マンフレート・リーデル『市民社会の概念史』(以文社)

 きちんと読んだのは第1章「市民社会」だけだったのだが、mixiでのいっちーの「おまいは「社会」という概念のポテンシャルがわかっとらん」とのお叱りに、本棚から引っ張り出して第3章「ゲゼルシャフトゲマインシャフト」を読んでみる。
 実は「ゲゼルシャフト」と「ゲマインシャフト」を明確に区別する言葉遣い自体、きわめて新しい、との指摘にドッキリする。
 なるほど、アレントの公共性論というのは、「公共性」を近代から切り離し、その原点をむしろ古典古代に求めるという結構をとっているが、実はそれはある種の捏造であるのかもしれないのだな。
 アレントは「中世は政治=公共性を忘れ、社会=共同性とそれを混同した」と言わんばかりだが、実は古典古代も(アリストテレスでさえ?)、アレントの言う意味での「公共性」を知らなかったのかもしれない。
 アレントは「社会」と「社交」をほぼ等値し、更にそれをマス化した私的家のようなものとみなした。それはたしかに鋭い着眼なのだが、それによって見えなくされる問題もあるということか……。


 勉強になりましたから市野川先生、はやく『社会」を出してください。