「自己批判」など

 政治的言説に関わるとき心すべきは、ナルシシズムにとらわれずに政治的責任を取りきる事でしょう。だから、「自己正当化」とか「自己批判」などといった小児的ゲームに関わる事はできません。例えば、もし私が実際に、意図せずにせよ政治的に犯罪的な役割を果たしてしまったとしましょう。そんな時、自己批判しても何の意味もありません。もっとも、自己批判という身振りが、政治的状況を好転させる見通しがあれば別ですが。また、いかに「自己正当化」しようとしても、歴史の法廷に立てば、そんなものは何の意味もありません。自己正当化の身振りによって、政治的状況が少しでも好転する場合は別ですが。
 マキャヴェリが「己れの魂の救済より、祖国の運命に心を砕いた」人々を讃えたとき、何を考えていたのかが、わかるような気がしますね。でも実際には、今でも「己れの魂の救済」しか念頭にない人が多いのです。
Posted by tajima at 2006年08月15日 04:17

http://blog.livedoor.jp/easter1916/archives/50558288.html#comments

 上のあたしのエントリも自己正当化ですかねえ。