフ(具体的には「牙の時代」あたりか)を今日的な状況と知的意匠を踏まえて継承し、飛のいうごとく「日本文系SFの系譜のひとつが最高の形でアップ・トゥ・デイトされた」と言えよう。「文系」ではあるががっちりハードSFであるところもミソ。もちろん、ハイテク軍事スリラー好きの方にもおすすめだ。


 以下少しばかりレム風、というより謎本風の読解への準備作業を試みる。(激しくネタバレ)
 「虐殺の文法」の制御は具体的にはいかにしてなされるのか? ジョン・ポールはあたかも、局所的にのみ使われる一言語にとどめることによってその無制約な拡大を抑えるかのようなことを言っているが、本当か?
 「虐殺の文法」は「ミーム」ではない(セマンティカルにではなくシンタクティカル、プラグマティカルに作動する?)にせよ具体的には言語的表象を媒体とした「ウィルス」のようなものなので、それに対してワクチン戦略が可能なのではないか? しかしこれについて作中では語られていない。
 エピローグでクラヴィス・シェパードは「虐殺の文法」をアメリカ合衆国にばらまくが、ここで媒体は当然英語である。シェパードはあたかもターゲットが合衆国に限定されるかのように語っているが、果たしてそれですむのか? 英語が媒体である以上、そのインパクトは英語圏全体、それどころか世界中に及びかねないのではないか? 
 (作者のミスという可能性を度外視しても)可能性はいくつかある。代表的なところでは、(1)実は愚昧なシェパードは勘違いをしており、コントロール不能の混沌はいまや合衆国を超え、先進各国、そして世界中に伝播しつつある。(2)実は「虐殺の文法」へのワクチンはジョン・ポールのファイルの中に既に記されており、シェパードはそれを手にしているから、きちんと合衆国のみをターゲットとすることができるのであるが、語り手たる彼はそれを読者に伏せている。では何のために? そもそもここで「読者」って、誰? 等々。


 それにしてもシェパードはやはり勘違いをしている。途上国の犠牲の上に先進国に平和をもたらそうとしたポールの戦略を裏返し、アメリカが世界に迷惑をかけないようにした、と彼は思っている。そしてこう語っている。「アメリカの輸入はストップした」――それって、世界中の――とりわけ途上国にとっての大迷惑ではないですか? 底の浅い自虐的反米主義が逆効果になってませんか?