「公共政策論」メモ(続)[12月4日文献補足]

 ホッブズ、ロックはこの自然状態をあくまでも彼らの主題の前提として提示しただけで、それ自体を対象として主題化しなかった。ではその課題はどこに持ち越され、どのように発展していったのか? 結論的に言えば、本格的にはアダム・スミスの『国富論』においてであるが、その前段階、前哨戦とでもいうべきものまでをも見ていかなければ話はまとまらない。そこで検討されるべきはまずもってスミスが「重商主義」と呼んだ言説群(ロックもまたここに数え入れることができる)、スミス以前の経済学者たちであり、そしてポリス学である。
 非常におおざっぱに言えば、スミスが「重商主義者」と呼んだ初期経済学者たち、彼らの学である政治経済学Political Oeconomy、そして大陸ヨーロッパのポリスPolice, Polizei学とは、国家とその支配下の社会をそれ自体一個の大きな家のごときものと観念したうえで、その経営管理――「家政」を主題とする学問であった。そのような発想法は西洋の思想史上において、必ずしも「異端」ではなかったにせよ、法と政治をめぐる議論の中では、どちらかというと正統からは外れるものである、と考えるべきだろう。
 いわゆる社会契約論(ここまでの用語法でいえば、自然状態論、つまりあくまでも近代の社会契約論)の道具立てを用いた法と国家の理論が、国家、統治権力を合意の所産として描くのに対して、重商主義政治経済学、ポリス学では統治者の一つの意思によって国家とその臣民がコントロールされるさまが描かれる。そこには断絶と同時に連続が見られる。
 断絶とはどういうことか? 社会契約論的な議論においては、単一の統治者のではなく、複数の人民の意志が問題とされ、そしてその意志の統一は法として具体化され、そのことによって公私の境界線が引かれる。それに対して政治経済学、ポリス学においては、人民の意志ではなく、単一の統治者の意志が支配する。そこでは法は単に統治者の道具である。
 では、連続とは? 相変わらずそこでは、意志、意図的行為の論理が支配している。単一の統治者のであれ複数の人民のものであれ、国家を形作り動かすのは人間の意志である。意志なき「自然」がそこに不在であるのではない。しかしながらそうした自然――そこには社会的なるものも当然に含まれる。「人口」という言葉が独特の意味合いを帯び始める――はあくまで、受動的な素材として、統治者の政策的介入によって操作される対象として描かれる。
 「政策」――? そう、ここではほとんど我々が「政策」と呼ぶものの対応物が描かれ、論じられている。ただしそこでは、公と私の境界線はほとんど問題とされず、国家が――統治権力に服する社会全体があたかも一個の家であるのように、ということは、そこに生きる人々、それも家長たる自由人たちまでもが、国家というより大きな家の家人、従属的メンバーとして、超家長たる統治者、主権者の支配に服しているかのように描かれている。そこにおける「政策(必ずしもこの用語は用いられていないが)」とは正統的な意味における「政治」ではなく、構造的には「家政」なのだ。


 何故にこのような問題設定が浮上したのだろうか? このような思想的な転回をもたらした社会史的背景について考えてみよう。ちょうどそれはいわゆる絶対王政の時代と符合しているが、まずは軍事・外交面に着目してみる。
 ルネサンスから宗教改革の時代、まさにそれはいわゆる近代的な主権国家(いまだ国民国家ではない)――世界を包括する帝国・教会の一部であることを捨て、あくまでもローカルな共同体として、しかしそのようなものとして独立し、可能とあらば永遠に存続しようとする政治的統一体への予感が明確に焦点を結び始めた時代であると言えよう。そうしたプロト主権国家群の原型は、現在の国民国家の原型をすでに形作っていた英国やフランスの王国のみならず、神聖ローマ帝国崩壊後のドイツの領邦の一部や、イタリアの都市国家の中にも見て取ることができる。軍事的に見たときそれは、兵力を恒常的に確保し、その財源確保のための財政システム――安定した恒常的な租税システムとして現れる。そうした財政システムによって確保される恒常的兵力とは、当然に、古いタイプの騎士や市民兵ではありえず、専業の兵士でなければならなった。当初はそうした兵士は傭兵主体であったが、やがて専属の常備軍に移行していく。そしてその途上において、小規模な都市国家は淘汰され、一定以上の人口と領土を確保した領域国家が標準的なパターンとして確立していく。

ヨーロッパ史における戦争 (中公文庫)

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戦争の世界史―技術と軍隊と社会

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ソーシャルパワー:社会的な“力”の世界歴史〈1〉先史からヨーロッパ文明の形成へ (叢書「世界認識の最前線」)

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The Shield of Achilles: War, Peace and the Course of History

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 では、内政においてはどうだろうか? 主権の支配下にある人民たちは、ただ単に課税され、搾取されるだけの存在だったのだろうか? 
 ここで思想表現のレベルで興味深い時代の証人としてわれわれの前に現れるのがほかならぬジョン・ロックである。ホッブズやあるいはグロティウス、プーフェンドルフなどと並び近代自然法論の代表者である彼は、重商主義的な政論家としての顔も持っている。その中で興味深いものの一つが、いわゆる「救貧法論」である。これは議会の通商委員会に委員としての資格で提出された政策提言である。そこではロックは、ことにスミス以降の近代的な経済学を知る者の目からすればいかにも素朴でまさに「重商主義」的な提言、貧民を強制的にでも就労させ、生産的な活動に従事させることが国を富ませる、という議論を行っている。ここでとりわけ注目したいのが、working schoolなる施設の提案である。ロックは貧民の子弟をこのschoolに強制的に通わせて訓練させることを提唱している。怠惰で子供の世話も十分に見ない貧民の大人に代わって、地域コミュニティレベルで運営するこのschoolで子供たちに十分な栄養を与え、経験で近辺な生活態度を身に着けさせ、初歩的な職業訓練をも行う、というプランをロックは提示する。
 それは理念的にも具体的な政策面でも、必ずしも独創的なものではなく、当時すでにあったエリザベス救貧法の修正以上のものではなかったが、ここで注目したいのは、この提言を行ったのが既に『統治二論』を書いていたロックである、ということである。更にこのロックは『教育に関する考察』をものしたロックである。この著作においてロックは、自由人が自分の子弟を、教会や学校(義務教育など存在しないから、ここで念頭に置かれているのはもちろん、私立学校であるが)に頼らず、自らの責任と判断において、自ら教育することを勧めている。そこには「子どもの権利」などという発想はなく(『統治二論』でも否定されている。子供は親の保護監督下にあり、一人前の権利主体でははい)、教育の権利の主体は大人であるが、ひとりひとりの普通の自由人であって、国家や教会ではない。
 このような、いわば「人民の教育権」を提唱したロックが、同時にworking school構想を説いていることに注目しよう。つまりロックは、怠惰で子供の面倒を真面目にみない貧民を、教育の権利の主体としては認めていないだろう、ということだ。そもそも「救貧法論」においては、『教育に関する考察』でとは異なり、"education"という言葉自体が用いられていない。『統治二論』にしてもよく読んでみるならば、そこで国家を設立する契約への参加主体は、人民一般では実はなく、基本的には土地所有者たちなのである。

完訳 統治二論 (岩波文庫)

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ロック政治論集 (叢書・ウニベルシタス)

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教育に関する考察 (岩波文庫 白 7-5)

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