左翼・右翼・保守主義

 田島正樹『読む哲学事典』(講談社現代新書)における「保守主義と左翼」項を中心とする一連の議論(本書中の他項目並びに田島のブログ「ララビアータ」http://blog.livedoor.jp/easter1916/における関連エントリ)は、近年の憲法体制について考える上できわめて興味深い。
 田島によれば「愛国的情熱は、公共性がいまや危機に瀕しているという危機感の中で生まれる政治的=公共的関心である。したがって愛国者にとって、政治的公共性(祖国)は黙っていても所与のものとして自然に存在しているものではない」(前掲書「保守主義と左翼」205頁)。
「ここで、祖国が直面する危機を、その政治的共同体内部の問題として捉え、それ自身を、常に潜在的に亀裂や対立を内包するものと見る立場を、左翼という。それに対し、祖国そのものは元来分裂を含まぬ統一体であるとみなし、それゆえ、祖国の危機はもっぱら外からのもの、外敵によると見る立場を、右翼という。」(同上、206頁)
 つまり「左翼と右翼の対立は、単にそれぞれの主張内容の違いによるのではなく、対立があると言う者と、対立がないと言う者との間の対立であり、彼ら自身の対立についての認識視座の対立、つまりメタ認識の対立に他ならない。」(同上)
 このような「左翼」と「右翼」の定義自体は、非常に興味深い。しかしながらそれは当然に、語の普通の意味における「左翼」「右翼」とはずいぶん異なったものにならざるを得ない。それゆえに田島も
「したがって、左翼と右翼が対立していると見る立場は、実はもっぱら左翼の見方であり、右翼は自分を右翼とは認めない。彼らは、自らを国民の立場、または中道と主張するのであり、国民は本来、みな和して一体であり、それでもあえて対立する者たちは、敵にそそのかされ、操られた非国民と見なすのである。」(同上)としている。これは今日における「右翼」をたとえば「新しい歴史教科書を作る会」によって象徴されるものと見なすのであれば、きわめて適切であろう。しかしながらいわゆる「民族派」、あるいは戦前における「皇道派」あるいは「革新派」の青年将校たちや行動右翼などは、この視角からは「左翼」に組み入れられざるを得ない。
 となればここでいう「左翼」はむしろ「革新」、「右翼」は「保守」と呼び換えた方が、誤解が少なくなるのではないか、とも考える。しかしそうなると後に見るように、田島独自の「保守主義」の定義と不整合を来たさざるを得なくなるのである。
 そもそもこの議論の組み立てにおいては、あらかじめ「左翼」の側に優越的なポジションが割り振られている。「右翼」に対して「左翼」の方が、認識論的にメタレベルに立っており、より広く深い視野を定義上約束されてしまっているのである。しかしながら「左翼」と認識論的に同一レベルで対立する立場というものはありえないのだろうか?
 実は田島の言う「保守主義」とはそのような可能性をこそ示唆するものである。
保守主義の基礎には、歴史的に生成したきた制度や社会秩序は、自然に存在するようなものでも、いつでも容易に達成できるものでもなく、長い時間の試行錯誤と淘汰を経て、かろうじて残されたものとする、秩序の希少性に対する直感と、それを担う人々の責任感や誇りに対する人間的洞察がある。
 しかし、そうして達成された秩序は、理性の普遍的原理によるものではないから、歴史的偶然性を免れず、したがって保守主義的精神は、伝統は何でも尊重すべしといった一般的定式にまとめることはできないし、他人に説諭・唱導すべき「主義」ともなりえない。それはただ単に、自らが負う特殊な伝統への個人的コミットメントの中に示されるものであり、決して主義や普遍的理念として掲げられるものではない。総じて特殊なものへのコミットメントである限り、普遍的に妥当するものとして人に説得できるものではないからである。また、そのような生きた伝統への精神的コミットメントのないところでは、矯正にせよ説得にせよ、コミットメントを植えつけるようなことはできない。」(同上、204-5頁)
 ここでいうコミットメントの一種として「愛国心」があり、言うまでもなく田島のいう「左翼」もまた愛国者であるわけだから、「保守主義」は「左翼」の前提でもある。「左翼」とは危機に瀕した祖国の伝統を再生、復興することを目指す立場である、ということになる(同上書「歴史と伝統」を参照)。それに対して「右翼」とはこの祖国に、伝統に何らの危機を認めない立場である。それは伝統への感受性を欠く限りにおいて、逆説的にも、「保守主義」とは縁のない立場であることになる。


 しかしながら「保守主義」の本来の語義を大切にするのであれば、それを「右翼」と切断することはまだしも、単なる「左翼」の前提としてのみ捉えることは不適切であろう。つまり「右翼」とは異なる仕方で、つまり認識論的に同じレベルで「左翼」と対峙する立場というものがありえるのであり、「保守主義」という名は、そのような立場にこそふさわしいのではないか、ということである。
 そのような意味における、つまり祖国と伝統への危機感を共有する「保守主義」と「左翼」とを分かつものは何か? 「左翼」は危機の克服を、基本的には「革命」によって、つまり新たな憲法体制を構築する「革命的法創造」によって達成することを志向する。これに対して「保守主義」は、既存の憲法体制を護持したままで、せいぜい「修正」にとどめつつ、危機に対処することを志向する立場である。
 このように理解するならば、「保守主義」と「左翼」はある種の相互依存関係にあることになる。「保守主義」は自らが護持すべき伝統の何たるかについて、充分な自覚を持つことが難しく(明晰に言語化できないことこそが「伝統」の伝統たるゆえんである)、それゆえ祖国と伝統の危機にヴィヴィッドに反応することも苦手である(感覚的に「いやな感じ」を持つことはできても、それを「問題」として定式化できない)、と思われる。祖国と伝統の危機にアクチュアルに反応して、それを言語化するに際してリーダーシップを発揮するのは「炭鉱のカナリア」としての「左翼」知識人であろう。しかしながら「左翼」の目指す「革命」が伝統の再生ではなく破壊に終わってしまうことがないように、タガをはめるのは「保守主義」の役目である。何となれば「左翼」がその再生を志向する伝統とは往々にして「左翼」の批判言語によって言語化、定式化された限りでの「伝統」であって、真の伝統の複雑性の一面だけを切り取ったものになってしまいがちであり、それゆえ「左翼」の「革命的法創造」は、往々にして伝統「を合理化して認識したり、単純な目的合理性のもとで改革するような理性の傲慢」(同上書、「保守主義と左翼」204頁)に堕しかねないからである。
 なお確認しておくと、田島は革命について、以下のように明解な定義的記述を与えている。
「実定法による授権を離れて、法とその権威を打ち立てることが、革命である。革命は、法とその権威を打ち倒そうとするのではない。すでに、旧体制によって制御困難な諸問題が生み出され、それにより社会全体にアナーキーが広がりつつあるとき、秩序と権威の全面的崩壊に至る前に、いち早く手を打たねばならない。そこで、社会とその文化的遺産のできる限り多くを救い出すために、最小限度の「非合法的」緊急避難的暴力が必要となるのであり、それが実際の革命的蜂起である。」(同上書、「法と革命」217-8頁)
 更にこれに続けてこう論じている。
「社会秩序の全面的危機でなくても、三里塚のように部分的な問題状況と革命的法創造の機会は、社会のいたるところに存在する。どのような法秩序も、隅から隅まで決まっている機械のような体系では決してない。
 裁判でも、決して自動販売機のように判決を出力するわけではなく、問題を解決するための裁判官の決断を必要としている。」(同上、218頁)
 以上を踏まえるならば「左翼」と「保守主義」との対立は、危機・対立が全面的・根底的であり、革命なしには秩序を回復できないと見なす者と、危機・対立が必ずしも全面的・根底的ではなく、革命は不要である、と見なす者との対立である、と言えよう。ここで「保守主義」と「右翼」との差異は微妙ではあれ決定的であり、もし仮に「左翼」がこの差異を見逃して真正の保守主義者を「右翼」呼ばわりするならば、そのような「左翼」に対しては田島自身の次のごとき批判が当てはまるはずである。
「政治的公共性を自明の所与とみなし、その中に存在する深い亀裂を見ようとしない者、あたかもすべてがマニュアルに従って理性的に解決できるかのように見なす者は右翼である。そして、実際には、システムの名の下に、匿名の権力を行使している者による恣意的決定に過ぎぬものを、あたかも「秩序からの自然な流出」であるかのように装って、システムが抱える穴を隠蔽するもの、総じて、理性や正義が理論によって解決済みのものであり、すべての問題が、官僚的デスク・ワークとして自動的に処理できるかのように装う者は、たとえいかにリベラルな、または社会主義的な内容を主張しようと、右翼であるとみなさねばならない。」(同上、207ページ)
 何となればこのような「左翼」にとって「深い亀裂」の存在は「自明の所与」であり、その「深さ」あるいはそもそも「亀裂」自体の有無を疑問に付す立場との対話・討論は不要となるからである。


 しかしここまで論じてくると、やっかいな問題が浮上してくる。そもそも田島の言う「右翼(スターリニスト左翼を含む?)」との間には、政治的な対話・討論が成り立たないのではないか。「左翼」との間に生産的な対話が成り立ちうるのは「保守主義」であって「右翼」ではない。「右翼」との対話が成り立つためには「右翼」を少なくとも「保守主義」へと立場変更させねばならない。この立場変更自体は、いかなる方法でなされるのか? (続く)