日本のポストモダン教育学の原点?

 森直人のエントリに補足。


 ただ単にイリイチ流脱学校論のアカデミック教育学における受容のさきがけというにとどまらず、日本社会科学におけるポストモダニズム受容の、最初期における水準を示すと思われる、故森重雄の「批判的教育社会学」の問題意識は大略以下のようなものである;


 「教育」というカテゴリーは決して自明の、あるい歴史貫通的に人類普遍の何ものかではない。伝統的な(規範的)教育学はしばしばそのことに盲目であった。そもそも「教育学」は「教育」という対象を分析する科学ではなく、「教育」という営みの内在的構成要素である。
 これに対して「教育社会学」は「教育」を外的な対象とし、その客観的な分析を標榜する。しかし素朴なタイプの「教育社会学」=「社会学的教育分析」は「教育」という対象の実在性も、「社会学」という方法の堅固さも疑わず、「社会学」によって「教育」を分析しようとする。
 しかし第一に、そもそも「教育」という対象は決して自明なものではない。それは「近代」固有のカテゴリーであり、「近代性(モダニティ)」の不可分の構成要素である。「近代」というコンテクストを無視して「教育」を分析することはできない。
 そして第二に、「社会学」もまた「近代」の所産であり、「近代」固有の知である。「社会学」という営みは「近代性」の自己省察でなければならない。そのことに無自覚な「社会学」は素朴で無自覚な「教育学」が「教育」の単なる内在的構成要素であるのと同様に、「近代性」の単なる内在的構成要素に過ぎない。「社会学」は「近代性」についての自覚的な科学であらねばならないが、その課題は「近代性」の外に脱出することによっては達成されえないのである。「批判的教育社会学」とはそれゆえ、「近代性」の内在的構成要素としての「教育」についての、単なる外在的客観的分析というよりは、「近代性」の内省的省察であるがゆえに、自身が必ずしも「教育」に外在してはいない――全くその下部に包摂されはしないまでも、不可分の関係にある――ことを自覚してなされる、つまり「近代性の一端としての教育についての自省的省察」として遂行される。
 それゆえに森の代表作というべき論文は「モダニティとしての教育」と題されている。(唯一の単著『モダンのアンスタンス』はその一部を拡大したものである。)


 しかしながら森はその早すぎた晩年において「批判的教育社会学」の立場を捨て、「社会学的教育分析」の立場へと移行する。「社会学」が「近代性」の内在的構成要素であり、従ってその外在的分析にはなりえず、内在的自己省察とならざるを得ないことは否定してはいないが、「教育」への内在を拒否するようになったかのごとくである。
 その理由はよくわからないが、教育史家寺崎弘昭とのよく意味がわからない確執から推測するに、ポストモダニズム受容によって「近代の自明化」の罠から脱出した森は、その反対の「近代の特権化」の罠に陥っていた可能性がある。近代特有の何ものかを歴史貫通的・人類普遍的な何ものかと勘違いするという罠を回避した一方で、「近代性」を実体化し、それが「近代」という時代固有の何ものかである、という錯覚に陥ってしまった可能性が。しかし「近代性」とは「近代」において目立つようになった何事かではあるにしても、決して「近代」固有のものではなく、古代にも中世にもまたあるいは「ポストモダン」においても発見されうる契機であろう。
 たとえば近代以前は拡大家族が主流であり、単婚小家族、あるいは核家族世帯が一般化するのは近代以降、というかつて広く信じられていた俗説は、少なくともヨーロッパなどいくつかの地域においては覆されて久しい。となれば問われるべきは「にもかかわらず「核家族イデオロギー」とでも言うべきものはたしかに比較的新しく、かつては実態から乖離した「大家族イデオロギー」的なものがたしかに成立していた。それはなぜか」ということになるだろう。
 しかしこうした事情に無自覚なままに「近代性」にこだわることは、自らを「近代」という閉域へと追い込むことに他ならない。


 もちろんある意味では、そうした「覚悟」が「批判的教育社会学」のアイデンティティをなしている。「近代性」の学としての社会学は、恣意的という意味で「自由」な選択として「近代性」を対象とするわけではない。社会学は否応なく「近代性」の一部なのであり、むしろ社会学とは「近代性」によって語らされているのである。むろん誰しもが「近代性」によって語らされているのであり、社会学とはせめてそうした拘束を自覚しようという運動である。そのような意味での社会学の一環としての「批判的教育社会学」においては、「教育」という対象もまた当然、恣意的という意味で「自由」に選ばれているのではない。我々は好むと好まざるとにかかわらず「教育」によって規律訓練され、「教育」によって語らされているのであり、「教育」から自由ではありえないのだ。
 ――だが以上のような認識の緊張に人はどれほど耐えられるのか? 森はおそらくはその晩年において、教育から逃避しようとした――とは言わないまでも距離をとろうとしたのではないか。しかしながら彼は「近代」からは逃げられなかった。


 このように考えたとき、森の没する20年前に倒れた佐々木輝雄の到達点は極めて興味深い。おそらくは普通の意味でのポストモダニズムなど全く意に介しなかったであろう佐々木だが、「ポスト後期中等教育」という言葉遣いを苦笑とともに引き受けていた彼もまた、「ポスト何々」といった物言いの存在は十分に感知しており、その限りではポストモダン的状況についての、デファクトな自覚はあっただろう。
 最晩年の講義「職業訓練の歴史と課題」は本来公開を目的とされたものではなく、公共所訓練関係者という「仲間内」の下品な本音トークすれすれのところで行われたものであるがゆえの異様な迫力があり、本来なら決して(語られこそすれ)書き残されなかったであろうこと、普通の意味では「語りえずただ示されるのみ」であるうようなことがあっさりと活字になってしまっている、という意味で、丹念な読解に値する稀有な言説群である。
 佐々木は結論として、公共職業訓練がマージナルな存在であり、そのようなものでしかありえないことを認めてしまっている。学校教育の中心が職業教育ではなく普通教育であり、職業訓練の中心が企業内訓練であること、労働市場と学校教育とはそのような形でそれなりの均衡を作り上げてしまっていること、それゆえに公共職業訓練とは、そこから零れ落ちる弱者の救済の仕組みでしかありえないことを認めてしまっている。
 そのようなものとしての公共職業訓練を佐々木は肯定するのだが、しかしその肯定のそぶりは一筋縄ではいかない。はなはだミスリーディングだが、パラフレーズしよう:
 あなたがた公共職業訓練の「プロ」は、決してそのような、公共職業訓練に関する真実を口にしてはならない。そうではなく「公共職業訓練は――ただ単に弱者救済としてではなく――役に立つ!」と声を大にして言わなければならない。社会の後衛ではなく、前衛であると強弁しなければならない。人を欺いてでも予算を分捕り、制度を維持し、つまりは汚い真似をしてでも縄張りを守らねばならない。そうしなければ公共職業訓練は、その「弱者救済」という本来の役目さえも果たすことができないだろう、と。
 「近代性」のメインストリームは学校であり、企業である。もちろんそこからおちこぼれてしまう人々は存在し、それを救うことは必要である。あるいは時に人々は「近代性」に倦んでしまい、その周縁に対して優しいまなざしを向けることもあるだろう。しかしながらいずれにせよ、大勢としては世の中は「近代性」に支配され、学校と企業を中心に回り続けるのだ。そこからこぼれおちる人々を救う営みは、決して主流にはなりえないだけではない。自らもまた主流への忠誠を誓って見せさえしなければならない、と。
 これはある意味、恐るべきシニシズムでありニヒリズムである。だがそうしたシニシズムニヒリズムを情熱と共存させるのが、「プロ」というものだ。佐々木はそう語っている。


 そしておそらく佐々木は、これに類することを公の場では決して口にはしなかっただろう。


佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)

佐々木輝雄職業教育論集 (第3巻)


*あえて引用せずにやってみた。引用いれて拡張すれば普通に論文にできると思う。