非同一性問題(あるいは営業)

 既に書いたように先月末の科研費カンファは大変面白かったのであり、とりわけ興味深かったのはデレク・パーフィット『理由と人格』第4部について、みんなこんなに一所懸命悩んでるとは知らなかったと少し感動したのである。パーフィットといえばまず引き合いに出されるのが第3部の「人格の同一性は程度問題」という議論なので、かねてから第4部が気になっていた人間としては我が意を得たりという感じ。
 カンファでは「非同一性問題non-identity problem」と呼び習わされていたが、個人的にはピーター・シンガーが「存在先行説」の問題として論じていたのが記憶に残っている。「存在先行説」というのは、「そもそもその権利とか効用とかを配慮するに値する主体とは、既に現実に存在している主体だけである」そして「生まれて現実に存在しているという状態と、生まれずにこの世に存在しなかったという状態とはそもそも比較不可能であり、道徳的な意味でも両者の差異は価値的に評価できない」という考え方である。シンガーは『実践の倫理』初版ではこの立場をとっていたが、第二版ではそれを修正した。そしてそのような立場変更にあたって最大のインパクトをもったのが、パーフィットのこの議論なのである。
 ただしもちろん第4部の射程は世代間倫理にはとどまらないし、必ずしもマクロ的なものとも限らない。要するに「「生まれてこない方がよかった」などということが合理的にいいうるのか」といったパズルとも関係してくる。
 実は今月末刊行予定の拙著、長谷川裕一論では、歴史改変とかロボットとかいったテーマに絡めて、その辺についても少し考えているのであった。