アナキズム?

 ちょっとしたきっかけで出入りの学生さんと森政稔さんの論文「アナーキズム的モーメント」(『現代思想』2004年4月号「特集・アナーキズム」)を一緒に読む。少なくとも前半は非常にブリリアント。後半、プルードンを言わば「アナーキズム脱構築」として読むあたりは間違ってなさそうだが苦しい感じも。
 東大法学部出身の東大助教授という「エリート」とはとても思えない、ムーミンのような温顔と、やはりムーミンのようなソフトで人懐っこくかつ礼儀正しい口調で時折ズバリと容赦ない毒舌を吐く森さんは、専門は19世紀初頭の英仏のラディカリズム(初期社会主義アナキズムを含む)だが、すごく視野が広くかつシャープで、政治思想と政治哲学の間の狭間で苦闘している人で、「思想史の今日的意義」についてその不可能性を承知の上であえて頑張っている。数少ない論文、ことに学説展望的なものは優れて教育的で、広く読まれるに値する(たとえば「民主主義を論じる文法について」『現代思想』1995年11月号「特集・民主主義という問題」)と思うのだが、しかし惜しいかな「眼高手低」意識が強いのか、どうにも寡作で、狭い東大周辺のサークルでしか知られていない。
 あと妙に慎み深いのか、自分の過去の論文を参照文献リストの中に入れない悪いくせがある。今回もそう。『国家学会雑誌』にのせたデビュー作のゴドウィン論も、東大社研の紀要にのせた助手論文のプルードン論も、当然挙げられるべきところを挙げていない。