藤田省三にせよ

そしてもちろん丸山真男にせよ内田義彦にせよ「文人」なのであり、だからこそ彼らの著作はその最良の場合には学術論文であると同時に文学作品でもあるわけだが、まずくいくと……。
 しかし本当は「科学」はそのような意味での「作品」たることを断念しなければならない、と書いたのは「日本思想史におけるウェーバー的問題」(『日本資本主義の思想像』所収)における内田義彦であり、にもかかわらず内田は後に「作品としての社会科学」に回帰してしまう。
 というようなことを『精神史的省察』を読み、そしてこちらを見ながら考えたりする。
 なおここの2月19日なども参照のこと。